深淵高校 天文学部 その2

深淵高校 天文学部 その2 ①

 天文学部の活動開始十五分前。


 教室の掃除を終えた磯山 太一いそやま たいちは、一番乗りで活動場所の理科室に着いた。適当な椅子に座り、他の部員が来るまでスマホでネットニュースを見る。


 数分後、理科室の扉が開いた。フラフラと入ってきたのは、太一のクラスメイトである中川なかがわ。普段は元気なお調子者だが、今日は少し様子がおかしい。


 中川は太一の向かいの椅子に力なく座った。


「磯山……悲報だ……オレたちの学生生活は、お先真っ暗だぜ……」


「なんだよ急に。オレにも関係あることなのか?」


「ああそうだ……女子テニス部の水谷みずたにさん……G組の岩渕いわぶちってやつと付き合うことになったらしい……」


 なんだそんなことか、と太一は視線をスマホの画面に戻す。


「ふぅん……で、どこが悲報なんだ?」


「おいおいおいおいおいおい!磯山!お前、なんでオレたちが天文学部に入ったか、忘れたわけじゃないだろうな!」


「なんでって……楽しそうだからだろ?」


「水谷さんを望遠鏡で観察するためだろうが!水谷さんのことを頭頂部から足の小指の爪まで把握し、あわよくば自分のものにする……そのために天文学部に入ったってのに……」


 太一は呆れ、無言でスマホを操作し続ける。


「おしまいだぁ……クソォ……こんな悔しい思いするなら、ダメ元で告っとけば良かった……っておい!なんでお前は冷静なんだ!悔しくないのか!?水谷さんが奪われたんだぞ!オレたちの憧れであり、友情の源でもある水谷さんがぁ!」


「いや別に。オレ、水谷さんのこと何とも思ってねーし。」


「……なんだよ……お前までそんな冷たい態度取りやがって……オレはこの先……何を楽しみに学校に通えばいいんだ……」


 うつむく中川。言っていることはめちゃくちゃだが、自称・学年一のお調子者である中川がここまで落胆する姿を見たことがなかった太一。哀れに思え、少し元気づけてあげようという気持ちが湧いてきた。


「その岩渕ってのはどんなやつなの?オレ、よく知らないけど、そいつが水谷さんとうまくいかなければ、お前にもワンチャンあるんじゃね?」


 中川は机に置いたスクールバッグから一冊のノートを取り出した。パラパラとめくり、あるページで手を止める。


岩渕 孝典いわぶち たかのり。1年G組、出席番号二番。六月二十九日生まれの蟹座。血液型A型。身長一七五・二センチ、体重六十一・三キロ。視力は左右ともに一・五(裸眼)。男子硬式テニス部所属。テニスは小学校高学年から始めて、中学三年の夏に団体戦で県内ベスト八に進出。テニス部では一年生をまとめるリーダー的存在で、次期部長と噂されている。性格は温厚、気遣いができる。顔は決してイケメンではないが、優しい性格から一部の女子生徒には人気がある。得意科目は世界史。三歳下の弟がいる。童貞。」


「なんでそこまで知ってるんだよお前……気持ち悪ぃな。」


「この中川様の情報網をなめるなよ。水谷さん争奪戦のライバルになりそうなやつはマークしているのさ。有力候補者は歯形まで調べてある。」


「将来は探偵にでもなったらどうだ。」


「しかしまぁ、岩渕が台頭してくるとは……同じテニス部という点で有利だったが、奥手そうなやつだったから調査も甘かったぜ。」


「ライバルについて調べる労力を水谷さんに割けよ。バカだなぁお前。」


「とにかく磯山……オレは今日の部活休む。今週末に水谷さんと岩渕、初デートするらしいからな、失敗するよう三日三晩祈り続けるぜ。」


「この学校にプライバシーはねぇのか。」


 中川は立ち上がると、フラフラと理科室を出ていった。


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 日曜日 昼


 怪奇駅前で水谷さんを待つ岩渕。学校以外で水谷さんと会うのは初めてということもあり、かなり緊張している。彼女はどんな服を着てくるのか、どんな匂いがするのか、第一声はなんなのか、楽しみで仕方がなかった。


 待ち合わせ時間から五分ほど遅れて、水谷さんがやってきた。少し茶色のボブカットは学校にいる時と同じ。服は白を基調とした花柄のワンピース。なんの花かよくわからなかったが、水谷さんという最高の花を前にした岩渕にとって、どうでも良いことだった。


「ご、ごめんね!遅れちゃって!ちょっと準備に手間取って……」


 そう、このフレーズを待ったいた。デートに遅れてきた彼女が放つテンプレートとも言える台詞。何年も付き合ったカップルなら何とも思わないのかもしれないが、今回が人生初のデートである岩渕にとって、釣ったばかりのタイのように新鮮だった。


「いや、全然大丈夫だよ!ボクもさっき来たところだから!」


 本当は二時間前に到着していたが、あえて嘘をつく。これも岩渕の理想通りだ。


「水谷さん、お昼食べてないよね?焼肉行かない?あっ、でも臭いが服についちゃうか……」


 水谷さんは顔の前で両手をパーにして左右に振る。


「気にしないで!大丈夫!私、お肉大好きだから!」


 何をしても絵になる。岩渕は水谷さんの一挙手一投足を写生したくなった。写生とはもちろん、文字通りの写生である。下心はない。


「じゃあ、そこにある邪々苑じゃじゃえんに行こうか!安くて結構おいしいんだよ。男テニでもよく行くんだ。」


 歩き始めようとした岩渕と水谷さん。その時、犬の鳴き声が聞こえた。五十代くらいの女性が連れた、黒いダックスフンドが水谷さんに向かって吠えている。リードをつけていなかったら、今にも噛みつきそうな勢いだ。


「コラ!フレッピー!お姉ちゃんに吠えちゃダメでしょ!すみませんねぇ、普段はこんなことないんですけど……」


 岩渕は内心、水谷さんに向かって余計なことしやがってこのクソ犬が!と思った。しかし、そんな態度を見せては水谷さんからの印象が悪くなる。


 岩渕はしゃがんでダックスフンドの頭を撫でた。


「いえいえ、気にしないでください。元気なワンチャンですね。よしよし、いい子いい子。」


 心にゆとりがあり、動物を愛するボクはどうだい?水谷さん……?そう思い、水谷さんの方を見ようとした岩渕。


 次の瞬間、水谷さんがダックスフンドの腹を右足で蹴り上げた。ダックスフンドが回転しながら宙を舞った。

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