第57話 「愚直のゆーくん♡」
(祐志視点)
円花の暴走は、止まる気配を見せない。
こうなることは予想しえた。バネを強く押さえつければ、手を離したときの反動は、より大きくなるのだから……。
「よくできましたね、ゆーくん」
「……」
「ゆーくん?」
「……いや。その、なんといったらよいのか」
「遠慮せずにいってください。私、怒りませんから」
やや
「もう、夕方だね」
「正確には、午後四時三六分二〇秒をまわったところですね」
「ご丁寧にどうも」
陽が傾きつつある。外ではカラスが鳴いていて、きょうという日が、後半戦にさしかかったことを知らせていた。
「いろいろやりましたね」
「あの手この手と、よく思いつくもんだよ」
「朝飯前ですよ」
先輩ごっこ、後輩ごっこ、赤ちゃんプレイetc……。
年齢、性別、シチュエーションは数知れず。ときには、人間という種の垣根をこえた。
相手を飽きさせないための創意工夫を、円花は凝らしていた。これには俺も、心を奪われたというしかない。
ことわざに、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というものがある。円花の放つ銃弾は、下手というより、むしろ凄腕のスナイパーの銃弾だった。
銃弾は、性癖という名の壁を、蜂の巣状態に仕立て上げていく。
銃弾に毒が塗られていることを、俺は知っている。無抵抗に受け入れてしまえば、身体が侵されることも知っている。
これまでなら、毒に対抗しようという、やや強い意志を持ち合わせていた。
いまはどうか。
毒が、体をむしばむ苦痛に、いささか快感をみいだしていた。
毒を恐れぬ者は、死を恐れぬ者だ。死を恐れぬものは、ヤンデレを恐れぬものだ。ヤンデレを恐れぬ者は……等しく変態か変人の類いだろう。
つまり現在の俺は、変態と変人の度合いを大いに高めた、救いようのない男子高校生なりえていたのだ。
「授業なんてとっくに終わっちまったな」
「私たち、とうとう悪い子になっちゃいましたね」
「円花の場合は元から悪魔だけどな」
「小悪魔と呼んでください」
「……ひどい小悪魔だ」
いいえて妙だ。食虫植物ともいえよう。虫を誘い出し、容赦なく食らいつく様子は、強かさをはっきりと示す。
レトリックをくどく用いずとも、円花が危険を孕んだ人物であることは明白であり、これまで面倒な規則を設けたり、距離をとったりしたのも、そんな円花の性質を正しく恐れてのことだった。そのはずだ。
「五時間以上拘束されていながら、嫌そうな表情をほとんど浮かべませんね」
「そうか?」
「はい。いまのゆーくんは、快楽の露天風呂に身を委ねているようですよ?」
「嘘だろう? ひどい顔をしていると思っていたのだが」
「もし信じられないなら、鏡で確認しますか?」
「いや、必要ない」
――俺は円花を恐れているんじゃないのか?
