第434話 キツネ達のエデン 2 キツネの兄妹様
「ようこそ、我が島グラントルトへ。歓迎するよ。ほら、そう固くならずに二人の時間を楽しもうよ」
銀の妖狐がそう言い、俺の横に体をピッタリ寄せて座ってくる。
そして俺の頬を優しく指で突いてくる。
上目遣いで。
爪にはマニキュアみたいのが塗られていたり、すげぇ整えられていて綺麗……綺麗だけど、俺の背筋に走る悪寒がマッハを越えた。
「帰ろう。アプティ、帰るぞ」
俺は瞬時に立ち上がり、愛犬ベスを抱えアプティの肩を叩く。
どうやらここは俺のホームである港街ソルートンの宿屋ジゼリィ=アゼリィではなく、銀の妖狐の島らしい。ようこそ言われたが、俺は自分の意志でここに来たわけではないぞ。
えーと、俺ってどうやってここに来たんだ?
まだここが本当にこいつの言う島なのか確認したわけではないが、ジゼリィ=アゼリィではないことは分かる。
窓から見える景色、香り、建物内全てが違う。
そしてさっきから人間を一人も見ていない。
俺の部屋の前にずらっと並んでいた女性や、今スープをくれた料理人の女性。全員キツネの耳と尻尾を生やしていた。あれはコスプレじゃあないだろう。
しかしよく考えたらアプティのお尻にも似たような尻尾があるんだよな。でも頭にキツネ耳は無く、本物のコスプレ用のウサ耳をつけている。
アプティ含め、今俺の周りにいるのは全て蒸気モンスターということなんだろうか。
この状況でどうやって逃げるか、いや逃げ切れるのか。
「ま、待ってくれないか! 失礼があったのなら謝るよ……ほら、僕等と人間では文化や常識が違うんだ。そこはまだ勉強中だから広い心で見て欲しい、かな」
銀の妖狐が立ち上がった俺のジャージの裾を悲しそうな目でつまんでくる。
「君も僕等と一緒で、他の世界から来たんだろう? 君はこの世界の住人と同じ種族の人間だったけど、多少元いた世界とは常識が違って戸惑わなかったかい? それと同じ、同じなんだ。ほら、許してもいい気持ちになっただろう……ね?」
そういえば蒸気モンスターってのも異世界から来た存在だったっけ。
多分、俺以上にこの異世界の仕組みに戸惑ったのだろう。
そうだよな、こういう状況なんだから広い心で……ってそういう話ではない。
文化の差の違いは分かるが許せない部分があるとかじゃあなくて、蒸気モンスターに囲まれたこの状況は俺の命の危機だから逃げられるのなら逃げたいってだけだ。
あとこいつがキモい。
いや、待てよ。
さっきまでのこいつの行動をキツネ耳の美少女にすり替えてみよう。
──「隣いいかな?」と言いながら耳に吐息をかけてくる。体を密着させて座り「久しぶりだね、ほら二人の時間をもっと楽しもうよ」と頬を指で突いてくる距離感のやたら近い美少女は……ありだな。
そしてこれをしてくる男は……なしだ。
「それに君をここに連れてきたのは、君の為でもあるんだ」
愛犬ベスの神獣フルパワーと俺の目の力を使えば何とか逃げ出せるか。しかしどれほどの数の蒸気モンスターがいるのか分からないし、本当に島ならどうやって海を超えるか……と考えていたら、銀の妖狐がニヤァと嫌な笑いをする。
「俺の為? この誘拐連れ去り事件にどんな大層な理由があるっていうんだ」
正直逃げ場なしの足が震えるような命の危機なのだが、心の隙は見せちゃいかん。
水着魔女ラビコならどんな状況だろうが相手を正面に見据え、対等以上に振る舞い舌戦に持ち込む。
気持ちで負けていては体が萎縮してしまう。
そうならない為に体を大きくみせる野生動物のように大きな態度で、ってこれはラビコの負けず嫌いな性格と頭の回転の速さが合わさらないと出来ない芸当か。
「誘拐とか、大きな誤解かな。だって僕はこの世界で一番大事な君を守る為にこの島にご招待したんだから」
銀の妖狐がすっと俺の背後につき、俺の右手を大事な物を触るように両手で包み込む。おっとさすがに愛犬ベスがうなりだしたぞ。
「ふふ、とても君想いのいい犬だね。おかしいなぁ、僕もこの犬のように君にとても忠実でかわいい存在だから、君に愛を語られながら頭を撫でられてもいいと思うんだけどなぁ」
ベスの反応に気が付いた銀の妖狐が俺から少し離れ距離を保つ。
やめろよ、お前を笑顔で愛でるとか想像でも全身が恐怖と悪寒で震えるレベルだ。
「では冗談はこの辺りにして本題といこうか。君は現在ソルートンから遥か南、花の国と呼ばれる国の沖合いにある我が島にいる。ああ、この島は動かせるから場所にあまり意味はないかな」
お前、冗談とかの区分が分かるのか……と思っていたら、え、俺そんなにソルートンから離れた場所にいるんかい。
「どうしてという顔をしているが、それはさっきも言った、君を守る為さ。はっきり言おう、君は狙われている。そう、僕等とは別の種族の同士達に、ね」
俺が狙われている?
