第96話大聖女神殿へ出発

 朝食を終え、ニーナは優雅にお茶を楽しんでいた。


「あー……なーんかそろそろ……出そうな感じがするなー」

「もー、ベランジェ様ー、僕まだ食事中なんだけどー!」

「ちょっとー、ベランジェ様、俺だってまだ食事中だぜー、そういう事言うの止めてくれよなー」

「べ、別に私は何が出るとは言いていないだろう、ただちょっと便意を感じただけで……ムグッ、ムグムグフググ」


 このお馬鹿な話し合いを見かねたグレイスが、ベランジェの口を塞ぎながらニコニコ笑顔で、多分トイレへとベランジェを連れて行ってくれた。


 朝食はベンダー男爵家の皆で一緒に摂る為、毎朝こんな風にとっても賑やかだ。


 この場には女性のシェリル、クラリッサ、そして可愛いシェリーがいる。


 女性には聞かせられない話だと、グレイスは気を利かせてベランジェを引っ張り出したが、アルホンヌやアラン達はニーナの機嫌が悪くならないかが心配だった。


 そう、先程ベランジェが口に出しかかっていたのは、溺愛する姉のシェリーの食事中にはとても聞かせられない話だったからだ。


 そんな緊張感が漂う中、幸いなことにニーナはベランジェの言葉を余り聞いてはいなかった。


 お陰でベランジェは命拾いしたと言ってもいい。


 もう一度言おう、ニーナは今優雅にお茶を飲んでいる。


 そうそれは可愛くって働き者のグレイスの為に、ニーナが作り上げたスッキリ茶だ。


 ベランジェの希望もあり、お腹の調子が良くなる、そんなお茶にした。


 これにはグレイスもとても喜んでくれて、珍しく実家に自慢しに行きたいと言いだすぐらいだった。


 このお茶を売りに出せばどれぐらいの儲けになるだろうか……


 そう、ニーナはそんな金勘定……いえ、復興の為の考えを浮かべていたため、心ここにあらずだったので、ベランジェの便意の話など聞こえていなかったのだ。


 ベンダー男爵領の特産品を作る!


 まだまだ貧乏なベンダー男爵家には、領の名産物がどうしても必要だ。


 あの地図を見たところ、隣の町であるクエリも、隣の隣町であるゼロディも、元はベンダー男爵家の……いや、ベンダー公爵家の領地となっていた。


 そう考えると、ベンダー領はかなり広くなる。


 領民皆が生活に困らないほどの潤いを持つには、お茶だけでなく色々な物を作り出さなければならない。


 ニーナの頭の中はお金儲け……いや、領復興の事で一杯一杯だった。


 ベランジェが無事だったのは、まさに偶然による奇跡だったと言えるだろう。


 これはベランジェの普段の行いが良いからではなく、今のニーナが金の亡者だったことが幸いしていた。



「ニーナ様? ニーナ様達は今日街へ行かれるのですよね?」

「ええ、クラリッサ、今日は王立図書館へ呪いの本を借りに行くのと、大聖女神殿に行く用事があるのですよ、貴方達は森へと行きますか?」

「いいえ、私達も街へ一緒に行っても宜しいでしょうか?」

「あら? 何か用事が有りまして?」

「はい、そろそろ魔獣を売りに出したくて、カルロ兄の所と、肉屋に行きたいと思っております」

「お肉屋さん?! 私もいくいくいくー!」


 お肉屋と聞いてシェリーが大喜びだ。


 アランが肉の売り付けをした店で購入した焼き肉は、どれも美味しくってシェリーは忘れられなかった。


 それにコロッケやメンチなどの揚げ物も、どれも美味しくってシェリーを虜にしていた。


 結局相談の結果、今日は王都の街へ皆で出かけることになった。



「まあ、これ程の人数馬車に乗れるかしら?」

「ああ、シェリル姉、俺達は適当に辻馬車拾ったり、歩いたりして王都の街を楽しむから、気にしなくって大丈夫だぜー」


 シェリルの心配に、アルホンヌが手をヒラヒラッと振り笑顔で答える。


 ディオンも可愛い顔に満面の笑みを浮かべ、同意するように頷いている。


 そう王都の街には美味しいものがたっぷりある。


 ディオンもシェリーもその美味しさを知っているのでご機嫌だ。


 王都の街イコール美味しい場所。


 ベンダー男爵家兄妹は、そう理解していた。


 まあ、間違ってはいないが……王がいる街だと……多分理解はしているだろう……。


 特にディオンは受験生だしね。



「では皆で王都へ参りましょう。アラン、肉屋ではしっかりと頼みますわね。アルホンヌ、クラリッサ、相手がカルロでも遠慮はいりませんわ。しっかりと戦ってらっしゃい。フフフ……貰えるものはガッチリ貰って来て頂戴ね……」


 ニーナは正真正銘、純粋な6歳児だ。


 体もどちらかと言うと、6歳にしてはちょっと小さいぐらいの幼い少女だ。


 けれど今ニーナにお願いをされた三人は、ごくりと喉を鳴らした。


 そう、ニーナが浮かべた笑顔が何よりも恐ろしかったからだ。


 獲物を前にした百獣の王。


 国一番だと言われているアルホンヌやクラリッサでさえ、ニーナの笑顔にゾクリとした。


 アランも勿論顔色が悪い。


 下手な値段で肉を売りさばいたら、自分こそが売りさばかれてしまうのでは……


 と、そんな恐怖を感じていた。


 命ある限り全力を尽くそう。


 三人はニーナの可愛らしいはずの笑顔を見て、そう思っていた。



「さあ、それでは王都に参りましょうか」


 準備が整うと早速ニーナは魔法陣を書き上げる。


 グレイスもここでの生活に慣れてきた為、ニーナが宙に浮いて魔法陣を描き上げても、もうドキドキしたりしない。


 けれど魔法陣の中へ入る時は、やっぱりクラリッサが「一緒に行こう」とまたまた手を繋いでくれて、違う意味でドキドキとした。


(私はそんなに怖がっていそうに見えるのかな?)


 と、男としてちょっとだけ不甲斐なさを感じたグレイスだったが、差し出されたクラリッサの手首に自分が贈ったブレスレットがあるのを見て、ちょっとだけホッとしていた。


 そう、クラリッサ様、ブレスレット気に入ってくれたみたいで良かったーと……


 毎日つけているだなんて自分に好意があるのでは? と思わないのがグレイスらしい。


 クラリッサの恋愛対象に自分が入るだろうなどと、そんな甘い夢は見ないグレイスだった。



「では、参ります。ザナ、エクトル、ロイクお留守番を頼みますわね」


 三人の頷く笑顔を見た瞬間、王都の屋敷へと転移した。


 再び王都へ来たベンダー男爵家一行は、果たして大人しく王都の街で過ごせるだろうか?


 常識がちょっとずれているだけに不安だが、それを止める者は誰もいないのだった。

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