第114話 神の息子と地蔵菩薩様

 昼日中から飲む酒は美味い。

 世界中の大人はみんなそう思っている。明るい内から美味いものを食って酒を飲むのは楽しくて仕方ないものだ。

 中華料理屋さんでは、軽いつまみとビールに温かいスープなども入れてほろ酔いで会計を済ませる。

 瓶ビールは量が計算できてよい。ジョッキで飲む生ビールはいつも飲みすぎる。

 イエス様と地蔵菩薩様は二人で三本のキリンビール中瓶を空けて、お会計を済ませた。


「ああ、まだ夕方にもなってへんねえ」


 地蔵菩薩様が言うように、まだまだ空は明るい。鋭い冷気にぶるりとして酔いが醒める。これが、冬にやる酒のよいところだ。


「日本でしか食べれないものってないか?」


 イエス様が言うので、賑わう通りを地蔵菩薩様が見回す。すると、キャベツ焼きの屋台を見つける。お好み焼き粉のクレープにキャベツやクズ肉などを挟んだだけのものだ。


「あら、あのソース味は日本の味ですわぁ。ほら、行きましょ」


 キャベツ焼きはなかなかに複雑な歴史を持つ。

 元になったのは、南大阪で十円洋食と呼ばれていた昭和のおやつだ。

 当時は簡素ながらソース味が魅力のおやつであったが、時代が豊かになるに伴い廃れて消えた。

 それから時を経て日本中が不況に陥った平成の終わり。低コスト料理として関東で再発見され、独自の発展を遂げて復古した屋台料理である。


「ああ、美味そうだな」


 屋台のお兄ちゃんに小銭を渡して二人分を注文。一緒に缶酎ハイも頼む。

 用意されていたパイプ椅子に座り、すぐに渡されたキャベツ焼きをはふはふと口に運ぶ。ソースと油が染みた小麦粉の生地に揚げ玉とキャベツ。思いのほか、軽く食べられる。

 缶酎ハイはストロングゼロの青リンゴ。


「ふう、これはウオッカか。変な飲み物だ」


 イエス様はそう言いながらも気に入ったようだ。ぐいぐいとストロングゼロを飲み干していく。


「そんな急いで飲まんでも、お酒は逃げやしませんえ」


「時間は逃げていくものさ」


 イエス様はレイバンのサングラスを外すと、レザージャケットの内ポケットから煙草を取り出した。しかし、ここは禁煙だと気づいて元に戻す。


「イエス様って、もっと穏やかな超越者って感じの印象やったのにねえ」


 地蔵菩薩様はからかうように言う。しかし、菩薩様もそこらのおばさんといった風情なので、神々しいお姿ではない。


「期待された姿がそれなら、俺はそうするだけだよ。ここに呼んだヤツは、それを望んでないようだ。だから、俺も自由にできてる」


 キャベツ焼きの残りを口に入れて、イエス様は立ち上がった。

 アーケードの端っこで、祭りに当て込んだストリートミュージシャンがいる。明らかな悪ガキ風で、小型アンプまで持ち込んでいた。


「酔い覚ましには、悪くねえ。おい坊主、そいつを貸せ」


 イエス様はストリートミュージシャンに詰め寄ると、強引にギターを奪った。悪ガキは抵抗したが、イエス様にじろりと睨まれるとされるがままになってしまう。

 はりつけにされた上、槍で殺されるような人生を送った男の迫力だ。悪ガキごときが逆らえるはずもない。


 エレキギターをかき鳴らせば、古い音がする。

 ニルヴァーナという海外アーティストの古い楽曲だ。若者のやり切れない気持ちを破滅的に、若者の世界そのものを否定的に歌った名曲である。

 イエス様の歌声もまた街行く人々を魅了する。

 英語の歌詞を理解する人は少ない。それでも、そこにあるエネルギーだけは伝播していく。


「あらあら、神の子がグレてしもて……。ロッカーボーイってやつなのかしら?」


 地蔵菩薩様は曲に聞き入って、二本目のストロングゼロを飲み始めた。


涅槃ニルヴァーナとは真逆まぎゃくの歌やねえ」


 人間は涅槃ねはんと相性が悪い。だから、仏陀しかそこに至っていない。

 イエス様が爪弾くニルヴァーナのギターリフ。

 情熱的な歌声もフィナーレを迎えると、聞き入っていた人々からの拍手が鳴り響いた。

