深淵高校 天文学部④

 右手にハンディカメラを構えた花木が門を開ける。門の鍵は何か硬いもので叩き壊されているようだった。草が生い茂る庭を進む花木。その後ろに中川、太一、小池さんが続いた。


 門から五メートルほど進んだ所に、黒い家の入口がある。四人の中で最も背の高い中川の二倍以上はあろうかという巨大な扉。扉にもたくさんの落書きが施されていた。


 花木は何の躊躇もなくドアノブに手をかけ、扉を引いた。ここも鍵がかかっていない。中に入る。玄関は四人が横一列に並んでもまだスペースがあるほどの広さだった。


 黒い家の中は薄暗い。しかし、まだ日が出ている時間帯だったため、窓からは光が差し込み、ライトは必要ない。それでも、太一の恐怖心は急激に膨れ上がっていた。中は、外から見た以上に広く、不気味に感じる。


「花木、俺たち何かしゃべった方がいい?YourTuberってリアクション命みたいなところあるじゃん?」


 中川が妙な気を回す。


「いや、大丈夫だよ。僕の動画はテロップを入れて、声は録音しないスタイルなんだ。」


 花木の言葉に少し安心した太一。今の状態でしゃべったら声が震えて、ビビっていることが中川にバレてしまう。


「ここにいても仕方ないし、進もうか。土足で上がっていいよ。」


 カメラを回す花木が仕切る。


「待って。」


 部屋に上がろうとした花木と中川を、小池さんが制止した。小池さんはしゃがんだ姿勢で、玄関の右壁に設置された靴箱を開き、中を覗いている。


「これは大人の男性用……女性用もある。それにこれは、女子高生が履くローファー……いろんな年代の人の靴があるね。」


「……ま、まさかこれ……噂にあった惨殺された一家の……」


 中川が声を震わせながら小池さんに尋ねる。その後ろからカメラを回し続ける花木。太一は反対側の壁に背中をピッタリくっつけ、靴箱の中を見ないようにしていた。


「さぁ、どうだろう。でもわかることは、この靴、最近まで誰かが履いていたもののようね。汚れているけど、土や泥によるもので埃を被ってるわけじゃない。つまり誰かがこの靴を履いて外に出ている。」


「じゃあ……この家、人が住んでるのか?しかも複数人で?」


 動揺を隠せない中川。背後では太一が目を瞑り、耳を手で塞いでいる。小池さんは続ける。


「まだ断定できないけど、可能性は高い。イタズラか、肝試しに来た人の忘れ物かもしれないけど。」


 小池さんは勢いよく立ち上がった。


「幽霊でも人間でも、何か出てきてくれたら最高の撮れ高になるよ!さぁ行こう!」


 花木は心の底までYourTuberに染まっているようだった。もし生きている人間がいたら幽霊よりも危険ではないか。刃物を持っていて、切りつけられたらどうする。ここは引き返すべきだ。そう考えた太一だったが、この四人の中では少数派。花木を先頭に、中川、小池さんが土足のまま家に上がる。太一も急いで後を追った。


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 居間、キッチン、トイレなど、一階をぐるっと見て回った。幽霊も人間も現れず、花木と中川は残念そうにしていた。一方、安堵した太一。もちろん、表情には出さないようにしていた。


 ただ、小池さんがキッチンで放った言葉が気になった。


「確実に人がいる。誰か住んでる。」


 冷蔵庫を開けながら言う小池さん。中は灯りがつき、冷え切っていた。さらに小池さんは、最上段からシメジの入ったパックを取り出して裏側のラベルを見た。


「賞味期限が三日後になってる。ということはつい最近、誰かが買ってきてここに入れたということ。」


 小池さんの冷静な分析結果が当たらないことを祈る太一。四人は次に二階の捜索に移った。


 玄関の正面にある木製の階段を登る。花木を先頭に、中川、小池さん、太一の順番。階段は人間一人が通れるくらいの幅。足に体重をかけるたび、ギシギシと唸った。今にも抜け落ちそうで、足取りは慎重にならざるを得ない。


