第110話その頃のグレイス④

 重犯罪者となったグレイスは、地下の厳重な牢屋に入れられていた。


 そこは鉄柵の牢屋ではなく、鉄扉の牢屋で、鍵は三つも付いていて、窓もないジメジメした場所だった。


 城の兵士に放り込まれたグレイスは、投げ込まれた時にまた少しだけ膝を擦りむきはしたがそれ以外は無事だった。


 手や足に枷でもつけられてしまうかなぁ? と心配だったが、ここが厳重な牢屋だからかそれもなく、ただ汚い地下倉庫にでも閉じ込められた様な感じだった。


 王様の補佐官さん、荷物も取らないし、体も調べようとしなかったけど……良いのかな?


 もしかして取調べとか慣れてないのかなー?


 だから明後日の方向に考えがいっちゃってるのかも、疲れているのかなぁ、可哀想に……


 ニーナ様たちが迎えに来たら、こんな牢屋なんて簡単に壊しちゃうのになぁー。


 と、落ち着いているグレイスは、自分の事よりも補佐官や牢屋の心配をしていた。


 何故ならこの世界にニーナに破れない扉などないと知っているから。


 短い付き合いだがそれぐらいは分かっているグレイスだった。




「うーん、臭いし汚いし掃除でもしようかなぁ。魔法袋のおかげで色々あるし……」


 とにかく動いていなければ落ち着かないグレイスは、殺風景で汚らしい牢屋内を見て早速掃除をしたくなる。


 魔法袋が取り上げられなかったことが凄く嬉しい。


 グレイスの魔法袋の中にはベランジェに何が合っても大丈夫なように、それはそれは色々な物が入っている。


 ベランジェの補佐官として絶対に外せないのが勿論パンツだ。


 それから大好きなトマトジュースや、お茶道具までも完璧だ。


 なのでグレイスはニーナが作ってくれたエプロンを取出し、部屋をきれいにしよう! と気合を入れる。


 ポッケの所にドラゴンの刺繡がいれてある、真っ赤なエプロン。


 それはクラリッサの髪色を思いだす色合いでニーナが意図して作ったものだが、それに自己評価が低いグレイスが気付くはずもない。


 そしてこのエプロンにはニーナの恐ろしいほどの魔法の守りが練り込まれている。


 その辺の鎧を着るよりも、ニーナのエプロンを付ける方が戦いに向いている。


 戦場へ向かうならニーナのエプロンを付けましょう。


 アルホンヌとクラリッサならばそう答えるほどの代物だ。


 だけどグレイスは勿論そんな事は知りもしない。


 エプロンとお揃いの三角巾を付けると、手慣れた様子で掃除を始めた。


 掃除の基本は高い場所から。


 グレイスは天井に付いている頑固な汚れを魔法で落としていく。


 その頑固汚れはこの部屋へこれまで入れられてきた極悪人たちへの、兵士による拷問で出来た血と、汗と、涙の結晶なのだが、一般ピーポーのグレイスがそんな事に気が付くはずはない。


