第38話 恐怖

 ジェットコースターに乗らんとする有象無象が長蛇の列を成している。

 遊園地に来たから乗るのが当然だとでも言いたげな奴らの姿は、まるで女王に支配された蟻の群れだ。


「なあ、本当に乗るのか? そうとう並んでるみたいだぞ?」


「大丈夫、ジェットコースターに乗れる人数を考えたら、十分も待たずに乗れるから」

 上梨は、何も問題は無いといった様子で列に加わる。


「待て待て、ほら! あっちの船の揺れてるやつの方が空いてるし、あっちの方が良いんじゃないか?」

 ジェットコースターには乗りたくない。怖い。


「そうね、ジェットコースターに乗ったらあっちにも乗りましょう」

 上梨は、是が非でもジェットコースターに乗る気のようだ。


 こいつの妙なやる気は何なんだ。

 俺がジェットコースターに恐怖する様をそんなに見たいのか?

 ……随分と楽しそうにしやがって、サディストめ。


「俺は、アレだ、ちょっとジェットコースターは、アレなんで、揺れる奴に備えてベンチで精神統一しとく」

 お前はこのまま一人で楽しんでくれ。

 乗った人間が一様に叫ぶような物体に俺は乗れない。怖いから。


「え……あ、ええ、ごめんなさい。一人で、はしゃいじゃって」

 俺がそそくさとベンチに向かおうとすると、露骨に上梨の表情が暗くなる。


 なんだその反応は?

 上梨は、嫌がらせの意志ゼロで俺をあの拷問器具に乗せたがっていたのか?

 将来の夢は拷問官なのか?


 本当に俺は乗りたくないぞ。

 じっとりとジェットコースターを睨みつけると、俺の恐怖をあざ笑うかのように乗客の悲鳴が響く。


 ……乗りたくねえ。

「そんなに上梨はアレに一緒に乗りたいのか?」


 俺の質問に、上梨は慌てた様に言葉を紡ぐ。

「え、あ、い、一緒にというか前に乗った時に楽しかったから。それで、前に貴方は乗れなかったし……私は、これが一番良いと思って」


 なるほど、本当に嫌がらせの意志はゼロで、こいつなりに俺を楽しませようとしていたのか。



 ……これ、俺の為に俺の嫌な事をする行為、母親と同じだ。


 同じな筈だが、何故だか不快感が無い。

 訳分からん。

 なんで嫌じゃないんだ?


「とりあえず、ジェットコースター乗るか」

 分からないから、とりあえず拷問器具に乗る事にした。


「え、え? 大丈夫なの? もし私に気を使っているのなら、その必要は無から」

 上梨が不安そうに俺の顔を見てくる。


 俺が大丈夫かと問われると、大丈夫ではない。

 ジェットコースターは怖いし、母親と上梨の相違点は見つからない。

 だというのに、いつも胸に燻ぶっている不快感だけが存在しないのだ。


 本当に、訳が分からない。

 分からないが、上梨に暗い顔をさせてまでジェットコースターに乗りたい訳ではない事は確かだ。

 ……はあ、またこの感情か。


 カサネに話を聞くと言った時と同じ気持ち。

 恐らく、人の為とか、力になりたいとか、そういう名前がついているアレ。

 俺らしからぬ、実に真っ直ぐで善良な感情だ。


 親の呪縛にがんじがらめにされたこの感情を、俺は持て余している。

 だから俺は、ジェットコースターの恐怖に意識を向ける事でその感情から逃げる事にした。


 あー、本当に怖い。

 これは怖い。

 ジェットコースターに乗ってる奴が出す悲鳴、なんであんなに甲高いんだ?

 男も乗っているんだから、野太い悲鳴も混じってしかるべきだろ。


 だいたい、アレは何故あんな騒音立てて走行しているんだ。

 もっと陽気な音楽とか流せよ、遊園地ってそういう場所だろ。


 そういえば、明日香達は何に乗ってるんだろう?

