第6話 天辺と底辺

「アキラー!」



 翌朝。高取山の山頂部、高取城の本丸の中庭で、ジャージ姿のアキラが声のしたほうを振りむくと。


 髪を首の後ろで結って、甚平じんべい──半袖・半ズボンで肩の部分がタコ糸で縫われた軽装の和服──を着て、ぞうを履いたカグヤが、ぶんぶん腕を振っていた。


 塀の上で。



「おはようございまーす!」


「お⁉ おっ、おはよー!」



 返事しつつ、それどころではない。なんて危ないことを。塀のこちら側は落ちてもギリギリ死ななそうな高さだが、向こう側は死ぬ高さになっている。



「危ないよ! 降りて!」


「はーい♪」



 カグヤは軽快に塀の屋根の上を走りだした。そして建物の屋根へと跳びうつって、そこから飛びおり空中で一回転してからアキラの眼前に着地した。


 見ていて非常に心臓に悪い。


 だが当人は難しい技に挑むような気負いのない、自然な動作だった。これくらい、この子にはなんでもないらしい。


 カグヤの身を守る役目を負っているはずの城の使用人が周りに何人か見えるが、誰もなにも言わない。カグヤのこれは、もう受けいれられているらしい。



「とんだお転婆姫だね」


「ふふ。いい響ですね」


「褒め言葉じゃないからね⁉」


「それより。こんな朝早くから、なんの御用ですの?」


「用はないよ。日課のトレーニングで登ってきただけ」


「わたくしに会いにきたのでは⁉」


「ないよ。じゃ、もう降りるから」


「冷たくありません⁉」


「急がないと学校に遅刻するんだってば!」


「では、わたくしも下までご一緒します♪」


「それは、まぁ、ドウゾ」



 本当に急いでいただけで邪険にしたかったわけではなかった。思わずカグヤとのひと時を得られて、アキラは嬉しかった。







 夏の暑さの残る9月だが、太陽はまだ出たばかりで、標高が高いこともあり辺りは涼しい。ほのぼのと薄明るい晴天の下、早朝の爽やかな空気で胸を満たしながら、城の坂道を下る。


 アキラがチラチラ隣を見ていると、ぱっと振りむいたカグヤと目が合ってしまい、誤魔化すように適当な話題を口にする。



「その格好、寒くない?」


「全然、平気ですわ」


「そ、そうなんだ」



 山は冷えるからとジャージを着ている自分より遥かに薄着なのに。ジーンリッチの体は耐寒性もアートレスより優れているのだろうか。



「ご心配、ありがとうございます」


「いや、そんな大げさな話じゃ」


「やっぱりアキラは優しいですわ♪」


「昨日もさっきも〝冷たい〟って言われたけど」


「あうっ……すみません。学業の邪魔をした、わたくしが不注意でした。もっと、アキラの生活サイクルを考慮すべきでしたわ。自分は学校に通っていないからって」


「そっか。カグヤは学校、行けないんだね。重要人物で、この城から出られないから。ボクと同い年で本当は中学2年生なのに」


「いえ? 月で大学を出ていますから、中学生ということは」


「飛び級⁉」



 カグヤが自分より遥かに頭がいいのは、昨日、少し勉強を見てもらって分かっていたが。そこまでの差があったとは。そして身体能力も、さっき見たとおり。



「……アキラは、聞かないんですか?」


「……なにを?」


「〝その知力も体力も遺伝子をいじって得たのか〟って」


「……ソレ、禁句でしょ」


「わたくしは、いつ聞かれるかと手ぐすね引いてましたのに」


「怖いよ! ……で、聞かれたらなんて答える気だったの?」


「〝もちろん、そのとおりです!〟──と」



 ガシッと拳を握るカグヤ。


 しかもドヤ顔をしている。


 気を遣っていたのが馬鹿らしくなる。



「そりゃ、カグヤたち月の新世代が遺伝子操作で全ステータス強化されてるのは事実だろうけどさ。それでも技能を身につけるには努力しなきゃいけないんでしょ?」


「他の人はそうらしいですわね。わたくしはジーンリッチの中でも最高に優秀で、何事もすぐ世界一のアウトプットを叩きだしてしまって、努力ってしたことなくて理解できないのですが」


「なんでそう、人のフォローを台無しにするかな⁉」



 すると。


 それまであっけらかんとしていたカグヤの顔が、曇った。うっかり余計なことを言って傷つけたかとアキラがひるんでいると、カグヤは寂しそうに苦笑した。



「嫌味な女と思われました?」


「いや、そんな……」


「ごめんなさい。早めに言っておきたかったんです。能力を隠し取りつくろって、あなたと接したくはなかったから」


「カグヤ……そっか。能力が原因で嫌われないかって、本当はずっと怯えてたんだね」


「べ、別に、怯えてなんてませんー」



 カグヤは唇を尖らせた。


 アキラはくすっとした。



「安心して。そんなことで嫌わないから。むしろ、余裕しゃくしゃくに見えた君が内心では僕にどう思われるか気にしてたって分かって、親しみが湧いたよ」


「……アキラは、わたくしが羨ましくないんですの?」


「羨ましいよ。でも、君がジーンリッチに生まれたことも、ボクがアートレスに生まれたことも、自分の意思じゃないじゃん? 君を責めたり嫌ったりする理由になんかならないさ」


「……アキラ‼」


「ちょっ⁉」



 カグヤに抱きつかれて、カグヤの大きな胸が当たってきて、カグヤの匂いに包まれて。アキラは色々と、大変なことになった。







 それから、しばらくして。


 アキラの通う中学校で運動会が行われた。体力がなくて運動音痴のアキラには憂鬱なイベントで、早く過ぎさることばかり願っていたが……


 観客の中に、カグヤがいた。


 その隣には、サカキの姿も。


 変装していたがアキラには分かった。城から出るのは危険な2人なのに。そっと話しかけると、護衛の憲兵隊も変装して周囲を固めているらしい。そこまでして見にくるか。


 従姉も、伯父も、大切な人。


 情けない姿は見せられない。


 アキラは奮起して、真剣に競技に臨んだ。


 そして徒競走でつまずき、盛大に転んだ。


 膝から血を流しながらも歯をくしばって完走したが、ビリッケツに変わりはない。手当てを受けた保健室のベッドで、アキラは独り……泣いた。


 アキラは運動会が嫌いだったが、練習をサボッてはいなかった。それどころか運動会に関係なく、日頃から体を鍛えている。


 それでも、このザマだ。


 致命的に、才能がない。


 勉強と同じく。


 カグヤがジーンリッチの中でも最上層の天才なら。


 アキラはアートレスの中でも最下層の非才だった。


 文武ともども。

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