妖怪大戦争

 学校の一日が終わって気の緩んだ空気の中、部活に向かったり帰宅したりする生徒たちで賑わう放課後の廊下を遮る人や鞄を避けながら急いで抜け、階段を一段飛ばしに降り、先生からの注意に適当に返事をして部室に向かう。

 夏休みが明けて九月に入ったと言っても暑さは衰えることを知らず、灼熱地獄の中キツい思いをしなきゃならんのは奴らを呼んでしまった俺の業なのだろうか?

 汗だくで辿り着いた部室の錠を開けて怨みをぶつけるようにガラガラと引き戸を開け放ち叫ぶ。


「はぁ、はぁ、はぁ…… おい、お前ら!」


 そして俺を睨む六つの怪しく光るケモノの瞳。

 あの事件以来、我がオカルト研究部の部室に住みついている三人の妖怪だかなにかだ。


「……」

「……」

「……」


 筆を持って学校机で何か書いている狐のコマリ、手毬を持って佇む狸のリリ、そのとなりで尻尾をピンと立てている黒猫のくろと順に目が合い、一瞬のあいだ時が止まったような沈黙に包まれる。

 そして、


「にゃーん!」

「もう、ダメなのです! くろちゃん、私の尻尾じゃなくて手毬で遊ぶの!」

「お主たち、少しは静かに遊べんのかの、仕事に集中できんではないか」


 俺の姿を確認するなり、一瞬で興味を失った三人は俺から視線を逸らす。

 このロリケモノ三人娘め……


「おい!」

「にゃっにゃっ」

「お前ら!」

「くろちゃんダメなのー」

「こっち集まれ!」

「まったく騒々しいのう」


 それぞれの獣耳がピクリとこちらを向いてすぐにまっすぐに戻る。これは完全無視する気だな。こういう時は仕方ない。この手はあまり使いたくなかったが……


「こっくりちゃんこっくりちゃん、こちらにお集まりください!」

「……」

「……」

「……」


 その声掛けで全員が面倒くさそうな顔をこちらに向ける。ロリケモノ保育園かな?

 このくそ暑い中汗だくで急いで来たのはお前らのせいなんだからさっさと集まれ。


「あっ! お兄ちゃんおかえりなの!」

 笑顔で駆け寄ってくるリリは一見愛想良く礼儀正しそうに見えるがちゃっかりしていて人を騙すのはお手の物のタヌキ娘だ。いや、お前さっき俺のこと無視しただろ。


「……にゃ」


 ジトっと俺を一瞥してから嫌そうにリリの隣に立つくろは人間を下僕か何かだと思っているらしく俺に懐く気配すらない野良猫そのものだ。


「仕方のない奴じゃの」


 筆を硯に置いたあとぴょんと一飛びして二人に並ぶコマリは常に上から目線の自称神の使いだ。手に持っている赤い葉っぱは遠山が持ってたのと同じ奴だな。


「聞いたぞ。お前ら、学校始まってから悪さばっかりしてるだろ」

「さて、何のことかのう?」

「私たち悪いことなんてしないの」

「知らないにゃ」


 いや、もう全然問い詰める気力沸かないからはよ喋れ。


「まず一つ目。コマリ、お前生徒の弁当から稲荷寿司とっただろ」

「……ああ、あのお供え物か! お揚げさんがじゅうしぃで酢飯の加減もよくたいそう美味じゃったな! 礼として特製の護符を進呈しておいたぞ」


 満足気に手に持った葉っぱをひらひらさせながら言うのが腹立つな。


「それ、お供え物じゃないから。とられた子が気味悪がってたから取り繕っといたぞ」

「む。それはそやつにもお主にも悪いことをしてしまったの」

「俺にはそれ以上に悪いことばっかりなんだが」

「それは知らん」

「……あっそ。そういや、その護符を持ってたら良いことあるかもしれないぞって言ったらみんなに広まって明日からお供え用のお稲荷さんをお弁当に入れてくるってさ。良かったな」

「おお! お主もたまには善き行いをするのじゃのう。褒めて遣わす」


 全然嬉しくねーよ!


