第41話 惟神

「あー、酔う、酔う、酔いそう、酔う」


 上梨に告白された次の日、俺はバスに揺られながら、酔う、酔う、と呟き続けていた。


 おかしい、俺が隣町の神社に向かうのは明後日の筈だ。

 そもそも遊園地に行った次の日に隣町に行くなんて、完全に狂人の行動ではないか。

 元気有り余りボーイかよ。


 本来であれば俺はゆるりと午後に目を覚まし、だらだらとネットサーフィンに勤しんで昨日の疲れを癒していた筈なのに……。


 まあ、どれだけ脳内で文句を羅列しても、俺が今バスに揺られているという事実は揺るがないのだが。


「なあ、カサネ。本当に今日じゃないと駄目か?」


「そもそも、前からお前を連れて来るように言われてはいたのです。母は余り時間を気にしないので気を抜いていましたが、夢に出てまで急かされてはどうしようも……」


 まあ、神に催促されたのなら仕方がないか。

 こいつは一度、その神に殺されている訳だし。

 はあ、神社にはあんまり長居したくねえな……。

 上梨に聞いた昔話を思い出し、先行きに不安を覚える。

 そんなナーバスな俺を差し置いて、明日香は能天気にバックから取り出したグミを食べていた。


「遠足みたい! 楽しい!」

 明日香のニコニコとご満悦な様子には、まるで緊張感が感じられ無い。


 神から呼び出し受けてんだぞ?

 こいつ状況分かってんのか?


 俺は小さくため息を吐き、空に浮かぶ入道雲に意識を向けた。

 これから、どうしようかな?


 あの儀式の日、俺と上梨は友達になった。

 だが昨日の告白で、奴は俺への好きは友情ではないと言った。

 だとすれば、今の俺と上梨の関係性は何なのだろう?

 少なくとも、もう友達ではない筈だ。


 上梨は俺に友情以外の好きを伝え、俺はそれを受け入れた。

 俺は、上梨に何者として接すれば良いんだ?

