5「ライラ・ティッカと東の都」

第20話

 始まった旅はいずれ終わる。考えるまでもないことだ。


 北のウラド・アーマーでは懐古主義な体制に苦汁を飲まされ、西のコナハト・クノック村では予言の真偽に葛藤し、南のムム・キラーニーでは師である父との差を痛感した。他にも様々な出会いと別れと笑いと涙に邂逅した。これらはすべて主人公ライラ・ティッカの経験したことであり物語だ。あるいは長い物語のたった一章かもしれない。


 キラーニーを発った俺たちはムム地方各地の村や町をいつものように転々としながら東に進んだ。行く先々でこれまで以上に詩を語ったティッカさんは疲れていたが、それでも目は充実していることをそれこそ語るように輝き、好きなものに進むべき方向を得たように見えた。


 果ての地として訪れたのは、かつてのエリンの地において最大と呼ばれた東の大国ラギンの首都があったとされ、今も最大都市として活気と邪気に栄える港町バリャ・クリーア。木組みの家屋と石造の道。それに街の中央を流れる川とその支流。これもまた、キラーニーとは別の形で水と調和している。あちらが寄り添う形なら、こちらは寄り添わせる形とでも言おうものか。


 着いたのは昨日の夕方頃だ。


 それにしても美しい港町、か。


「水平線の先はどうなっているのでしょうか」


 そんな疑問を羽白が抱かないはずがなかった。

 港というものにはいくつか機能があると思う。正確には港に泊める船には、か。


 一つ、海産物の会得。俺と羽白は景色の良い食事所で軽食を食べながら、神殿に赴いているティッカさんを待っているが、羽白がおすすめをと言って出て来た物は見事の一言に尽きた。表面をカリッと焼いた白身の魚にオレンジ色をしたフルーツソースが添えられたもの。見た目はもちろん味もいい。これが特別なわけではなく、周囲を見ても美味しそうな海鮮料理たちが次々と平らげられている。そう、これらを得られるだけの漁がされているのだ。では、漁港なのかといえばそうでもないらしい。

 物や妖精を運んでいるのだ。それがもう一つの目的である人やものの運搬だ。羽白の抱いた疑問の起点でもある。


 俺たちのいた世界では、海を、湖を、川を、水を渡るために船が造られた。ここではない陸地を目指す為に船は用いられていたのだ。これがもし漁のためだけならば納得もしたのだが、この本では魔法というもので空を飛べるにも関わらず、妖精(人)や物を運んでいる。


「美味しそうね、それ」

「ライラさん。用事は済みましたか?」

「ええ、疲れちゃったわ」


 そう言って羽白の隣に腰を下ろしたティッカさんは、近くにいた店員に適当な飲み物を注文した。そして羽白の許可を得て皿に乗った魚を一口頬張り、思いの外早く来た飲み物で喉を潤すと、ぐでりと体の力を抜いた。


「私でも聞いたことのある方がいてねー。凄く緊張したわ」


 気疲れのようだ。


「お疲れ様です」

「ありがと。それで、なんの話をしていたの?」

「水平線の先にはなにがあるのかという話です」

「へえ、面白いこと考えるのね」


 遥か彼方に見える海の終わりに目を遣ったティッカさんは、そのまま続ける。


「確かに私もそれは気になるけど、確かめるのは無理ね」

「どうしてですか?」

「嵐の壁があるから。……昔、同じことを考えた妖精がいたのね。最初は飛んでいこうとしたんだけど、魔力の持つ距離に大地がなくて断念。次はその時大きくなりつつあった船に乗って行ったんだけど、発見されたのが嵐の壁なの」


 間を置き、声音を変えて続ける。


「ある地点から壁のように存在する荒れ狂う領域。先は見えず、触れなければ一切の風も波も雨もなんの影響も受けない不思議な嵐。それは弧を描いてエリンの地を囲んでいる。まるで、私たちを閉じ込めるように。あるいは何かから守るように」


 潮風が前髪を揺らす。


「これが理由ね」

「嵐の壁、一度見てみたいですね」


 羽白は船を見るとそう言った。

 ……まさか行かないよな。羽白でも流石にそれは弁えているか。いるよな?


「そういえば、あの大きい船はどこに向かうのですか? 沖で漁をするような感じではないですし」


 どうやら船を見たのはそういうことらしい。


「あれはエリンの地を周回するのよ。あの大きさだと接岸できる場所はここだけだけど、何か所で停泊するの。その間に沢山の荷物の積み降ろしをするの。馬車なんかじゃ一度に無理な量でも、船なら余裕だからね。妖精が乗って行くこともあるのよ。目的地まで近づいたら飛んで降りられるから楽らしいわよ」


 なるほど。そういう使い方ができるのか。魔法で飛ぶことのできるからこそ、だな。できるに越したことはないだろうが、接岸できなくてもいいんだから。


「それよりもカサネ。あの海の果てにある島や大地に行ったっていう神話がいくつかあるんだけど、聞きたくない?」

「……凄く、聞きたいです」

「じゃあ、最初は——」


 この世のものとは思えぬ美貌を持つ女の誘いで彼の地に辿り着いた青年の邂逅譚。実は彼の地の出身であった少女が配下の迎えで彼の地に戻る貴種流離譚。彼の地の少年がエリンの地に迷い込んでしまい結婚する異種婚姻譚。

 話されたいくつかの神話には明確な共通点があった。それは彼の地が理想郷として語られていることだ。常に実っている果物。温暖な気候。色とりどりの宝石と黄金で作られた町。変らぬ平和。


 未知、というものは好きに加工することができる。誰もいったことのない場所など恰好の餌だろう。実際ティッカさんの話してくれた神話は理想をふんだんに詰め込んだものになっていた。

 もしくは、行けない場所だからこそ、そうあって欲しいという願望が表れたのだろうか。ここではないものに希望を託して。

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