第35話 鳥渡

「お前は、下に行って一緒に泣かなくていいのですか?」


 なんとも身も蓋も無い言い草だ。


「いや、俺は別にいい。そもそも、あそこに混ざれる気がしない」


 一階から聞こえてくる二人の泣き声は、察するに上梨の問題の解決を意味している。

 それ自体は良い事だ。うん、良い事だ。

 しかし、その事実とは無関係に俺は彼女らの泣き声に居心地の悪さを感じている。

 小学生の頃、毎日のように母に泣きながら謝っていた記憶が蘇るのだ。


 そんな場違いな記憶を脳の片隅に浮かべている俺は、あの場に混ざるのに相応しくない。


「…………」

 俺の答えがお気に召したのか召さなかったのか、セーラー少女は詰まらなさそうに俺の操作するゲームのキャラクターが死ぬ様を見つめていた。


 そういえば、上梨の問題が無くなったから日曜の神社にも行く予定も無くなったのか?

 もしそうなら、さっさと俺だけでも神社に行ってセーラー少女との約束を履行しておきたいし、後で明日香に聞いておこう。


 ……あ、そうなるとこいつに言った『監視してる間だけでも話を聞く』という約束を違えるみたいで少し気持ち悪いな。いや、違えてはいないけど。


 そもそも、俺はこいつの話を聞いてどうするつもりなんだ?

 こいつは話すことで救われるのか?

 こいつは話を聞いて欲しいのか?

 あの時は話を母に聞いてもらえないこいつを自分に重ねて、咄嗟に話を聞くなんて言った。


 しかし、こいつは話を聞いて欲しいなんて一言も言っていない。


 怖気が走る。

 俺は無意識のうちに、こいつが話を聞いて貰いたいという妄想が正しいと言う前提で約束だ何だと考えていた。


 自己嫌悪が加速する。


 これでは、俺と母とに大差はない。

 その事実に思考が至った瞬間、俺は周囲の目がどうでもよくなりコントローラを放った。


 ベッドに顔を押し付けて、視覚を閉ざす。

 最悪の気分だ。

 明日香や上梨と違って、俺一人だけ糞みたいな変化をしている。

 これならいっそ、変わらない方が良かったんじゃないか。


 ……そんな事を言って、今更二人と離れて全て無かった事にする気など無いのだけれど。


 急にベッドに顔を擦りつける俺を不審に思ったのだろう、セーラー少女が声をかけてくる。

「お前、急に寝転んでどうしたんです? ぽんぽん痛いのですか?」


「……俺、人の心が読めるようになりたいよ。そうすれば、何がどうなっても母と同じになる事は無い。結局俺も、人の話に興味なんかなくて適当に一般論で考えてるんだ。前はこんな事なかった筈なんだ。いや、違う、前々から人に興味なんか無かった。むしろ、変に関わったから人に一般論を重ねるようになって、だから、つまり、あ」