「じゃあ次。リリ、食堂のタヌキの置物にフンドシを履かせただろ?」

「ま、丸出しは良くないの……」

「やっぱりお前か!」

「わわっ……! でもでも、フンドシを履かせてあげるのは良いことなの」


 うーん、確かに悪意があってしたことじゃないし、実害があるわけでもないし、目を潤ませて頬を赤らめながらもじもじと言い訳をする幼女を怒るのもなんか悪い気もするし……


「はぁ、まぁ良いか」

「ありがとうなの!」


 今にも泣きそうだったリリの顔が一瞬のうちにパッと笑顔の花を咲かせる。こいつ、絶対演技してたな……


「はい次。くろ、日頃校舎内をうろうろしてるだろ?」

「なわばりのぱとろーるにゃ」

「お前の影を見たやつが気味悪がってるからやめるように」

「やだにゃー」


 ふいとそっぽを向いて返事をするこいつには何を言っても無駄か…… だいたい猫だしな。

 えーと、あとは……


 ――コン、コン、コン


「オカケンいるー?」

「うわっ!」


 普段人の寄り付かない部室に不意打ちで響く背後からのノックと呼び声に驚き飛び上がっていると、返事を待たずにガラガラと引き戸が開けられる。


「暑っつ! よくこんなところで部活できるねー」

「とっ、遠山っ!? えっと、こっ、これは、えっと……!」

「んー? 何キョドってんの? んふふ、えっちい本でも読んでた? 見せてみ?」

「そっ、そんなんじゃなくて……」


 振り返って見ると遠山がにやにやと笑いながら前かがみ気味になって俺の顔を見上げていた。

 その大きな瞳が俺の目から部室の中に移るのを見て、ハッと部室内に視線を戻す。

 奴らが遠山に見つかったらヤバい! 冷や汗が頬を伝って床に落ち、心臓が痛いくらいに飛び跳ねる。静かに息を吐き、意を決して室内を見回すと…… 誰もいない。

 どうやら奴らも機転を利かせて姿を消したらしい。たまには良いこともするんだ「にゃーん」な…… って。

 その鳴き声のする方、遠山の足元に目をやると尻尾の長い艷やかな黒猫が耳をピンと立ててちょこんと座っている。


「あっ! かわいー! この子、もしかして例の噂の黒猫ちゃんかな? 早速見つけてくれたんだ!」


 おい、くろよ。


「あー、うん、そうそう。たまたま部室の周りをウロウロしてるのを見つけて…… この辺ってあんまり人も寄り付かないから探してた子も見つけられなかったんじゃないかな?」

「さっすがー! 仕事が速い。これでいっこ事件は解決だね」


 遠山は笑顔を輝かせながらしゃがみこんで足元の黒猫に手をのばす。


「そいつ全然人に懐かないから手を出すと引っかかれるぞ」

「えっ、そう?」


 俺の忠告を聞き流すように躊躇なく黒猫の鼻先に白くスラリとした指先を差し出すと、くろはそれをぺろりと舐めて自ら撫で撫でをねだるように頭を擦り付ける。俺への反応とは大違いだ。ちなみにそのときに引っかかれた傷跡はまだ残っている。


「うにゃぁ」

「おー、よしよし。いい子だねぇ もしかしてオカケンが嫌われてるだけかも」

「にゃ」

「うん、やっぱりそっか。かしこいねー」


 機嫌よく目を細めるくろの頭や喉を撫でながらきししと笑う遠山に傷跡が疼いた。


「で、何の用?」

「あっ、そうそう。あの後、逆コックリさんは危ないらしいから絶対やらないほうがいいよーって拡散したら他の怪奇現象も合わせて怖がる子がいっぱい出てきちゃって。だからオカケンにセキニン取ってもらおうと思って」

「はぁ? 責任ってなんだよ?」

「責任は責任だよ。ふふ、女の子を泣かせて責任取らないオトコはサイテーなんだよー ね、くろちゃん」

「にゃ!」


 一体何の話だよ。


「はぁ…… わかったよ。遠山さんの言う逆コックリさんがなんで危ないのか説明するから、それで良いだろ?」

「んー、それって呪いとか幽霊とか怪奇現象的なやつ?」


 ついさっきまでにやにや笑っていた遠山は首を傾げて目を細め、その視線が鋭く俺の瞳を捉えた。不意に見せる真剣な表情に、冷や汗がすっと引くのを感じる。


「いや、ちゃんとした理由があるから危ないって言ってるんだよ。そもそも怪奇現象ってのは殆どが怖がりの勘違いか愉快犯の作り話だからね」


 毎日妖怪大戦争してる俺が言えた話じゃないが。


「ふーん、わかった。それじゃあ聞かせて。なんで逆コックリさんが危ないのか」

「うん、とりあえず中にはいって」

「はーい、おじゃましまーす」


 そうして俺はくろを抱いてたち上がる遠山を背に部室の中を回って窓を全部開け、扇風機の首振りボタンと強スイッチを押し、机を向かい合わせに並べて席を作った。

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