第132話キャロライン元王女

 城を飛び出したバーソロミュー・クロウは、実家である侯爵家の屋敷に駆け込んでいた。


 得意の駿足を生かし、侯爵家の広い屋敷内を素早く移動する。


 国王陛下から直接仕事を受けた。


 いや、あのセラニーナ様である、ニーナ様から指示を受けた。


 それは命を懸けて取り組まなければならない仕事!


 ただ自分の祖母を王城に連れて行くだけのことなのだが、国の最重要機密を抱え、すっかり自分に酔っているミューには、祖母を城へ連れて行く事が命を懸けた大仕事に変換されていた。


 この国を救うのは自分しかいない!


 ミューはニーナたちに怒られて、消え去っていたはずのヒーロー症候群をまた再発していた。


 ニーナたちの前であんなに挙動不審になっていたのが嘘のようだ。


 そう英雄になるのは自分しかいない!


 城から離れた事で余裕が出来、気持ちがまた大きくなり始めたミューは、そんな余計な考えを持つようになっていた。


 何故なら家族全員に今回の自分の失態を話す必要がない事に気が付いたからだ。


 自分が国の危機を招き、危うくこの国を滅ぼすところだった事を、今現在家族は誰も何も知らない。


 だったらお婆様にだけ、王族専用の図書室の件を伝え、陛下のご命令だと言って城に連れて行けば良い。


 そうすればお婆様に叱られることも、家族に怒られることも無いだろう。


 いや、国王陛下からの直接の依頼だと聞いたお婆様は、ミューの事を良くやったと褒めるかもしれない。


 そしてついでにご褒美だと言ってお小遣いもくれちゃったりして~!


 そう、クロウ一家を取り纏めているのは、前侯爵の祖父でも、現侯爵の父でもなく、ミューの祖母であり、元王女のキャロラインだった。


 家族皆が頭が上がらない相手、それがキャロライン・クロウだ。


 ミューはお婆様にどう伝えようかと、自慢の名推理で鍛えた思考能力を駆使しながら、祖母の部屋へと続く階段をお得意の瞬足で登り切った。




「お婆様、ミューちゃんです。開けてくださーいなー」


 ミューは既に30代の油の乗った良い大人だが、クロウ家三兄弟は残念ながら誰も結婚していないため、末っ子のミューはまだまだ祖母に可愛がられている。


 そんな可愛い末孫が来れば、祖母のキャロラインはすぐに対応してくれる。


 動きやすいシンプルなドレスに身を包んだキャロライン元王女は、笑顔で末孫を向かい入れると、三十過ぎの良いオッサンをギュッと抱きしめた。


「まあまあ、ミューちゃん、どうしたの? 私の部屋に訪ねてくるだなんて珍しいこと、フフフ……明日は雨でもふるのかしらねー?」


 ミューは自分の勘違いからいもしない敵国の王子一味を追っていた為、ここのところとても忙しく、確かに祖母に会いに来るのは久しぶりだった。


 ミューは元々お婆様大好きっ子で、幼い頃に似合うと言われたピンク色の服を今も好んで着ている。


 三十過ぎのオッサンにピンクフリフリシャツは痛いのだが、お婆様が可愛いと言えばそれが正義。


 ミューは未だに自分に似合っていることを疑いもしていない。


 そんなミューに甘く優しく、それでいて祖父や父よりも強くて勇ましくて美しい祖母。


 それはミューの憧れの存在だった。


 ミューはそんな素敵な祖母に、普段通り甘える様な表情を向けた。



「お婆様、実はミューちゃんは陛下の依頼を受けて緊急で屋敷に帰って参りました。お話しを聞いて頂けますか?」

「まあ! 陛下からのご依頼? ミューちゃんも補佐官として立派になった事……さあ、さあ、お婆様になんでも話てごらんなさい。お婆様はミューちゃんの為ならばどんな事でも協力しますわよ」