この自問自答は、即座に答えを出せるようなものではない。
肯定すれば、現在抱いている感情を押しつぶし、無視することとなる。
否定すれば、過去の円花対策は何だったのだろうか、との念を抱くこととなる。
いずれにしても、自信をもって選択できることはない。
ただ、〝肯定〟と〝否定〟を天秤にかけてみると、やや〝否定〟の方が傾くのは確かだ。
「それじゃあ、そろそろ縄を解きましょうか」
「もういいのか? きょうは特別デーなんだぞ」
「やけに積極的ですね」
「決めたルールを遵守し、心がけんとしているだけさ」
「学校をサボっておいてよくいうものです」
「……俺を縛っておいてよくいうものだな」
いうと、円花は俺の背後にまわり、縄に手をかけた。複雑な結び目が、みるみるうちに解ける。縄は一本のそれに戻り、床に落ちていった。
「以上で、特別デー・縄部門は閉会とさせていただきます」
「まだ続きそうないいぶりじゃあないか」
なんだよ縄部門って。表彰じゃあるまいし。
「だって、ゆーくんは満更でもなさそうですから」
「円花は痛いところをつくな」
「ゆーくんが単純なだけです」
「……正直だと呼んでくれ」
「愚直のゆーくん♡」
「おい、やめろって」
語尾にハートがつきそうだ。メスガキの口調を彷彿とさせる。シチュエーションプレイの光景が、記憶の回廊から、ちらりと顔をのぞかせる。
メスガキ円花の感想。悪くなかった、とだけいっておこう。
「あれれ? 顔がほころんでいますよ」
「え、まじで」
「ごめんなさい、滅んでいるの間違いです」
「殴るよ?」
「そしたら警察に届けます。これマジな話で」
「偉いじゃないか。ついでに自首もするんだろう? 人を無断で縛ったり、睡眠薬
を飲ませたりしたりした罪を償うために」
忘れてはいけないが、円花の行為は、ときおり犯罪に片足突っこんでいるようなものだ。
相手が相手なら、本当に円花が塀のむこうの人間になってもおかしくない。
「そのときには同じ牢屋にいれてもらえばオッケーですね。ゆーくんとなら……無人島、牢獄、宇宙旅行、結婚、コールドスリープ、なんでもふたりきりでやれますね」
「さらっと現実的なことぶち込んでるよ?」
「私の母と大輔さんのなしえたことが、私に不可能だと思いますか?」
「自信満々にいうもんじゃないよ」
大輔さんって親父じゃねえか。まさか夏蓮さんと再婚するとは思っていなかったけどさ、それとこれとは話が違うんじゃなかろうか。
「でも、ですよ。以前にもいいましたが、真面目に考えれば、私たちは結婚できるわけです。
いつでも私はウェルカムです。いい妻になれる自信はおおいにあります。もし心の底から私を嫌うなら、契約結婚? というものでもいいんですよ。ゆーくんの雑用係として、天寿を全うする覚悟はできています。
もしそうでないなら、私と結婚する以外の選択肢は残されていませんよ。譲歩した結婚か、一般的な結婚か。その二択なんです。私には、ゆーくんと結ばれる未来しか見えていないんです。
人生設計は完璧にできあがっています。あとは、計画を実行に移すだけなんですよ? ゆーくんはただ、敷かれたレールの上に、車輪を滑らせればよいのです。そして、〝成竹線〟の列車に乗って、長い長い旅をはじめませんか。
こちらの覚悟は、とっくにできています。出会って間もなくの頃から、私の思いは変わっていません。一途に、ゆーくんを、愛しているのです。
それに恐怖していた時期もあったでしょう。もしかしたら、いまも、その恐怖が蘇っているのかもしれません。でも大丈夫です。恐怖というのは、他の感情があることで際立つだけですから。
恐怖しかなかったら、ゆーくんにとって、それが日常となるわけです。いわば、慣れがゆーくんを苦しみから救うわけです。だって、すくなくとも、私に対する感情は変わりつつあるわけでしょう? きっと大丈夫ですよ。ね?」
それは、とうとうと語られた。
それは、演説家のそれであった。
それは、円花に対する恐怖の感情を、さらに強い感情で塗りかえるだけの効力を持ち合わせているものだった。
彼女は、完全に狂っている。ヤンデレの域を超えている。
でも……でも、俺はいいのかもしれない。この甘美な毒を、自らの意思で、吸ってもいいのかもしれない。
つまるところ、円花を受け入れても、いいのかもしれない……。
白羽円花に対する感情は、これまで、本能的に一部分は制御されていたのだと思う。何かしらの理由をつけて、彼女を好かないように努力していたのだと思う。
でも、彼女を好きになってしまうことは、それほど罪なことなんだろうか? 本性を知るまでは、兄妹の壁なんて超えてやる。そう思っていたではないか!
――俺は、円花を恐れているのだろうか?
天秤は、大きく〝否定〟の方に傾いた。
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