第7話 斌

 アキラは駆けっこでビリ以外になったことがない。


 今回は伯父サカキ従姉カグヤが見ているからと奮起したら、気負って動きが硬くなって、転んで大勢の前で恥をかいて、ただのビリよりなお悪くなった。


 つくづく、持ってない。


 これが、自分の運命か。


 遺伝子が決める、才能という名の。



「ん……」



 泣き疲れて眠っていたアキラが目を覚ますと、もう運動会は終わったようで外は静かに、そして薄暗くなっていた。


 夕日が射しこみ茜色に染まった保健室。


 ベッドの縁に、カグヤが腰かけている。


 微笑んで見下ろしてくる彼女と目が合った。



「カグヤ、どうして……?」


「お見舞いですわ」


「じゃなくて。部外者は校舎には立入禁止じゃ」


「叔父さまがお金で解決してくださいましたわ」


「うわぁ」


「人払いもしてあります。ここには誰も来ませんので、安心してわたくしの胸で泣いてください。さぁ!」


「…………胸?」


「おっぱいに顔をうずめて、という意味です。あ、でもそれ以上の行為はダメですよ? 手でHな所にさわるのもアウトです」


「……生殺し、つらいから、いいよ」


「あらあら。では、こうしましょう」



 カグヤがベッドの縁に腰を下ろし、こちらの手をそっと握ってくる。ひんやりとした感触が気持ちいい。こちらの体温は、逆に上がったが。



「ありがとう」


「どういたしまして♪」


「……」


「……」


「……なにも言わないんだね」


「下手な慰めは、あなたの神経を逆撫でするだけでしょうから。こういう時は余計なことは言わず、ただ寄りそうのが正解です」


「そんなとこも優秀だよね。それも遺伝子いじって?」


「はい♪」



 くすくすと、2人で笑いあった。


 アキラは心が軽くなり、決めた。



「この前、カグヤ言ってたよね。自分の能力のこと、早めに話しておきたかったって。ボクは逆に、話したくなかった。そして、君もなにも聞いてこなかった。嬉しかったよ」


「人の心に、土足で踏みこめませんから」


「そんな君だから、ボクも話していいと思えた。黙ってるほうが落ちつかなくなってきたし。よければ、聞いてほしい」


「はい。どうぞ、お聞かせください」


「でも、なにから話せば……あ、そうだ。カグヤはボクの名前、どう書くか知ってる?」


「ええ」



 握っていた手を放し、カグヤは鞄からメモ帳とシャープペンを取りだして〘かど あきら〙とルビつきで書いた。それはアキラが自分の教科書などに書いている名前だった。



「こうですわよね」


「ごめん、それ嘘」


「嘘?」


「本当は、こう──」



かど あきら



うるわしい……アキラと読めるんですのね。知りませんでした」


「こんな珍しい字を知ってるだけでも凄いよ。ただ命名した父がこの字に求めた意味は〔ぶん〕なんだ。2文字を勝手に1文字にまとめてさ」


「文武……」


「そう。文武両道に長けた子に育つようにって。でもボクは文武ともにからっきしだ。この字を見ると情けなくなるから、学校でも平仮名の〘あきら〙で通させてもらってる」


「アキラ……」


「伯父さんの計らいでね。引きとられる前はそんなこと許されなかった。父はこの名にふさわしくなれとボクを厳しく育てた」


「アキラのお父さま……マユミ叔父さま」


「父の遺書で初めて知ったんだけど。平凡な父は天才科学者のお兄さんたちにコンプレックスがあって、自分の代わりに息子をお兄さんたち以上にしたかったんだって」


「わたくしのお父さまと、サカキ叔父さま……おふたりは運動は得意ではありません。それで文武両道で超えようと」


「そんな完璧超人にしたいなら、地球では違法だったけど遺伝子操作すればよかったのに。父に生前そう言ったら〝それじゃ意味がない〟って殴られたよ」


「そんな……!」


「父は僕に受けつがれた自分の遺伝子がお兄さんたちに勝つことで、自分がお兄さんたちに勝った気になりたかったんだ。手を加えてしまったら、それはもう自分の遺伝子じゃないってこと」


「横暴な……!」



 カグヤの美しい顔が険しくなる。


 自分のために怒ってくれている。


 それが、嬉しい。



「そんな理由は聞いてなかったし、聞いても変わらなかったかな。したくもない勉強と運動を強いられて、つらかった。それでも頑張ったけど、中学受験は全滅。公立にしか入れなかった」


「そう、でしたの」


「父が望んだような高い目標に届くには、こんな所でつまずいてるようじゃもうダメさ。ボクは父の期待に応えられなかった。だから、こうなったんだ」


「……!」



 アキラは体操着の上を脱いだ。


 カグヤは表情を強張らせながらも、驚いた様子はない。以前、風呂場でお互い裸で対面してしまった時、カグヤは一度を見ている。


 あの事故は風呂場にいたアキラが電気を点けていなかったから、カグヤが中に人がいると思わなかったため起こった。そして、アキラが暗闇の中で入浴するのは、を見たくないから。


 アキラの上半身には、いくつも。


 刃物による傷跡が、走っていた。



「その傷は、お父さまにつけられたものだったのですか」


「ううん」


「えっ?」


「父は絶望して、首を吊って死んだ。ボクは、死体は怖かったけど、父がいなくなったことには安堵した。これで母と2人で平穏に暮らせると思った」


「そう思うのも、当然です」


「ありがとう……母も、そう言ってくれたらよかったんだけど」


「!」


「母は父から〝息子が粗悪なのはお前の遺伝子のせいだ〟って言われて泣かされて、ボクと同じ被害者で。父からボクをかばってくれたし、味方だと思ってた」


「……ッ」


「でも違った。母はボクより父を愛していた。結局は父の言いなりだった母は、本当は父の共犯者だった。ボクを一番に想っているなら、ボクを連れて父から逃げてくれていたはずさ」



 思いだして、涙がにじんだ。



「アキラ。つらいなら、その先は、もう……」


「ありがとう。でも、最後まで言わせて。父が死んで、ホッとしたボクは、母に言ったんだ……〝よかった、これで安心だね〟って。そしたら母は激昂して、包丁で切りつけてきた」


「では、その傷は、その時の」


「うん……〝お前のせいでこうなった〟〝お前なんか産むんじゃなかった〟って……ボクは逃げて、交番に駆けこんで。病院に運ばれて、一命を取りとめて……母が自害したと聞かされた」


「‼」


「ボクが、両親を殺したんだ」

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