「あのさ、花木。もし幽霊も人間も出て来なかったら、この動画ボツになるの?」


 唐突に中川が、前を歩く花木に質問した。花木はハンディカメラの画面を覗きながら答える。


「何もなくてもアップするよ。廃墟の雰囲気だけでも怖さあるし。それに廃墟好きなマニアも結構いるんだよ。」


「確かにな。この家に入った途端、何もしゃべらなくなった奴もいるし。」


 花木、中川、小池さんは振り向き、数段下を歩く太一に視線を向けた。


「……な、なんだよ、何見てんだよ!ビビってねーよ!俺はその……小池さんみたいに冷静に分析するためにあえて静かにしてんの!あえて!」


「その割には、何も発見できてないみたいだけど?」


 小池さんの一言が太一の心に突き刺さった。花木と中川は笑い声を上げながら前に向き直る。


 突然、太一は後ろから左肩を誰かに掴まれた。前には間違いなく三人がいる。幻覚ではない。強い力でがっしりと握られている。太一は首を時計回りに回転させ、背後を見た。


 二段下に大男がいた。縦にも横にもデカい。左手を太一の肩に伸ばし、血走った目で太一の顔を見ている。顔は青白い。黒い短髪に上下灰色のスウェット。所々黒く染まっているのが、太一には血の跡に見えた。


 太一は硬直した。大男が口を開く。


「ダメ……二階は……まだ……ダメ……」


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 太一は変声期を迎えて以来出したことのないソプラノボイスで叫ぶと、小池さんを突き飛ばし、中川と花木を足蹴にして階段を駆け上った。すぐ左にあった部屋の扉を開けて入り、内側から鍵を閉めた。


 太一の尋常ではない様子に困惑した三人。背後を振り返ると、その理由がすぐに分かった。


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 太一が入ったのは、子供部屋のようだった。勉強机にベッドが置かれた部屋。本棚がひとつ。床には大学ノートやルーズリーフが散らばっている。


 太一は部屋の真ん中あたりでしゃがみ、頭を抱えて震えていた。あの大男はどこから現れた?幽霊か?人間か?何もわからないが、恐ろしいものを確かに見てしまった。


「おい!磯山!開けろ!おい!!」


 子供部屋の扉が激しく叩かれ、外から中川の声が聞こえた。三人もあの大男から逃げてきたのだろう。


 しかしどうする?鍵を開けたら大男に捕まるリスクも上がる。このまま籠城ろうじょうし、やり過ごすか?窓があるから、最悪飛び降りて逃げることもできる。でも友人たちはどうなる?このままだと大男に殺されてしまうかもしれない。


あ"ぁああ"あ……ぁあああ"ぁあ"……


 中川の怒号に混じり、呻き声が聞こえた。部屋の中からだ。太一は部屋の中を見回した。


 ベッドの下から黒い塊がゆっくりと這い出てきた。徐々にその正体が分かり始める。頭だった。人間の頭部。黒い髪の毛の隙間から正気のない目が太一を覗いた。男だ。学ランを着た若い男がベッドの下から這い出てきた。


 太一は立ち上がり、ベッドからジリジリと離れた。完全に意識を男に取られてしまった太一。早く逃げなければ。でも体が動かない。


「早くしろ!バカ!開けろ!」


 中川の必死の叫びとドアノブがガチャガチャと動く音で、太一は正気に戻った。後ろを向き、扉に飛びつくと鍵を開けた。外から中川、花木、小池さんが飛び込んでくる。


 友人たちが無事だったのは心強かったが、状況は好転していない。ベッドの下から這い出てきた若い男が立ち上がる。入り口からは、身長一八◯センチ以上ある中川よりも頭ひとつ大きい大男が迫る。四人は挟み撃ちされる形になってしまった。


「すみませんでしたすみませんでした!俺たち何にもしません!帰ります!すみませんでした!」


「ぼ、僕も動画はアップしません!消します!だから許して!お願いします!」


 花木と中川は床に膝をつき、大男に向かって頭を下げ、謝罪し始めた。しかし大男は止まらない。ゆっくりとした足取りで着実に近づいてくる。


 なんとかこの状況を打開しなければ……そう考える太一の目に、壁に立てかけられた金属バットが留まった。

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