第87話お見合い
クリスティーナがダナンにあるエメット家に着けば、次兄のマシューが迎えてくれた。
お茶を一杯だけ飲む暇を与えられたあとは、ゆっくりするひまもなく、再びバイロンとマシューとともに、馬車に乗った。
お見合い相手の家にたどり着けば、玄関口でショール家の人々から歓迎の挨拶を受ける。
「ようこそ、お越しくださいました。わたしはこの家の当主、トマス・ショールです」
「初めまして。クリスティーナ・ジリアン・エメットと申します」
クリスティーナは一礼する。
トマスの隣に立っていた婦人が微笑んだ。
「初めまして。クリスティーナさん、わたくしは妻のイーリスです」
「初めまして。クリスティーナと申します。これからどうぞよろしくお願いします」
夫婦の後ろから、青年が進み出る。
「初めまして。ベルナール・エドガー・ショールと申します」
(この方がわたしのお見合い相手)
クリスティーナは青年を見上げた。
茶色の髪と茶色の目。
(アレクと違う――)
装飾の少ない地味な服装は、真面目な印象を受けた。
クリスティーナは心の迷いを取り払うように、さっと目を伏せ一礼した。
「初めまして。クリスティーナと申します。よろしくお願いします」
「さあさ、ここではなんですから、奥へどうぞ。ささやかながら、食事をご用意しております」
トマスが奥へと導くように、手を広げた。
廊下を進んでいる間に、付き添いで来た兄たちとショール家の人々が、楽しげに会話をくり広げる。
既に見知った相手であり、ともに領地を盛り立てるために頑張ってきた間柄である。会話が弾むのも無理はない。
クリスティーナはひとり遅れるように、一番最後から付き従った。
クリスティーナは家の中を眺めた。
床や柱は年月が経って、ここで暮らす人々の形跡が感じられる。クリスティーナもこれからそれを刻む一員になるのだが、その実感がちっとも湧かないのは何故だろう。
食事の席では、当主であるトマスが一番奥に座り、向かいに兄のバイロン。続くように、マシュー、クリスティーナが椅子に座った。当然、クリスティーナの向かいの席にはベルナールが座った。
「では全員、席についたところで、乾杯と行きましょう」
トマスが給仕人に合図をすれば、ワインが並々と注がれていく。
「我がショール家とエメット家の結びつきを祝って、乾杯!」
クリスティーナも周りにならって、向かいのベルナールとグラスを合わせた。
ベルナールが微笑んだので、クリスティーナも微笑み返した。
けれど少しも心は浮き立たなかった。
その後は運ばれてくる食事に舌鼓を打ちながら、今後の領地経営の話になったり、品種改良の幅を広げる話になったりと、クリスティーナには馴染みのない話ばかりで、その間、クリスティーナは一言も話さずに、時は進んでいった。
夫人が自慢気に説明していく食事も砂を噛むようで、クリスティーナには何の味も感じられない。
最後のデザートが運ばれたところで、それは起こった。
扉が急に開いたかと思うと、ショール家の執事が突然、飛び込んできたのだ。
「急になんだ。ノックをしないか。お客様がいらっしゃってるんだ」
トマスが怒って声をあげるも、執事は詫びる余裕もないほど、慌てていた。主人の咎める言葉ももしかしたら、耳に入っていないのかもしれなかった。その顔は目も口も最大限に開かれ、驚き一色に染められている。
「旦那様、お、お、お、おう」
「こら、失礼だろう」
トマスが叱責するため、立ち上がった。
執事はしかし、謝りの言葉さえ思い浮かぶこともできない様子で、ひたすらにはくはくと口を開く。その取り乱しようは、傍から見ていても尋常ではない。混乱して頭が働いていないのは明らかだった。
「おう、おう、おうたいし様がいらっしゃってます」
執事は説明するのが、これで精一杯とでも言うかのように、自身が入ってきた扉を指差す。
「王太子? 殿下が?」
トマスが驚きに目を丸くした。
クリスティーナははっとした。
「本当に殿下なのか? 何かの間違いじゃないのか?」
疑わしそうに口を開く。
向かえに座ったベルナールも立ち上がる。
「そうだとして何故、急に? 今日は視察の予定でもありましたか、父上」
「いや、そんな話は聞いていない」
夫人も立ち上がった。
「それが本当なら、こうしていられないわ。早く、お出迎えにあがらなくては」
急に慌ただしくなった雰囲気とは真逆に、クリスティーナの顔からはどんどん血の気が引いていった。
(なぜ、ここにアレクが!?)
今の格好を見たら、間違いなく女だと知られてしまう。そしたら、兄が迎えにきたことも、身が裂かれるように王宮を抜け出したことも、今こうしてここにいることも、全て無駄になってしまう。
クリスティーナは膝の上で、ぎゅっと拳を握った。
ショール家の人々がその場から動き出そうとしたところで、廊下からのほうから、騒がしい音が聞こえ始めた。
「お待ちください。殿下!」
複数の足音と、呼び止める声。おそらく、ショール家の使用人のものだろう。
音が間近に迫り、開いたままの扉から、誰かが入ってくるのがわかった。
「殿下――」
振り返ったバイロンとマシューがつぶやき、立ち上がる。クリスティーナは後ろを振り返らなかった。
この場で座っているのは、クリスティーナただひとり――。
クリスティーナはばれないよう、扉から顔をそむけ、顔をうつむかせた。
体が冷えて固まっていく。
瞬く間に血の気が失われていった。
(どうか、このままばれないで!)
クリスティーナの願い虚しく、足音が近づいてくる。
クリスティーナが座る椅子の横で、足音は聞こえなくなった。
隣に立つ気配がした。
クリスティーナは身を縮こませ、瞼をぎゅっと閉じた。
顔を伏せた状態では、周りがどうなっているのか、皆目見当がつかず、ただ一心にこれから起こる恐怖に、鼓動がどくどくと波打つ。
衣擦れの音がし、隣に立つ相手の気配がより一層迫るのを感じた。
なぜだかその時、花の香りのような甘い香りが鼻腔をくすぐった。
相手が口を開く。
「クリス――、いや、クリスティーナ・ジリアン・エメット。どうか、この俺と結婚してくれ」
声は真上ではなく、下から聞こえた。
はっとして目を見開き振り返れば、跪いたアレクシスの姿が目に入った。
その手には花束――。
見覚えがあった。
いつだったか、お茶会の帰りにアレクシスがくれた花だった。
アレクシスが花束を差し出したまま、口を開く。
「クリスティーナ――」
今まで見たことがないほどの真剣な光を瞳に湛えて、アレクシスがクリスティーナを見つめる。
「おまえを愛している」
クリスティーナは目を見開いた。
全ての時が止まったように思えた。
燃え盛る炎の中に閉じ込められ、理性も恐怖も不安も全て焼き尽くされ、クリスティーナの中に同じくらい熱い情熱だけが残った。
クリスティーナは震える指で口を押さえた。
思わず、涙がこぼれた。
「はい――。わたしもあなたを愛しています……」
震えた声音だったが、なんとか言葉にできた。
アレクシスは目を見開き、次の瞬間、歓喜に目を輝かせた。
「クリスッ!」
アレクシスが花束ごと、クリスティーナを抱きしめた。
花弁が目の前で揺れ、クリスティーナの視界は花一色に染まった。鼻腔も花の香りで満たされる。
愛しい人に抱きしめられたこの瞬間、クリスティーナは花に負けないほどの満開の笑みを浮かべた。
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