 救いが一つも用意されていない歌詞を歌い上げたイエス様は、満足したようだ。ギターを悪ガキに押し付ける。


「あんた、すげえよ!」


 悪ガキは語彙力がなくて、そんなことしか言えない。


「練習しろ。勉強なんかせずに練習してたら、弾けるようになる」


 滅茶苦茶なことを言うイエス様はサングラスをかけ直した。そして、地蔵菩薩様の手を引っ張って群衆の中に紛れ込む。


「ええ感じやったけど、もう弾かんでええの?」


「あんなもん遊びだ。それより、甘いもんが食いたい」


「やったら、次はそこの甘味処でなんか食べましょか」


 商店街の小さな甘味処に入ると、ちょうどテーブル席が空いていた。

 地蔵菩薩様はお汁粉とわらび餅を、イエス様はお汁粉と揚げ饅頭を注文する。

 熱い焙じ茶で甘味がやってくるのを待つことになった。

 特に話すこともなく、店内から聞こえてくる話し声に耳を傾ける。

 人々が話すのは、楽しそうだったり悲しそうだったり汚かったり。ずっと昔から何一つ変わっていない。


「なんで、俺に声をかけたんだ?」


 イエス様が言う。地蔵菩薩様は小さく笑った。


「ちょっと気になる生まれの子がいてはるんよ。それで護法童子ごほうどうじに様子を見させてたんやけど、見てたら急にイエス様が来るいうから見にきましてん。日ノ本でも大層な評判やし、神の息子がどんなお人か見てみたかったんよ」


 地蔵菩薩様は物見遊山であることを隠そうともしない。


「は、見世物になるのは慣れてるよ。……告訴状をちらつかされたんだが、昔とは違う。もうそんな時代じゃないってのに、悪魔とか天使ってヤツはな。うんざりだぜ」


「世界中があなたの誕生日を祝ってるのに、もったいないことやねぇ」


「祈られたくない日だってあるんだ」


「それ分かるわァ」


 そのようなことを言っていると、注文のお汁粉がやって来る。熱々で甘いからお汁粉は良い。白玉を少し焦がしてあるとこも気に入った。

 わらび餅はたっぷりと量があって、あげ饅頭もいやに大きい。腹がいっぱいになりそうなサービスぶり。これこそが片田舎のサービスというものだ。


「うんうん、素朴な甘さやねぇ」


「日本のもんは味がいいな。揚げたのは大雑把で気に入ったぜ」


 揚げ饅頭は和菓子の中でも特別に繊細ではない。繊細に作っている店だって世の中にはたくさんあるが、ここのはまさにジャンク和菓子! 冷凍たい焼きを油で揚げる学生向けイートインみたいな大雑把味だ。

 それでも、アメリカ名物である揚げバターよりは遥かに繊細であった。


 人に化けたお二方は残さずに平らげて店を出た。

 少し歩いて駅前のパチンコ屋に併設した煙草屋の店先へと赴く。設置されている灰皿に喫煙者が集っているので、イエス様もそれに倣った。

 ラッキーストライクをやるイエス様は、夕暮れの冬空に煙を吐き出す。

 煙は空に吸い込まれて、返礼のように粉雪が降りだした。


「そろそろ、やるべきことをするか」


 イエス様は短くなった煙草を灰皿に押し付ける。

 地蔵菩薩様はそんなイエス様を興味深く見ていた。そして、気配に気づいて視線を外す。


「あら、その子やね」


 通りがかった少女が、イエス様に目を奪われている。それはそうだろう。この子がイエス様に気づかないはずがない。

 イエス様と同じ処女懐胎により生を受けた少女、足木龍子は同族であり仇敵であるイエス様から目を離せない。


「お前がリューコか。ああ、だいたい分かった」


 処女懐胎の生まれを同じくして、性質は真逆にある。

 淫らな魔女の腹に宿り、無価値そのものとされる悪魔ベリアルに祝福されて生まれた闇の救世主。それこそが龍子だ。


「あ、う、あああ」


 恐怖、憎悪、絶望、羨望、強い感情が龍子の中に渦巻いている。それは、遺伝子に刻まれた命令であった。イエス・キリストに成り代わるための、生まれながらに背負う宿命だ。救世主は二人も要らない。