 俺に求められている関係性が分からない。


 感情ってのは、出す側はそれに従えば良いけれど、受け取る側はそうもいかないのだ。


 あー、対応間違えたくねえー。

 あの上梨が好きって言ったんだ。その感情の重さに俺は応えたい。

 ただ、その応え方が分からない。


 ……少なくとも、上梨の嫌がる事はしたくない。

 そしてこれは、明日香やカサネにも言える事だ。

 カサネに関しては出会って二日だというのに妙な情を感じて……俺も随分とチョロくなったものだ。

 まあ、どんな形であれ俺には母の呪縛とは関係なしに傷つけたくない相手が増えすぎた。

 これはもう、神に人の心を読めるようにしてもらうべきだな。


 心を読めれば、絶対に俺が母の二の舞を演じる事は無くなる。

 そうすれば俺の問題は解決し、ハッピーエンドに直行だ。


 ……はあ、酔いが酷くなってきた。

 酔い止め飲んだのに。無念。


 俺は目を瞑り、そのままバスに揺られて眠りについた。


*****


「……ねえ、行きたいとこ、あるの」


 そろそろ神社に到着するかという時に、明日香がそんな事を言い出した。


「トイレなら、ちょっと前にコンビニがあったぞ?」


「……ちがう、トイレじゃない。ちょっとだから、ついてきて?」


 俯いたまま、明日香は煮え切らない態度で言葉を紡いだ。


「本当に、ちょっとだけだからな」


 暑いし、さっさと用事を済ませて叔父さんの家に帰りたいのだが、明日香の妙に緊張した様子が気になる。

 とはいえ、敢えてこいつが口にしなかった行き先を、わざわざ聞き出す事もあるまい。


 明日香はそのまま横道に入っていった。


 あっちに行くと大通りに出るな……。

 そして今はお昼時、いくら平日だと言っても流石に人の数も多い。

 であれば、明日香が人込みに紛れて迷子になる可能性も高い。

 ……なんて、俺は誰に言い訳をしているんだ。


 もう母の事は気にしないって決めたろ。

 俺にだって、明日香が心配だという理由で行動する事くらいできる。


「おい、明日香」


 俺はそっと、明日香の手を握る。

 すると明日香は一瞬驚いたような顔をして、小さく笑った。


 ぐ、急に恥ずかしくなってきた。

「……あれだ、はぐれると厄介だから」


 明日香の妙に満ち足りたような笑顔に耐え切れず、俺は結局そんな言葉を付け足してしまった。

 尤も、余計に気恥ずかしくなっただけだったが。


 気が付くと、カサネも明日香の逆の手を握っている。

 昨日の遊園地から、カサネと明日香の距離は妙に縮んでいた。


 三人で手を繋ぎ合ったこの状況は歩きづらい事この上ないが、妙な既視感と共に湧き上がる感情は、決して悪いものでは無かった。


 そのままゆるゆるとした時間を感じつつ歩くこと十分、明日香は大きなビルの前で立ち止まる。


「あ……」


 明日香の小さな声が耳に届いた瞬間に明日香は俺達の手を振りほどき、小走りでビルから出て来た女性の方へと駆けてて行く。


 あの女性、以前明日香の家に行った際に写真で見た。

 恐らく、明日香の母親だ。


 俺とカサネは無言のまま明日香の様子を見ている。

 なんだか緊張するな。


 小走りだった明日香が、ようやく女性の前で足を止めた。


 じわじわと二人の距離が縮まる。


 一歩、一歩、いよいよ二人の距離は話せるくらいにまで近づいた。


 女性は軽く明日香に視線を向ける。

 そして、そのまま明日香の横を通り過ぎて行った。


 マジか……。


 これは明日香の母を見た瞬間に予想できていた結果だ。

 だが、いざその時が訪れてみると俺は想像以上にショックを受けている。


 女性と明日香の距離が更に開いても、明日香は女性を追いかける事も、呼び止める事もしなかった。


 俺はその様子をただ呆然と見つめている。


 その間にも多くの人が道を流れ過ぎていく。


 しかし俺には、やけに周囲の音が遠く感じられた。


「……まあ、こんなものですよ」

 妙に冷めたようなカサネの声が、耳に届く。


 こんなもの、なのだろうか?

 十数メートル先で佇む明日香を見て、俺はどうにも動けずにいた。


 親の関渉を疎んできた俺には、親の関渉を求めてきた明日香に向ける言葉を思いつかない。

 だから俺は、雑踏をかき分けて明日香の元に辿りついても何も言えずに、ただ手を引く事しかできなかった。


 何とも言えない気分で、神社を目指す。

 見慣れない道を、初めて見る建物を、次々に通り過ぎる。

 その間も何度か明日香に話しかけようと試みたが、結局口は開けないまま既に五分が経過した。


 そもそも、何かを言えと頼まれた訳でも無いのに何かを言うのは、傲慢なんじゃないか?

 本当のところ俺は今も心の何処かで、親に関心を向けられないのはそんなに辛い事なのかと疑ってすらいるのだ。


 ……心を読みたい、本当にそう思った。


 横目で明日香を見る。

 浮かんでいる表情は、諦めだろうか?

 いや、納得か?

 分からない。


 明日香は何時も明確に自分の気持ちを表に出していた。

 だからこそ、今の押し隠された明日香の心が俺にはさっぱり量れない。


 明日香は俺の右手を強く握っている。

 その握る力の意味すら理解出来ない事が、俺はもどかしくてしかたがなかった。


 何か、何か明日香に言えないか?

 明日香の欲しがっている言葉。

 明日香の求めている救い。

 そんな何かが……!


「……なあ、明日香」

 俺は重苦しい沈黙耐えきれず、考えなしに口を開いた。


「なあに?」

 明日香が、つぶやくように返事をする。


「俺は……」


 俺は、何だ? 何て言う?

 探せども探せども紡ぐ言葉は見当たらない。


 ふと、期待するような明日香の表情が目に入った。


 あ、ああ、うん。

 いや、分かってはいる。

 俺は分からない気になりたかっただけで、予想はついていた。


 明日香はずっと親に興味を持って欲しいと言っていた事を覚えているし、俺を親代わりだと思うなと言った時に明日香が残念そうな顔をした事も覚えているのだ。


 つまるところ、この一瞬だけでも俺が明日香の親を演じてやれば良い。

 そうすればきっと、明日香は嬉しそうに笑うのだ。


「俺は、お前の……お前の…………」


 明日香の期待したような、諦めたような、初めて目にする、そんな顔。


「…………俺は、お前の友達だ」

 口から出たのは、正しいけれど決定的に間違った言葉。


 果たして、期待するように俺を見ていた明日香の表情は残念そうな笑みに変わっていた。


「……そう、うん、そう」

 明日香は心を飲み込むように、小さくそう口にする。


 モヤモヤとした気持ちが胸にわだかまる。

 無理だった。

 俺には一時さえ親という肩書を背負う事が恐ろしかったのだ。

 他人の気持ちは分からないという事実に甘えた。

 明日香の欲しい言葉は分かっていた筈なのに……。


 親の呪縛を無視して人の為に動くという、いつか固めた俺の決意はあっさりと覆ってしまった。


 感情がまだ落ち着かない内に、俺達はどうやら神社に着いてしまったらしい。


 場に対する違和感が増し、空気が震える。

 周囲の家々とアスファルトは青空に解け、鬱蒼とした木々から日の光が零れ始める。


 今まで二度立ち入った石階段のその先に、俺は立ち入ったのだ。


 小さく息を吸う。

 今の沈んだ気分では、変わった景色に大した反応をする気にもなれない。

 白けた目で境内を見渡す。

 随分と小さく、古ぼけた神社だ。


 ……ん?


 気が付くと、目の前に見知らぬ幼女が立っていた。


 幼女と目が合う。

 瞬間、俺の萎えていた意識が急激に張り詰めた。

 だというのに、身体の全てが委縮して言うことを聞かない。

 今の状況は上梨が怪物化した時と同じだが、緊張と恐怖の大きさが段違いだ。


 幼女の瞳に宿る何かが、相対している存在を尋常の者ではないと全身全霊で訴えかけてくる。


 幼女、いや、神がその小さな手を俺の頬に添わせた。

 呑まれそうなほどに黒い瞳と、俺の目が合う。


「旦那様……ようやく、逢えた…………」


 神の言葉に、俺はただ茫然と黒い瞳を見つめ続けた。

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