第36話 覚悟

 神の蛹に凄いと評されながらも、子供に全く敬われる様子が無いこの男は、本当に妙な奴だ。


 男が結界の中で、私が話を聞いて欲しがっていると言った時は本当に驚いた。

 言われてみれば、確かに私は誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。


 あの時は気が付かなかったが、監視している間だけでも私の話を聞くと男に言われ、何故だか少し男の事が気になったのも、つまりはそういう事だったのだろう。


 数百年前に母と共に黄泉帰ってから、母は消えた父以外に一度も興味を持たなかった。だから、自分が誰かに話を聞いてもらえるなどという状況を、そもそも私は想定すらできなかった。

 そんな想定すらできなかった私の欲求をあっさりと暴いて見せたこの男は、人の心を読めるようになりたいなどと宣っている。

 これでもまだ、読めていないというのか?


 全くもって、本当に妙な奴である。


 男を観察する。

 ずいぶんと楽しそうな様子だ。勉学とは、それほどまでに面白いものなのだろうか?


 よくもまあ自殺願望が毛ほども無い癖に、神の蛹の隣であれだけ楽し気に振舞えるものだ。

 いくら蛹は無害だといっても、ものには限度というものがあるだろう。

 ……いや、妙な男の事だ、そういう存在だと考えた方が良いのだろう。


 そうやってぼんやりと男を観察していると、少しずつ眠気が強くなる。

 この男を観察していても、何も分かる気がしない。

 もういい、このまま寝てしまおう。


 +++++


 母がいる。

 …………夢か。母は八百万の願いを叶えるまで境内から出られない。


 そんな思考とは裏腹に、眼前に座す母の瞳に揺らめく狂気は、夢が作り上げた幻影などでは無いと主張している。


「……大蜘蛛様、夢に介入する事もできたのですね」


「愛の力、じゃよ?」

 幼い見かけ通りの純粋さを感じさせる母の笑みは、しかし私に狂気という言葉を連想させた。

 狂気に気圧されそうになった時、男の言っていた私が話を聞いて欲しがっているという言葉を思い出す。


 ……案外、私の話をしたら普通に聞いてくれるのではないのだろうか?

 思えば、私から母に話しかけようとした記憶も無い。


 私達の元を去った父への執着に狂って、母は私の事など見えていない。ずっとそう考えていたが、それは私の妄想に過ぎないのかもしれない。

 もしかしたら私の夢に出てきたのも、私の報告を聞く為なのではないか?


 そんな風に考えると、とたんに話したい事が次から次へと溢れてくる。

 こんな事は初めてだ。


「私、現世で色々な面白い者を見ましたよ! その中でも特に妙な男がいるんです」


 更に私が言葉を続けようとすると、それに被せる様に母に遮られる。


「そうか、今日はよく囀るのじゃな。それでの、数日だか数刻前だかに結界内に旦那様によく似た魂の者が結界に触れての? すぐにお前に追わせようとしたのじゃが、お前を遣いに出しておったのをすっかり忘れとった。夢に介入などという芸当した事が無かったんじゃが、やってみたらあっさりとできたのじゃ! これも妾の旦那様への愛の成せる業じゃのう、くふふ、くふふふふ」


 そうやって母はひとしきり笑った後、きょとんとした二つのどんぐりまなこで私を見つめる。


「む? お前、何故まだここにおる? 旦那様に似た魂を持つ者を早く連れてくるのじゃ」


 本当に純粋な瞳で、母は私を見ていた。


 ……そうだった。

 あの男が妙なだけで、これが普通だ。

 そう理解すると、私は私がいつもの自分に戻ったのを感じた。


 昔から母の瞳に揺らめく狂気には、父の姿しか映っていなかったのに、何故母が私の話を聞くだなんて勘違いしたのだろう?


 もう、溢れるほどあったはずの話したかった事は、一つも思い出せなかった。


 +++++


 夢から覚める。

 目を開くと、子供が熱心に私を見つめていた。


 幼い少女の姿が母と重なり、肩がビクッと震える。

 その事を誤魔化す為に、私は寝具に横になったまま子供に質問した。


「……あの男は、何処に行ったのですか?」

 たぶん、母の言っていた旦那様に魂が似ている男とは奴の事だ。


「たかしは、かみなしさんを家まで送ってる!」


 随分と興奮した様子で、子供は男の居場所を告げた。

 何がそんなに面白いのだろう?

 蛹が羽化する可能性に思いを巡らせているのだとしたら、見かけに依らず随分と悪趣味な事だが。


「ねえ、お姉ちゃん! 名前教えて! そしたら、すごいこと教えたげる!」


 急に名前を聞かれた事に面食らう。

 もしかして、この子供も私の話を聞こうとしているのか?


「……カサネ、です」


「カサネちゃん! いい名前! 私は、明日香! じゃあ、じゃあ、すごいこと教えるね!」


 子供は私の耳元に口を寄せ、興奮を抑えながら小さな声で話し始める。


「たぶんなんだけど、かみなしさん、たかしのこと好きだと思う。秘密だからね?」


「好き……というのは、愛しているという事でしょうか?」

 私は、恐る恐る子供に確認する。

 もしこの『好き』が『愛』を意味するのなら、あまりにも私の母と父に似通った境遇だ。


「たぶんそう! かみなしさん、ず~と! たかし見てたし! なんかデレデレしてたから!」


 ずっと見ていて、デレデレ……母と同じだ。


「それは……たぶん……愛、ですね……」


「でしょ! でしょ! だからね、おうえんしようと! 思って!」


「何故ですか?」

 神と人の恋路など、上手くいくはずもないというのに。


「えっとね、私ね、ねる時にたかしと、かみなしさんのこと考えて、こわくないようにしてるの。それでね、私と仲良しの二人がラブラブだったら、なんか、お父さんとお母さんみたいで、いいなって思って。だから、おうえんするの!」


 そう言った後に子供は、たかしは嫌がると思うからこれも秘密ね、と指を唇に当てた。


「明日香様は、両親がいないのですか?」


 私の言葉を聞いて、子供は寂し気に眉を動かす。


「いるけど、二人とも私のこと、どうでもいいから……」


 私と、同じか。

 私の暗い表情を見て、子供は慌てて言葉を付け足す。


「えっと! えっと! 次の時にお母さんに会いに行って、それでもうお母さんとお父さんのことは終わりにするから! 気にしないでいいよ! 私は、たかしと、かみなしさんが、お父さんお母さんみたいって! こっそり思ってるから! だいじょうぶ!」


 半ば諦観の念が混じった笑顔を向ける子供の姿が、神と人の恋路の末路を知る私には余計に痛々しく感じられた。


 ……話をするって、こういう事なのか。

 今まで、なんとなく自分が誰より不幸な気がしていたけれど、もしかしたら私の漠然とした不満など、実に有り触れたものなのかもしれない。


 この子供の方が私なんかより、よほどしっかり自分について考えている。

 私が自分の願望を自覚すらできていなかったのも、私が考えなしに流されるままに生きてきたからではないのか?

 そうと思うと、自分が本当に恥ずかしい。


 ……眩しいな。


「明日香様、私も明日香様に協力させていただけませんか?」

 そうする事で、私は私に成れる気がするから。


「え! 手伝ってくれるの! やった! じゃあ! たかしが帰ってくるまで作戦会議ね!」


 明日香様は嬉しそうに微笑み、そのまま二人を恋仲にする方法について楽し気に語り始めた。


 神と人の恋路も、別の神の力があれば……きっと神と人は一つになれる。

 私は明日香様の話に相槌を打ちながら、覚悟を決め拳を小さく握り込んだ。

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