殺し(部)屋

殺し(部)屋①

 男の名は「FOXフォックス」。もちろん本名ではなくコードネームだ。ロシアを拠点に暗躍する某マフィア専属の殺し屋。


 「どんなターゲットでも二十四時間以内に始末する」ことをモットーにしており、全てのミッションで成功を収めている。これまでに暗殺した人間の数は二三六人。裏社会ではFOXを「伝説の殺し屋」と呼ぶ者も少なくない。謎の多い男。


 初めての殺しから二十年。毎日休みなく働いてきたFOXに、所属マフィアのボスは休暇を与えた。三日間だけの休暇。FOXとしては休みなく働き続けても問題なかったが「休め」というボスの命令なら従う他ない。


 しかしこの休暇、どこか妙なのだ。宿泊地もホテルもボスが予め決めていた。日本のT県B市怪奇町、怪奇駅前の「ネバーホテル四○七号室」。さらに「休暇中は食事の時以外、部屋を出てはいけない」という条件付き。


 FOXは、ボスが気を遣っているのだろうと考えた。敵対マフィアの幹部や各国の要人を暗殺してきたFOXには敵が多い。安全のために縁もゆかりもない日本で、ホテルから出ないように休暇を取れと指示したのだと。


 毎日のように仕事をしてきたFOXは、仕事をしない時の過ごし方がよくわからなかった。その上、ホテルから出られないとなると、やることはほとんどない。とりあえず持参した、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子様』を読みながら、ベッドに仰向けになった。


 ベッドが一台に、アメニティが置かれ壁に密着した机、ユニットバス、ウォークインクローゼット。それだけしかない殺風景な部屋だ。ここで三日過ごすというのは、ある種の拷問のようでもある。まだ日が高いのに、何もできないというのがこんなにも退屈なのかと、FOXはため息をついた。


「……一緒に遊ぶ?……」


 FOXはベットから上半身だけを起こした。部屋は暗闇に包まれている。いつの間にか寝てしまっていたらしい。


 女性の声が聞こえたと思い起きたが、部屋には自分以外に誰もいない。いるはずがない。幻聴のようだった。


 もう一度横になるFOX。そこで違和感に気づいた。さっきの女性の声、何と言っていた?意味のわからない言葉だった。少しだけ聞いたことがある程度だが、日本語のように感じた。ロシア人である自分に、なぜ日本語の幻聴が現れた?幻聴は脳の錯覚。だとしたら、知らない国の言葉が聞こえるのはおかしい。


 もう一度、上半身を起こしたFOX。枕元に置いてあったボールペンを左手に取り、一回ノックした。FOXはボールペン一本で全身武装した特殊部隊員を三人殺したことがある。日本は銃の所持が禁止されている国。重装備で侵入してくる者はまずいない。FOXは、ペンさえあれば誰でも殺せる自信があった。


 ベッドから起き上がり、部屋の入り口へ忍足で近寄るFOX。電気のスイッチを押すと、部屋中が明るく照らされた。誰もいない。ユニットバスも空だ。


 やはり幻聴だったのだろうか。FOXの心に拭えない疑問と違和感が残った。

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