 口に出して、冷静になる。

 ここまで未加工な思考をぶちまけるつもりは無かった。

 本心なんてものは、取捨選択して出さないと嫌悪と否定しか生まない。


 恐る恐る、セーラー少女の顔色を伺う。


「なんだ、お前。私の話を聞くのが嫌になったんですか。私の母に頼めば、心の一つや二つ読めるようになりますよ」

 最初に会った時と同じような無表情で、同じような興味の失せた目で、セーラー少女は俺を見ていた。


 ほれ見ろ、さっそく地雷踏んだぞ。

 この反応を見るに、どうやらこいつは俺の勝手な妄想の通り俺に話を聞いてもらいたかったらしい。

 善意で嫌がらせをするという完璧に母と重なる事態は免れたようで、ひとまず安心した。

 良かった、これなら俺としてはギリギリセーフラインだ。


 俺が一人胸を撫でおろしていると、セーラー少女がサッと立ち上がる。


「もう、待つのも面倒です。神社に連れて行くので、さっさとお前の願いを叶えて下さい」


 瞬間、周囲の景色は今朝見たばかりの石階段と鳥居に置換されていた。

 まさか、一日に二階も同じ奴に神隠されるとはな。


「ほら、呆けていないで立って歩け。私にお前をおんぶしてあげる気はありませんから」


 セーラー少女はこちらを見もせずに、無表情で無限にも思える階段を上り始める。

 どうやらこいつは、俺に見切りをつけたようだ。


 まあ、そんなもんだ。

 こいつは恐らく、自分の話を聞いてもらえずに育ってきた。

 つまり期待していない状態がデフォルトなのだ。

 そんな中で、ほぼ初対面の俺が話を聞いてくれるかもしれないなどという期待は、吹けば飛ぶほどに脆いものだったのだろう。


 実際、俺が地雷を踏んで期待を吹き飛ばした訳だし。


 俺もダラッと立ち上がり、セーラー少女の3メートルほど後ろからペタペタと石階段を上り始めなかった。


 普通に無理だ。

 無限に思えるほどの石階段、等間隔に並ぶ鳥居、横を向けば代り映えのしない木々、これほどモチベーションの湧かないローケーションも珍しい。


 階段上りとか、野球部の練習内容かよ。

 どうしても俺にこの階段を上らせたいのなら、俺を坊主にするか背負うかの二択を選んでもらうぞ。


 俺は、徐々に遠のくセーラー少女に念のこもった視線を送る。

 ……しかし、セーラー少女は石階段を上るばかりで、一向に俺を背負おうとも丸刈りにしようともしなかった。


「おーい! おんぶしてくれ!」

 セーラー少女は二択を選ぶ気配が無いので、代わりに俺が背負ってもらう事を選んだ。


「…………」

 俺の言葉にセーラー少女は立ち止まり、俺を凝視する。


「……なんだよ」


「お前は恥を知らないのですか?」

 虫を見るような目で、セーラー少女は疑問を呈してくる。


「いや、むしろ恥知らずはあんたの方だろ」


「は?」


 は? って、お前、ただでさえ表情筋が死滅してるせいで圧が強いのに、更に威圧的な言葉を発するな。怖いだろうが。泣いて謝るぞ?


「えーと、あれだ、俺に神社に来て欲しいのはあんたで、その為に必要な労力としてこの無駄に長い階段を上る必要が出てきている訳だ。つまりさ、おんぶはしないにしても、日曜に行く予定を早めてまで俺に神社に来て欲しいとお願いする立場にいる以上、あんたは俺の要望を聞くか、せめておんぶの代替案を提示するべきなんじゃないのか? そして、その努力を怠り、あまつさえ俺を恥知らずと罵る事こそが真の恥知らずなのではないか俺は指摘したんだよ」

 俺は、泣いて謝らなかった。


「……はあ」

 セーラー少女はダルそうにしゃがみ込み、俺に背を向けてくる。

 おんぶしてくれるという事で良いのだろう。


 ……こいつ、本当に自分の意見が聞いてもらえないって諦めてるんだな。

 上梨はいつもこういう時に嬉々として論破してくるから、論破される気で適当まくし立てたんだが、こいつは反論する気配が全く無い。


「ほら、早く乗って下さい」

 しゃがみ込んだまま、後ろに伸ばした手を振って催促してくる。


「あ、はい」

 ゆっくりとセーラー少女に跨り、そっと肩に手を添える。


 俺が乗った事を確認したセーラー少女は、思った以上にあっさりと立ち上がり、テクテクと石階段を上り始めた。


「……重くないか?」


「いいえ、別に。悪食の神の怨念で黄泉帰った以上、私も怪物の端くれですから」


「やっぱり、あんたも上梨と同じような怪物だったんだな」


「同じ? どちらかと言うとあの存在は、もう怪物というより神でしょう? 私の格では到底及びませんよ」


「まじかよ」

 上梨、神だったんだ。


 俺が頼んだんだけど、俺って今怪物に背負われてるのか……。

 このまま神社に着いたら食われるなんて落ちは無いよな?


「あんたも怪物ならさ、なんか人食べちゃうみたいな性質とかあるのか?」


「……なんですか、お前は。さっきから妙に私の事を質問して、別に気を使わなくたって取って食ったりしませんよ。だいたい、お前は私の話を聞くのが嫌になったんじゃないんですか?」


「あんたの話を聞くのが嫌になったというよりは、無意識にあんたが話を聞いて欲しがってるって勝手に断定して善良ぶっていた自分が嫌になってた……っていう、まあ、そんな感じ」

 何となく反応見てその断定が正解みたいだったから、一先ず小康状態に落ち着いていただけだ。

 そして、恐らくセーラー少女の次の一言でその断定が正解かどうか判明する。ドキドキである。


 もし『セーラー少女が話を聞いて欲しがっている』という妄想が正しくなかったら、恐らく俺は3日間くらいナーバスになる。

 そして4日目の朝に、俺はしょうもない人間になっている筈だ。


 緊張でじんわりと滲んできた手汗が、セーラー服を濡らす。

 俺は無言で少女の後頭部をじっと見つめて、次の言葉を待った。


「……妙な奴ですね」

 そう言うと彼女は立ち止まり、気づけば石階段と鳥居は消え、俺達は自室のベッドの上に戻っていた。


 結局、俺の妄想が正しかったのかは分からなかったな……まあ、良いか。


 俺は再びコントローラを手に取り、画面端に立ち尽くしていたキャラクターを動かし始める。

 セーラー少女も、少し前と変わらずゲーム画面を無表情で見つめている。


「私の名前、カサネです。次から、お前はそう呼んでも良いです。別に、呼ばなくても良いですけど。でも、ちょっとは呼べ」

 こちらに見向きもせず、セーラー少女はカサネと名乗った。


「あ、おう、分かった」

 とりあえず、俺に見切りをつけるのはもう少し様子見といったところだろうか?

 何にせよ、俺の神社行きはもう少し先になったようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る