第49話公爵令嬢(4)

「あそこの薔薇じゃないと駄目なのか」




 アレクシスがクリスティーナのあとをついてくる。


 二人は今、薔薇庭園に向かっていた。


 広大な王宮の庭の中でも、薔薇の迷路があるので有名な場所だった。初めから入り組むように薔薇が植えられ、大の大人でも先が見通せないほど高く生い茂っている。一度入れば、なかなか抜け出せない。そんなところだから、愛を囁くのにも最適で、男女の逢瀬にはうってつけの場所だった。


 そんな場所にアレクシスを連れて行かねばならないクリスティーナの心中は複雑だったが、足をとめるわけにはいかない。


 フリダは今、王太子妃に最も相応しいと言われている人物。そんな風に言われる相手との恋路をクリスティーナが邪魔をしてはいけない。アレクシスはいずれ、立派な王太子妃を迎えねばならないことは決まっているのだから。


 クリスティーナは薔薇庭園の入口で立ち止まった。




「この奥に、すごく綺麗に咲いてる薔薇があるって聞いたんだ。一輪だけで良いからとってきてよ」




「おまえは行かないのか?」




「わ、わたしはほら、他の花をとりにいくから」




 嘘をつくのは心苦しい。しかし、本当のことを言って、アレクシスがもし断ったらと思うと、他に手はなかった。先日の口約束を逆手に、アレクシスを連れ出したのだ。




「――わかった」




 アレクシスは納得して、薔薇庭園の中に入っていく。


 クリスティーナはほっと息を吐いた。けれど、すぐに胸中を苦いものが込み上げる。


 なるべくここから離れたくて、足早にあとにした。


 一方、アレクシスは歩を進めながら考える。




(薔薇なんて、どれも同じだが。――だがクリスが望むなら仕方ないな。一番綺麗に咲いてるのを持っていってやるか)




 その時の喜んだ顔を想像して、口元がほころんだ。


 足を進めると人影が目に入った。思わず足をとめる。




「これは――、フリダ嬢」




 相手が目を細めた。笑みを浮かべているものの、その目が獲物を捉えたように輝いた。




「これは殿下。ご機嫌よう」




 アレクシスは突然現れた人物に困惑した。だが表情には出さない。




「――なぜここに?」




「それは勿論、薔薇が美しいからですわ。美しいものに引き寄せられるのは、自然の成り行きですもの」




 フリダが胸元を扇子でゆっくり仰いだ。




「殿下もそうではありませんか?」




 微笑みを浮かべて、胸を張る。


 今日のフリダの装いはいつにも増して豪奢であった。ドレスは金糸銀糸の錦模様の赤のブロケード。縁飾りは共布でたっぷり彩られ、胸元は金レースと銀ゴーズに飾られている。


 さらに空いた胸元を強調するように、金の台座のエメラルドのネックレスが輝いていた。


 人は動きがあるものに自然と視線はそこにいく。それをわかったうえで、フリダは見え隠れするように大きく胸元を仰いだ。自分の容姿と装いに自信がなければ、できない動きだった。その己を指し示すような動きに、先程の言葉に己を含めているのは明らかだ。


 アレクシスはしばし無言だったものの、すぐに取り繕った笑みを浮かべた。




「そうですね。美しいものはいつまでも眺めていたいものです。――どうでしょう、奥に用があるので、フリダ嬢もそれまでわたしと一緒に花を愛でられませんか」




 アレクシスはフリダ嬢をこのまま放置することもできなかったため、ただ真実を言ったに過ぎない。しかし、その一言はフリダをつけあがらせるに充分だった。




(殿下はきっとわたくしと二人きりになりたいんだわ)




 奥に誘われたとはそういうことだ。


 親密になりたいと暗に告げられ、フリダの胸が高なった。


 それにこちらに向かってくるとき、笑みを浮かべていた。もしかしたら、自分がいることを知っていたのかもしれない。わざとらしく振る舞って、興味がないように見せて、気をひきたいのかもしれない。


 フリダは自分に都合よく解釈した。


 フリダは矜持の高い女だった。


 己こそ王太子妃に相応しいと常日頃、思っている。


 先々代の国王の妹の血を引き、爵位も貴族の中で一番上の位の公爵家。容姿にも自信がある。そんな高貴な自分に見合う男性は、やはり同じくらいでなければならない。その点、アレクシスは血筋も地位も容姿も申し分ない。これ以上の男は、望めないだろう。『自分がアレクシスに相応しい』のではない。『アレクシスが自分に相応しい』のだ。


 目の前にいる、この国で一番極上の男を見て、フリダは心のなかでにんまり笑う。




「ええ。勿論ですわ。参りましょう」




 アレクシスの隣を歩きながら、口も自然と軽くなる。




「殿下とわたくしは元は同じ血筋を引く者。これからは親しみを込めて、アレク様とお呼びしても?」




 そうなれば、自分は王太子妃だと、公然とみなされるだろう。周りの牽制にもなる。悔しがる令嬢たちの顔を想像して扇子の下でほくそ笑む。しかし――




「いえ、それは周りに誤解を与えてしまうでしょう。あなたを密かに想う男性もいるかもしれません。その方を傷つけてしまうやも。そうなったらあなたも嫌でしょう。優しいあなたにそのような負担を強いるわけにはいきません」




