深淵高校 天文学部⑤

 太一はバットを握ると、左打者の構えで若い男の前に立ち塞がった。男は、太一が交戦の姿勢を見せたことで怯えた表情になり、二歩ほど後退りした。命の危険を感じるのは生きた人間である証。


「おい中川ぁ!見てろよこの野郎!俺が絶好のチャンスで打順が回ってきてもビビらないところをよぉ!」


 大声で息巻く太一。半泣き状態の中川が顔を上げ、太一の方を見る。


「待て……待て……ゴホッ……君たちは……」


 若い男は太一の姿を見て戦意喪失しているようだった。太一は確信した。これなら脅すだけで助かる。この家から出られる。


「どけぇ!このゾンビども!脳みそぶち撒けられてぇか!このクソがぁぁ!!」


 太一はバットを勢いよく縦に振り、床を殴りつけた。カーンッという金属音が部屋に響く。


「待て……待ってくれ……」


 太一の背後からも声がする。振り向くと、さっきの大男も太一の勢いに負けて、たじろいでいた。


 勝ちを確信した瞬間、太一の視界の隅で、何かが凄まじいスピードで動いた。直後、大男が前のめりになり、半回転して背中から床に叩きつけられた。メキメキという音と共に、床が抜け、大男は一階へと落ちていった。激しい衝撃音が階下から聞こえた。


 さっきまで大男が立っていたところには、小池さんが立っていた。小池さんは仁王立ちし、大きな瞳で若い男を睨みつける。


「次はお前だな。おとなしく私たちを解放すれば、痛い目には合わせない。」


 太一は小池さんに、まるで狂戦士バーサーカーのような頼もしさと、畏怖の念を覚えた。若い男は立ちすくみながら、口を開いた。


「待って……ゴホッゴホッ……待って。君、今日、理科室に来てくれた磯山くんだろ?一年の。それに花木くんに小池さん、中川くん。」


 この声、聞き覚えがある。


「あれ……?羽柴先輩……?」


 床に膝をつく花木がつぶやいた。


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「いやぁ……満の後輩たちだったのか……失敬失敬。驚かせて申し訳な……あいててて、いてて……」


 居間に置いたソファに座る羽柴の父が、背中を押さえて苦悶の表情を浮かべる。


「大丈夫ですか?すみません……私、思い切り背負い投げしちゃって……」


 小池さんは羽柴父の左横に座り、背中をさする。大丈夫だよ、と笑顔の羽柴父。


 向かいのソファに座りながら、その姿を呆然と眺める三人。羽柴がお茶を人数分持ってきて、ローテーブルの上に並べた。そして羽柴父の右隣に座る。


「もしかしてあれかい……?俺の体調を心配して……ゴホッゴホッ……うちまで見舞いに来てくれたのかい?」


 ガイコツのように真っ白な顔面で、羽柴が囁くようにしゃべりだした。眼鏡をしていなかったから気づかなかったが、改めて見ると、目の前の男は理科室で会ったガイコツ男と同一人物だった。


「いや、あの……俺たちは心霊スポットの探索に……」


 中川の脇腹に太一の左エルボーが刺さる。ウッと声を上げて悶える中川。代わりに太一が続けた。


「そう!そうです!俺たち、羽柴先輩の様子が気になって……なぁ、花木?」


「そ、そうなんですよ!先輩、今日元気そうだったのに突然帰っちゃったから。」


 急に話を振られてあたふたした花木だったが、うまく太一に合わせた。


「そうか……心配かけたね……ゴホッゴホッ……大丈夫だよ。明日は学校を休んで養生するつもりだから……一日寝れば治るさ……あれ?俺の家の場所……伝えてたっけ?」


 インターネットで調べたらすぐ出てくるし、怪奇町では有名な心霊スポットです、なんて言える空気ではない。


「あ、あの……顧問の先生に聞いたんですよ!そしたら教えてくれて……」


 花木、ナイスフォロー!と、太一は心の中で思った。


「そうか……ゴホッゴホッ……疑って悪かったね……」


「そうだぞ……満。失礼じゃないか……皆さんせっかく、お前を心配してくれたというのに……すみませんなぁ……うち、いつも勝手に人が入って来るんですよ。何故かはわからないのですが……」


 羽柴も羽柴父も、自宅が心霊スポットになっていることを知らないようだ。


「あの……失礼なんですけど、なんでこんな家に?」


 普段はデリカシーのない中川だが、こういう時にズケズケと質問できるコイツの性格は便利だ、と太一は思った。


「私のせいなのですよ……妻は、満が小さい時に出て行きました……私は年甲斐もなく自暴自棄になってしまい、働く意欲まで失ってしまいまして……ボロ家を直す金もなく、この有様で……」