 イエス様はサングラスを外して、龍子を見つめる。そして、こう言葉を紡ぐ。


「どんな時であっても」


 神の子はそこでいったん言葉を止めた。龍子の額に手をやって、言葉を続ける。


「お前が手を伸ばすのなら俺がその手を取って救おう。お前が望むなら、俺はお前の救世主だ。それに、俺たちの親父はなんにもしてくねえってのに、愛だけは無限なんだ。困ったことにな」


 結局のところ、悪魔などというものの告訴状が有効なのは神の愛が無限であるからだ。もっと狭量であれば、悪魔のこしらえた告訴状など無効にしている。


「わたし、なんか違うものだよ。それでも、いいの?」


 龍子は誰よりも自分が【違う】ことに気づいていた。どれだけ良い子であっても、どれだけ悪い子であっても、どれも違うと知っていた。もっと、人とは違う何かであると知っていたから、魔女のユメちゃんとだけは仲良くなれた。


「ガキが遠慮すんな。お前に石を投げるヤツを、俺だけは許さねえ」


「じゃあ、あなたに投げられた石は?」


 イエス様は皮肉げに笑う。


「そいつはどうにもならねえが、痛いのには慣れてる。ガキが捻くれたこと言うんじゃねえよ」


 闇の救世主たる龍子。ベリアルとの繋がりを示す【龍の子供】は、意思に反して言葉をつむぐ。これこそが悪魔ベリアルの目論見。

 イエス・キリストは偽物であると論破する。


「自分も救えないのは誰も救えないのと同じなのに、どうしてわたしを救えるって言えるの?」


「ベリアルに言わされてんのかよ。まあいいか。人を救うのに、理由も何もいらねえよ」


「どうして? なら、あなたの存在こそ無意味になるわ」


 イエス様の口元には皮肉げな笑みが浮いたままだ。


「分かってねえな。俺こそがイエス・キリスト。神の息子だ。こんな名乗りがいつか無意味で無価値になる日まで、俺は理由なく救いを求める手を取り続ける。それだけだ。大したことじゃない。だから、ありがたがる必要もねえからな」


「理由の無い行いなど!」


「ベリアル、お前は考えすぎだ。親父はそれをしたくてたまらねえし、俺もそうしちまうんだ。いつだってな。裏切られるとか、そんなもんはどうでもいい。俺は、俺だけは裏切らないって決めただけだ。ベリアル、リューコ、二人とも俺を信じろ」


「信用に値するという証拠はあるのか!!」


 ベリアルが法廷でするはずであった追求は、意味をなさなくなっている。


「俺がどんだけ親父の息子をやってると思ってんだよ。実績を読み上げるか? 退屈なだけだぜ」


 ベリアルは今度こそ言葉を失う。

 最初から何かを覆せる相手ではない。なぜなら、彼こそがイエス・キリストだからだ。当然のことである。


 龍子の遺伝子に潜んでいたベリアルは敗北を悟る。こうなれば、ここで龍子を潰してイエス様が自ら約束した救いを反故とするしかない。


「悪魔さんの負けやねえ。悪魔さん、子供を駒にするなんてわたしの前でやったらあきまへんえ。あんたらの居場所に帰りなはれ」


 黙って見守っていた地蔵菩薩様が、龍子を背後から抱きしめた。子供の守護者である地蔵菩薩様の権能により、ベリアルの因子は【あちら側】へ、元々あるべき場所へと退去させられる。


「助かったよ、ジゾーさん」


 イエス様はそう言って、龍子の頭をなでた。


「考えようによっちゃァ、リューコは俺の妹になるのかもしれねえな」


「それより、何か凄いのが来てはるんやけど」


 地蔵菩薩様が通りの先を見てそう言った。イエス様もそちらを見やる。


「んん? リリスみてえなのと、なんかのバケモノか」


 足木夫人と間宮小夜子。

 二人の魔人が神仏に邂逅しようとしていた。

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