 アレクシスがフリダに笑みを向ける。フリダは計らずも、扇子の内側で赤くなった。見目麗しい王太子に、自分を思う気遣いの言葉をかけられたのだ。自分だけではなく、ほかも思いやる心の広さに、フリダは柄にもなく、感動してしまった。やはり、目の前の男性は自分に相応しく完璧だ。


 そのことに満足し、恥ずかしそうに目を伏せる。




「まあ、そのようなお気遣い、ありがとうございます。そうですわね、その時期になったら、また改めれば良いですし。わたくしったら、嬉しいあまり、気が急いてしまったわ」




 扇子から顔をあげ、笑みを広げる。




「わたくしと殿下は選ばれた人間ですもの。自ずと周りに及ぼす影響を考えないといけませんわね」




 アレクシスは言葉を発さないが、微笑みを崩さない――実際は貼り付けているのだが――ことに自信を得て、可愛らしく頬を膨らませる。




「それにしても、アレク様は――ふたりの時はこうお呼びしてもかまいませんでしょう?」




 うっかり人前で呼んでしまうこともあるかもしれないが、アレクシスなら許してくれるだろう。




「アレク様は意地悪な方ね。本当はここにわたくしがいること、知っていらしたのでしょう」




「知っていたとは?」




 アレクシスは首を傾げる。フリダは扇子の内側でふふと笑う。あくまでとぼけたいらしい。恋愛は好きになったほうが負けだ。フリダに主導権を握らせたくないようだが、フリダはアレクシスに負けを認めさせたかった。恋心からではなく、己の矜持を満たしたかったがために。




「あの従者に言われて、ここに来てくださったのでしょう」




 『従者』と口にした瞬間、アレクシスの歩調が乱れたことに、フリダは気付かなかった。




「やはり、躾けて正解でしたわね」




 ふふと扇子の内側で笑う。




「躾とは――?」




 頭上からの声が一段低くなったような気がするが、気の所為だろう。




「少し自分のわきまえを心得ていなかったようですから、扇子でたたいてやりましたの」




 アレクシスが、一瞬歩みをとめた。


 前を向いていたフリダは気付かない。




「わたくし、ああいったものを躾なおすのが、得意ですの」




 フリダは自分の身分に完全に奢っていた。自分より立場の低い者を、自分のような高貴な人間に従わせることを義務とさえ思っている。それが正しいことだと、信じて疑わなかった。なぜなら、自分は血筋正しい、他に並びのない選ばれた人間だからだ。その自分の意向に添わせることは、神の意思にも等しく、本来の正しいあるべき姿だと考える。




「アレク様も、本当はお困りだったのではありません? お優しいから、言えなかったのでしょう。でも、ご安心ください。これからはわたくしが、アレク様のそばにいられる相応しい人間となるように、躾てさしあげますわ。わたくしたちは選ばれた人間ですもの。周りにいる人間もそれに呼応して、相応しくありませんと」




 未来の王妃として据えるに相応しいと、今から思ってもらえるよう、フリダが胸を張る。 


 どうやら迷路の終わりに着いたようだ。フリダは振り返って笑った。




「せっかくふたりきりになれましたもの、このような無粋な話はやめましょう。今はふたりきりの時間を楽しみませんこと――」




 潤んだ瞳でアレクシスにしだれかかろうとした時、アレクシスが乱暴に腕を振り払った。 




「な、――」




 衝撃で扇子を取り落とす。




「何をなさいますの」




 フリダは驚いて、アレクシスを見上げた。


 顔を見た瞬間、息を呑んだ。酷薄な光をたたえているのに、焼き尽くされそうな炎を瞳の中に宿していたからだ。


 アレクシスが一歩足を踏み出した。そこには地面に落ちた扇子があった。ぐしゃりと嫌な音をたてる。




「相応しい? 俺に相応しいと一体誰が決めるんだ。お前か?」




 アレクシスは王太子としての仮面を完全に脱ぎ捨てた。




「勘違いもいい加減にしろ。それを決めるのは俺だ」




「なにを急におっしゃっているの――」




 変貌したアレクシスの気配に押され、フリダが一歩下がった。その体が震える。


 その気迫は他を圧倒するに充分だった。王者の貫禄に相応しく、見るものを平伏させる怒りが放たれる。




「いいか――」




 アレクシスが足に力をこめる。靴の下で地面にこすれた扇子が耳障りな悲鳴をあげた。




「次、クリスに近づいてみろ。お前の姿をこの扇子と同じようにしてやる」




 冷淡な瞳がそれが本気だと知らせる。




「は――」




 フリダは混乱し、息継ぎがうまくできないかのように、息を震わせた。




「それから――」




 アレクシスが顎をあげる。端正な顔立ちの中で、そこだけ炎が燃えてる様は、震えるほど美しく、また恐ろしかった。




「俺を愛称で呼ぶな。不快だ。そう呼んでいいと許した相手はこの世でひとりしかいない。お前ごときが、気安く呼ぶな」




 アレクシスが扇子から足をどけた。


 自慢の扇子は無残な姿となっていた。羽はばらばらに千切れ地面に泥とまみえている。透かし彫りの骨組みはひしゃげ、二度ともとには戻らないだろう。




「さっきのは前言撤回だな。俺は美しいものはひとりで楽しみたいたちだ。他人と共有する気はない。お前ひとりで楽しめ」




 言外にお前は美しくないと告げられ、今度こそ、フリダは打ちのめされた。


 ずるずると膝をつく。


 それをアレクシスは冷たく睥睨すると、去っていった。


 あとには茫然としたまま動けないフリダと変わり果てた扇子の残骸が残された。


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