そんなわけあるかよ、と思うが、すぐに昨日まで毎朝来ていたゴツイ大きな鉤爪を装備した女性を思い浮かべる。
「ふふ、そう、今君が思い浮かべたであろうその女性さ。彼女はデゼルケーノにある火の山を拠点に動いている火の種族の者。君は力を使いデゼルケーノの千年幻ヴェルファントムを倒した。そしてその様子をじっと見ていたのが彼女ってわけさ」
デゼルケーノでのベスの神獣化、そして俺は目の力を少し使った。
そうか……あれを見ていた蒸気モンスターが側にいたってことか。
そして何か目的を持って接触を図ってきた。
「その連絡を受け、僕はすぐに判断したんだ。もう君を一人にしてはおけない、僕の側にいてもらおうってね」
連絡? なんだ? 俺は見張られているのか?
「あの女性、やはり蒸気モンスターだったのか。それは分かったが、そこからなんで俺を連れ去る話になるんだよ」
確かにあの女性「わらわは火のアインエッセリオ」とか言っていたな。火の種族とか、蒸気モンスターにはそういう区分があるのか。
ではこの銀の妖狐は何の種族なんだろう。
「だって危ないから、ね。君の力に気が付いた蒸気モンスターは他にもいるかもしれない。その火の者は話しに来たけど、他の種族の同士達はいきなり君に襲いかかるかもしれないんだよ? ほら、危ないだろ?」
それは確かにそうだが……。
「そしてもう一つ。君はあの街を離れなければならなかった。思い返してごらんよ、昔の僕を。同士達が君を目的に襲いに来るとどうなるかな。街は? 君の周りの人は無事で済むかな? 僕の本音を言えば、君以外の人間なんてどうなったっていい。でもこれは君のことをとても大事に思っている僕の優しさなんだ。気付かれた以上、君がいるあの街は狙われることになる。君の側の人間も危険にさらされることになる。君が大事に想っている街や人間を守る為、君はあの街にいてはいけないんだ。だから、ここに来てもらった」
……俺がいるとソルートンが危険に晒され、みんなも危険な目に遭う……。
俺は頭に石でもぶつけられたような衝撃を受け、軽い目眩を覚える。
まさか、いや……そう、か……俺のせいで……。
「……分かっただろう? ソルートンの街や住人が大事なら、余計君はこの島にいるべきなんだ。ここなら僕達が全力で君を守ることが出来るし、その戦力もある。ああ、君は僕達より強いよ。でも強いのは君だけなんだ。分かるよね、この意味が。例えば数万規模で街が襲われたとして、君は街の人全員を無傷で助けられるかな」
確かに俺とベスの力を合わせれば、千年幻ヴェルファントムクラスなら倒せる。
だがそれが何十も同時に来られたら、俺が数匹を相手しているあいだに街には相当な被害が出ているだろう。
おそらく多くの犠牲者も……。
街には帰れない。
俺のせいで街やみんなを危険な目には遭わせられない。
ルナリアの勇者がパーティーを解散し、それ以降生まれた街であるソルートンに帰ってきていなかったり、所在が不明なのはこういうことなんだろうか。
「……アプティ、こいつの話は信じられるか」
聞く分には筋が通って聞こえるが、全てなんの根拠もない、こいつが女性が来たことを利用して取って付けた妄言だってこともありえる。
例え蒸気モンスターだろうが仲間だと信じているアプティの意見も聞いておきたい。
「……はい、マスター。伝えたのは私、です。……マスターを守る為にはこうするしか思いつきませんでした。申し訳ありません……」
「……そう、か」
これはアプティの判断でもあったのか。
俺とみんなを守ろうと動いてくれた、と。
「僕のことを信じられないのは分かるよ。だが火の種族の女性が動いたのは事実さ。君の側にずっといた妹の報告によるとその女性の狙いは君だけのようだし、とりあえず様子を見るということで何日かここに滞在するというのはどうだろう。君がいないと分かったら、その女性はあの街から離れるだろうしね」
どっちにしてもこの状況では逃げられないし、様子を見るのが正解なのかな……ってちょっと待て!
いまお前アプティを指してなんつった!
「おい待て! 今お前……妹……」
俺が銀の妖狐と正面で紅茶を楽しんでいるアプティを見比べていると、銀の妖狐がざっと立ち上がりアプティのコスプレうさ耳を持ち上げ取り外した。
「そうか、紹介がまだだったね……君が怒るのも無理はない。では改めて、人間には銀の妖狐とか言われているけど、僕の名前はアージェンゾロ、水の種族のリーダーをやっている。そして彼女は僕の妹、エルエルヴィ。ほら、耳を出してもいいよ」
銀の妖狐の言葉と同時にアプティの頭から大きなキツネ耳が現れる。
「……マジ……デ……」
あまりの驚きで、俺はカタカナでしか喋れなくなってしまった。
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