 魔法を使い天井を綺麗にすると、今度は綺麗好きのグレイスには信じられない壁や四隅に溜まった埃の塊などを取り除いて行く。


 こんな汚い部屋にニーナ様が迎えに来たとしたら……


 グレイスは想像しただけでゾッとした。


 同じ綺麗好き仲間として、可愛いニーナ様をこんな部屋に入れる訳にはいかないと、グレイスには気合が入っていた。


 これがベランジェ達研究組相手ならば、普通の掃除ですんだだろう。


 けれどきっとニーナが迎えに来てくれる。


 そう考えればグレイスの手に力が入る。


 特に汚れがひどい床部分は、掃除が得意なグレイスでも掃除魔法を重ね掛けしなければ落ちない程だった。


 それは兵士たちの拷問による、これまでこの牢屋に収監された犯罪者たちの流血の跡なのだが、グレイスからしたらこれまたただの汚れでしか無かった。


 それにベランジェ達研究組の薬品の汚れを散々落し綺麗にして来たグレイスにしたら、血の跡など何でもないものだった。



「うん、だいぶ綺麗になったな。でも部屋についた匂いがな-……」


 牢屋の中が臭いなど当然の事なのだが、グレイスからしたらこの牢屋はニーナたちを迎え入れる部屋にもなるわけで……


 6歳の乙女が入る部屋には相応しくない状態のままでいる事は、ベランジェの補佐としてあり得ない事だった。


「それに……クラリッサ様も来るかもしれないし……」


 クラリッサの名を呟くと、グレイスの頬が心なしか赤く染まる。


 優しくって、可愛らしいクラリッサは、グレイス憧れの女性だ。


 クラリッサは見た目は強く凛々しい女性に見えるが、中身は少女のように可憐で可愛らしい女性なのだ。


 そんな方をこんな汚い部屋に招き入れるなどあり得ない!


 せめて皆が来たときに、部屋の汚れや匂いが気にならない程度にしなければ……


 グレイスは掃除が一通り終わると、今度は部屋に設置されていた小さなテーブルセットを修繕していく。


 日曜大工だって熟すグレイスには、これぐらい朝飯前だ。


 牢屋の床には森へのピクニック(研究用の毒草集め)のときに使う、外用のラグを敷く。


 そしてそこに日曜大工で修繕し、白く塗りなおしたテーブルセットを置き。


 ベランジェの為に肌身離さず持っているビーカーをテーブルの中央に置き、その中に赤い花(勿論毒草)を入れた。


「ふー、こんなものかなー? これならニーナ様達が来ても恥ずかしくないよね?」


 残念ながらグレイスのその言葉に突っ込む者はいない。


 グレイスの手によって、今や城の凶悪犯罪者収容牢獄は、小さめのホテルの一室のようになっていた。


 ボロボロだったベッドも、グレイスの手により綺麗になっている。


 ベッドに使われているせんべい布団も、グレイスの手によりふんわりとしたものになり、その上グレイスが作ったパッチワークの美しいベッドカバーが掛けられている。


 ベンダー男爵家は布だけはたっぷりあるので、グレイスがしっかりと活用してくれた。


 忙しいはずなのに時間を作っては趣味に没頭するグレイス。


 因みにグレイス家は家族全員グレイスそっくりだ。


 ニーナが働き手として狙いを定めるのも当然の事だった。




 そして一番重要な場所。


 そう、丸見えだった黄ばんだトイレは、ベランジェがここに来ていつ用足ししても良い様に、グレイスが何故か持っていたカーテンが掛けられ、その上便器は新品同然に磨き上げられた。


 完璧な仕事人。


 手がかかるベランジェの補佐を難なくこなせる男。


 ベランジェの妻兼母。


 グレイスの本領発揮は、ベンダー男爵家で修行を積んだ事で、世間ではもう常識を超えるものになっていた。


「よし、終わった、終わった。綺麗になったし、折角だからグレイス茶でも淹れようかなー」


 部屋の美しさに満足したグレイスは、内側から扉を叩き、外にいる兵士たちに声を掛けた。


「あのー、良かったら一緒にお茶しませんか? (ニーナ作の)美味しいケーキがあるんですよ」


 牢の前には補佐官に指示出された通り、10人の兵士がいた。


 声を掛けられ、扉の小窓から牢の中を覗く。


 ケーキ? ケーキってなんだ? 危険な犯罪者は言う事も可笑しいのか?


 と、一人の兵士が部屋の中を覗き驚いた。


 目に見える物が信じられない。


 もしかして夢なのだろうか?


 小窓から一旦目を逸らし、頬をつねりながら別の兵士にも見て貰う。


 その兵士も自分の見たものが信じられなかったのだろう。


 同じ様に小窓から目を逸らし、頬を叩いていた。



「あのー、長時間立っていると辛いですよねー? ベランジェ様が作ったシップもあるので、良かったら足に貼りますか? あ、でもこの部屋椅子が一脚しかないんで、椅子が有れば持ってきてください。おやつよりご飯が良ければ食事も出しますよー、良かったら部屋へどうぞー」


 グレイスのお世話大好き性質は、只々兵士たちを震え上がらせていた。


 たった数十分で別の部屋となった牢屋。


 間者とは思えない愛想のいい青年。


 小窓から見える現実。


 兵士たちはグレイスの仕事ぶりを見て、どう受け止めて良いのか分からなくなっていたのだった。

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