 ……そもそも、乗れるのか?

 明日香は意外としっかりしているとはいえ、小学生だし。

 カサネは相当の世間知らずだ。

「なあ、上梨。明日香とカサネを二人で遊園地に放って大丈夫だったかな?」


「大丈夫でしょう。あの怪物、明日香ちゃんと使役関係にあるみたいだし、少なくとも襲われる事は無いと思うわ」


「え、あいつ明日香に飼われてんの?」

 初耳だ。式神って奴かな? 羨ましい。


「契約は結んでいないみたいだけれど……まあ、強い従属の繋がりが見えたから、飼われていると言っても問題ないわね」


 なんて事無さそうな顔で、なんてこと言っているんだ、こいつは。

 小学生にセーラー服の少女が飼われているのは明らかに問題あるだろ。


 全く、とんでもない変態が思わぬところにいたものだ。

 これでは、こいつのノートで俺が明日香のペットだと紹介されていてもおかしくない。

 ……本当に書きかねないな。


「お前、ノートに俺を明日香のペットだとか書いてないだろうな」


「書かないわよ、そんな事。だいたい、何で貴方が明日香ちゃんのペットなの? 飼われたいの? 私が飼うわよ?」

 上梨がムッとした様に俺の顔を見て、サッと俺の手を握る。


「ほら、か、飼い主はきちんとリードを持っていないと、ね?」

 顔を赤らめ、少し言葉に詰まりながらも上梨は最後まで言い切った。

 尤も、その後すぐに目は逸らされたが。


 ……照れるなら変な事言うなよ。


 目を逸らしても手は繋いだままにする上梨の気概は評価するが、そのせいでなんとも言えない気まずい空気が漂っている事は事実だ。

 何か話し逸らさなきゃ。


「そういえば、上梨はオカルト詳しかったよな?」


「え? ええ、十年近く学んではいるから。その、貴方にその気が有るなら、今度何か魔法とか教えるけど……?」

 上梨は、露骨に教えたそうにしている。

 恐らく、人に何かを教えるのが好きなのだろう。

 前に明日香にも魔法を教えていたし。


「魔法じゃなくて、大蜘蛛様っていう神様について教えて欲しい」


「……やっぱり、あの娘について行って願いを叶えてもらうつもりなの?」

 上梨は、妙に心配そうに眉を顰めている。


「なんか不味いのか?」


「大蜘蛛様は、私と同じせんゆう様の落とし子だから……」


 大蜘蛛様がせんゆう様の落とし子?

 つまりカサネは落とし子の娘か。

 じゃあカサネも落とし子……いや、叔父さんが前に落とし子の性質は遺伝しないって言ってたな。

 なら、カサネはせんゆう様の落とし子とは別の怪物で、あー、ややこしい。


 ギブアップだ。

「分かりやすく説明してくれ」


 上梨は、少し嬉しそうに自分の持っている情報を語りだした。

「なら、大蜘蛛様の伝説について簡単に説明するわ。大蜘蛛様はもともと、この千雄町に住んでいたの。だけど血縁喰らいの罪で山に追放されて、運よく隣町の東小石町にたどり着いた。ちなみに、この部分は記憶の残滓から読み取った公にはなっていない情報よ」


「記憶の残滓って何? あと、大蜘蛛様って人間だったのか?」


「大蜘蛛様は私と同じような感じね、見かけは人間と変わらない筈。まあ、最後にはその名の通り大きな蜘蛛の姿になったそうだけれど。それと、記憶の残滓というのは強い怪物や術士が大きく感情を動かしたときにその場に残る魔力の事。上手い事解析出来たら、その時の思考や記憶が読み取れるの」