 羽柴父が涙声で語る。羽柴も鼻をすする。


「いつからか、いろんな人がうちに不法侵入して来るようになりました。警察に相談したのですが、立ち入り禁止の看板を立てるだけでこれといった対策はしてくれず……そこで思いついたんです……オバケの格好をして侵入者を追い返してやろうと……かなりうまくいきました。今回も脅かして退散させてやろうと思ったのですが、まさか満の後輩たちだったなんて……いててててっ!いてぇ〜なぁちくしょう!」


 羽柴父の背中を小池さんがさする。羽柴家は、普通では考えられない状態であることが判明した。自衛のために、オバケのフリをして侵入者を驚かせていた。彼らはそれが成功していると思っているようだが、むしろ心霊スポットとしての噂につながり、侵入者を増やしている。


 言葉を失う太一と花木。冷静になり改めて自分たちの行動を振り返ると、羽柴家に対してやったことの酷さにも気づいた。土足で上がり、カメラで室内を撮影し、バットを振り回して「ゾンビ」と罵り、背負い投げで二階に穴を開ける。太一、花木、そして小池さんも、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 その一方、中川は興味津々で質問を続ける。


「もしかして、他の家族の方も隠れてるんですか?この家の中に。」


「俺の妹が三階にいるよ……自分の部屋の天井に張り付いて、中に人が入ってきたら頭上から落下する予定だったんだ……そろそろ下ろしてやらないとな。その準備を手伝っていたから……ゴホッ……俺はベッドの下から這い出るなんて、ベタな脅かし方しか出来なかった……父さんが一階でもっと時間を稼いでくれればなぁ……ゴホッゴホッ……」


「仕方ないだろう……こっちは爺さんと婆さんの仕込みで手一杯だったんだ……そうだ、爺さんと婆さんも出してやらんとな。」


 羽柴父は立ち上がると、太一たちが座るソファの後ろに回り込んだ。背後には襖がある。羽柴父が襖をスライドさせると、中は押入れのような作りになっており、上段にミイラと見間違うくらい痩せ細った着物姿のお婆さんが、正座したまま寝ていた。


「寝てるか……まぁいいや。夕飯まで寝ていてもらおう。」


 このお婆さんには気づかなかったが、もし発見していたら、羽柴たちと接触する前に外へ飛び出していただろう。太一は背筋に冷たいものを感じながら、あることに気づいた。


「あれ?お爺さんとお婆さんがいるんじゃなかったでしたっけ……お婆さんの姿しか見えませんが……」


「ああ、爺さんね……どこ行ったかな……?」


 羽柴父は、腰のあたりを右手で押さえながら、上半身だけを押入れの奥へと突っ込んだ。


「……これが爺さん。」


羽柴父は、左手に持った位牌いはいを太一たちに見せた。


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 羽柴父に、夕飯を一緒に食べないかと誘われた。しかし、正真正銘のオバケ屋敷でご飯を食べる気にはなれなかった四人。それに、あの家で出される食べ物を口にするのは勇気がいる。毒が入っていても不思議ではない。羽柴が持ってきてくれたお茶も、四人とも口をつけなかった。


 羽柴家を出る頃には、すっかり日が沈んでいた。花木が持っているハンディカメラ以外の荷物は理科室に置いてきてしまったため、四人は歩いて学校まで戻った。


 凄惨な羽柴家の日常を目の当たりにし、四人は言葉を失っていた。道中、最初に沈黙を破ったのは、ムードメーカー気質の中川だった。


「……小池さん、あの一本背負い、すごかったね。柔道やってるの?」


「中学までやってて、二段。あと剣道と空手も二段。父親が警察官だから、小さい頃から色々やらされてきたんだよね。今はもうやってないけど。」


「そ、そうなんだ!知らなかった……」


 ベールに包まれていた小池さんの経歴が少し明らかになり、三人はホッとした。ヤンキーだという噂はデタラメだった。


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「磯山!俺、天文学部に決めたわ!お前も入ろうぜ!」


 羽柴家での騒動から一週間。今日が仮入部期間の最終日である。あの一件以来、太一と中川は今まで以上に仲が深まり、毎日のように様々な部活を回った。


「やっぱり天文学部が一番刺激的だったんだよなー。花木も小池さんも、あと羽柴先輩も面白いし、今後も何か楽しいことが起きる気がするんだよ。」


 以前は中川のことを鬱陶しく思っていた太一だったが、今は違う。中川と一緒の部活で三年間の思い出作りをするのも悪くないと感じていた。


「そうだな……俺も天文学部にしようかな。お前に付き合ってやるよ。あ、でも心霊スポットに行くのは勘弁。」


「じゃあ決まりだな!顧問の先生に入部届出しに行こうぜ!」


 太一は机の横にかけたスクールバッグからクリアファイルを取り出し、挟んでいた入部届を手にした。入部希望の部活欄には、すでに『天文学部』と記載されていた。


<完>

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