 祖母のそんな優しい言葉にミューはホッとする。


 この様子なら上手く話を持っていけるだろう。


 なんせ自分は王の元補佐官。


 お婆様にはニーナ様への不敬はバレはしない。


 そう、ミューには王の補佐官として、これまで人を欺き、上手く使い、この国の為に働いて来たという高いプライドがあったのだ。


 それが国の危機を招いたはずなのに……


 ミューは実家に戻った事で、気持ちが大きくなり、今日起こしたばかりの自分の愚かな行いを忘れていたのだった……



「お婆様、あの、明日にでもミューちゃんと……いえ、私と王城へ行っていけないでしょうか?」

「ミューちゃんと王城へ? あら、まあ、どうしたの? ミューちゃんたら、もしかして……陛下に怒られたりしちゃったの?」


 確かにたっぷり怒られました。


 それも国王陛下より怖〜い人達にね……


 だがミューはそんな余計な事は歳を重ねたお婆様に言う必要が無いと勝手に弾く。


 アレクにきちんと説明しろと言われたことも、都合よく忘れている。


 そう、自分にとって都合の悪い事を、大好きなお婆様に言うつもりはない。


 どうやらミューはまだ心を入れ替えていないようだ。


 あれ程恐ろしい目にあったのに……


 喉元過ぎれば熱さを忘れる。


 全く困ったオッサンである。



「えーと……そのー……確かにちょーっとばがし、怒られちゃったりなんかもしたんですけどー」

「フフフ、まあまあ、ミューちゃんはまだまだ甘えたさんなのねー、ええ、良いわ、お婆様が可愛いミューちゃんの為に陛下との仲を取り持って上げますから大丈夫ですよ。さあ、何が有ったか話してみなさい、お婆様が手助けしますわ」

「いやー、そのー、本当に大した事では無いのですが……あのー、えーと、そのー、実はお婆様に王族専用の図書室への再登録をして頂きたくて……」

「……王族専用の……図書室……」

「はい! お婆様には図書室には入って頂かなくても大丈夫なのです! 実は私が入る為にですね……あの? お婆様?」


 キャロラインはミューの言葉を聞き、恐ろしい表情を浮かべた。


 手に握りこぶしを作り、体に力を入れているのか、プルプルと震えている。


 キャロライン元王女といえば、若かりし頃は暴れん坊王女、またはお転婆姫とも呼ばれる程のおキャンな娘だった。


 だからこそ、未だに父も祖父も祖母には頭が上がらない。


 そう、キャロラインのその怖さを二人はよ〜く知っているからだ。


「ミュー! どう言う事なのです! これは国の緊急事態では無いですか!!」

「えっ、ええっ?!」


 さっきまで優しかったお婆様が、般若のようになってしまった。


 ミューは知らなかったお婆様のその怖さに、思わず尻餅をつく。


 だが可愛い孫が倒れようとも、キャロラインの怒りは収まらない。


 馬術用の鞭を持ち、ヒュッと音を立ててミューを見る。


 それは末孫のミューが初めて見る、キャロラインの本当の姿だった。


「ミュー! 貴方は補佐官なのにこの緊急事態が分からないのですかっ?!」

「えっ? ええっ?」

「一度席を抜いた王族を呼び戻す、そんな事はこの国始まって以来の大事件ですわっ!!」

「お、お婆様……落ちついて……」

「大馬鹿者! これが落ち着いていられますか! 直ぐに家族全員を呼び出し、クロウ家緊急会議を開きます!」

「ふぇえー?!」

「ミュー! そこで今日何が有ったのか詳しく説明して貰います! 国の一大事、嘘偽りはこの私が許しませんからね!」


 キャロラインはピシャリと鞭でテーブルを打った。


 とても老女とは思えない、力強い鞭さばきにミューは「ヒイイ」と息を呑む。


 上手く誤魔化し、お婆様を城へ連れて行こうと目論んでいたミューの甘い考えは、暴れん坊元王女には通じなかったようだ。


 こうしてミューの計画は失敗し、クロウ一家の緊急会議は開かれる事になった。


 鬼のように恐ろしいお婆様。


 ミューは屋敷に戻っても、ニーナの存在が巻き起こす、恐怖からは逃げられないようだった。

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