「なるほど」

 デカい恐竜の足跡が化石になるみたいな感じか。


 というか、強くなっただけで記憶読まれちゃうのかよ。

 俺、魔法勉強するの止めとこうかな……。


「じゃあ、続けるわね。大蜘蛛様は辿り着いた東小石町でも、よそ者として迫害されていた。でも、そこで物好きな旅人の男に出会って、そのまま結ばれて幸せに過ごすの……ちなみに、この時の記憶の残滓も残っていた。そこで何度も大蜘蛛様の独占欲が刺激されているのに捕食行為が発生していなかった事から、捕食衝動が成長と共に沈静化するという仮説が立ったの」

 上梨は、そこで一区切りつけると真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。


「ここからは、余り気持ちのいい話ではないから覚悟して聞いて」


「……分かった」

 聞きたくねえ。

 迫害されていたけれど白馬の王子様と結婚してめでたしめでたし! いかにも嘘っぽくて、おとぎ話にピッタリじゃないか。

 本当に、このままありがちなハッピーエンドで終わっとけよ。


 俺のしかめっ面を無視して、上梨は語りだす。

「結婚して二人は幸せに暮らしていたけど、大蜘蛛様が何度身ごもっても女の子しか生まれず、次第に大蜘蛛様の不安が募っていった。男の子を産めない自分が捨てられるんじゃないかと危惧したの」


 上梨が一つ呼吸を置き、心底気分が悪そうに言葉を続ける。


「大蜘蛛様は五人目に産んだ子も女の子だと分かった瞬間に、その子を殺して他人の赤ちゃんとすり替えた」


「……マジか」

 遊園地でそんな話するなよ。

 聞いたの俺だけどさ。


「子供が小さい内は、念願の男の子だと旅人の男も喜んでいたけれど、子供が成長するにつれて息子の風貌が自分や妻と似ても似つかない事に気が付いた。大蜘蛛様にその事を問い詰めて真実を知った男は、大蜘蛛様を捨てて家を出たの。それで男に依存しきっていた大蜘蛛様は気がふれて、娘を全て殺し男の後を追った。けれど結局逃げた男を見つけられずに自殺したわ」


 娘皆殺しにして最後に自殺とか……簡単に説明するとは言っていたが、それにしても展開が早すぎる。

 カサネも、殺された娘の中に入っていたんだろうな。 


「これで終わりか?」


「もう少し続くけど、後はありきたりな感じね。未練で悪霊として黄泉帰った大蜘蛛様が暴れ回ったから、高名な僧に封印されて、怒りを鎮める為に神社に祀られて終わり」


 その展開は、ありきたりなのか……?

 まあ、おとぎ話界隈では、あるあるなのだろう。

 そんな界隈があるのか知らんが。


 微妙な気分で天を仰ぐ。

 丁度、走り回っていたジェットコースター戻ってきた。


「あ、もう私達が乗る番になるわね」

 そのまま上梨は受付にフリーパスとスタンプラリーの台紙を見せに行く。


 俺、この気分のままジェットコースター乗るのかよ……。


 カサネが生前親に殺されてる可能性だとか、その殺した本人に俺は日曜会うのかとか、色々と整理したい感情が山ほどあるんだが。


 だけど一つ確かに言えるのは、カサネの力になりたいという善良極まりない俺の気持ちが今も変わっていないという事だ。


 本当に、カサネに過去の自分を投影して善良な感情を湧き立たせている様は反吐が出そうだ。

 しかし、それは確かに俺の感情である。


 俺はサカネの力になる事で自らの善良さを肯定して、親の呪縛と決別する。

 本当の意味で上梨の為に動こうとしたあの時のように。

 今度は明日香の力を借りずに、母親とは違う形で人の為に行動してやる。


 明日香も上梨も変わり始めている今、俺だけダラダラ過去に縋り付いてもいられない。


 ……よし。決意を新たにしたんで、ジェットコースターはパスできませんかね?

 いや、まあ自分で乗るって決めたんだけどさ。


 俺は粛々と、ジェットコースターに乗り込んだ。

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