第42話 壊れた傀儡は翻る

「はぁ? 森の中!?」


 ヘムカが通訳になってから三日目。今日はライベと男性警察官の通訳だ。さすがのヘムカも慣れてきたのだが、なぜかやる気が全くわかなかった。

 男性警察官は、早速ヘムカから訳されたライベの発言を聞いて驚倒している。


「ええ、そうですよ。森の中にある、世界と世界の接触による世界の歪。それらを通して我々はこちらの世界にやってきたのですよ。彼女を連れ戻すためにね」


 ライベはヘムカの方を笑顔で見てくる。


「なるほど、彼女はこっちの世界に逃げてきたのか。で、その歪ってのは塞がるのか」


「ええ、塞がりますよ。両世界から修復魔法を使えば理論上は塞がるはずですよ」


「両世界? なら少なからず一人はこちらの世界に残らなければいけないのか」


 男性警察官は、腕を組み誰か一人残らなければならないということについて考え込んでいる。


「そうですね、両世界が一体化したらどうなるのかわかったものではないのでいずれは済ませたいです。しかし、私どもの部下にはここでの暮らしを天職だと思っている人もいますよ。とはいえ、まだ猶予があるはずでので時間はありますよ」


「馬鹿いうな。早急に塞ぐに決まってんだろ」


 男性警察官は、机を叩きライベを威圧するように一蹴する。事を呑気に言っているライベが許せなかったのだ。そして、その怒りはヘムカにも飛んできた。


「で、あんたも使えるんだろ。さっさと塞いでくれよ」


 自分が協力すればすぐにでもこの問題は解決する。

 わかっている。

 わかっているのに、全く以て乗る気になれなかった。


「おい、あんた。聞いているのか?」


 ヘムカはすっかり謎の感情の解明に夢中で、男性警察官のことなんで微塵も聞いていなかった。

 何で? 何で?

 しかし、思い出すのは樹の顔だ。

 樹とやる気のなさに関係はない。そう疑う余地もなく決めつけるが、逆にどんどん樹のことが頭の中に浮かんでくる。

 気がつけばまたもや泣いてしまっていた。


「はぁ。まーた泣いているのか。水分補給しとけよ」


 知らない内に泣いていたらしく、男性警察官は泣くヘムカを何とも思わなくすらなっていた。


「お茶飲む?」


「飲みます」


 男性警察官が紙コップに緑茶を注いでくれる。

 飲み干すも、涙は止めどなく溢れ出てくる。


「嫌だよ。もう、嫌だよ……」


 こんな仕事、後ライベたちが帰れば解放される。わかっているが、何もやる気が起きない。


「休憩終了。悪いなあんた。もうちょっと頑張ってくれ」


 ヘムカはすぐに取調室に戻され、ライベとの会話を通訳する。ライベは無駄に落ち着いているため、通訳自体はやりやすいはずなのに昨日と比べてますますやる気がしない。

 というか、自分が自分でない気がした。


「大丈夫かなぁ。まあ、これだけ働いたら子どもは体調崩すよな……」


 さすがの男性警察官もヘムカがこの状態では続行が不可能と判断したのか、取り調べは急遽延期となった。

 部屋に戻されると、そのまま布団に寝る。どこか熱っぽい感じはするが、咳やくしゃみ。悪寒、食欲不振などはない。

 初めての感覚に抗えずただ布団の上で全身を脱力させていると、部屋の向こうから聞き覚えのある声が聞こえた。


「佐藤さん?」


 頭頂部に生えている大きな狐耳が、樹の声だと確信した。今までの脱力感が嘘だったかのように飛び起きると、急いで部屋を出た。


「佐藤さん!」


「ああ、ヘムカか……」


 廊下に立っていたのは、ただでさえやつれていた体をさらにやつれさせていた樹本人であり、手錠を嵌められ警察官に拘束されながら移動していたのだ。

 樹に近づこうとするが、樹はヘムカから遠ざかる。否、無理やり歩かされたのだ。


「悪いが、今構ってやれる暇はないんだ。それにあんた体調不良なんだろ? 大人しく寝てな」


 樹を拘束している警察官がヘムカに告げる。


「ちょっとだけだから」


 ヘムカは気にせず樹に近づくことにした。


「まだ取り調べ終わってないんだ。あんたも疲れているだろ?」


 確かに、ヘムカは疲れている。とはいえ、樹の近くにいるとそんな疲れなんか一瞬で吹き飛んでしまいそうなそんな気がしたのだ。

 ヘムカは構わず樹に近づいた。


「だーかーら! おとなしく寝ていなさい!」


 拘束していた警察官との喧嘩になるが、まず勝てるわけもなく強引に引き離されてしまう。


「あんただって、さっさとこいつに出てきてほしいんだろ? だったら邪魔するな」


 話は尤もである。警察官の言っていることは正しいことであるが、ただヘムカの感情はただただ嫌がっていた。


「だったら協力しない」


 ヘムカも、嫌なことを言っているというのは理解していた。その上での発言だ。


「ああ、そうなのか」


 ヘムカは、小声で呟いた。

 何に気がついたのか。

 それは、ヘムカは樹のことが好きなのだということだ。けれども、ヘムカと樹の間には遮るものが多すぎる。だったら、少しでも一緒に居たいのだ。


「はぁ? 何言ってるんだ?」


「ちょっとヘムカ?」


 警察官が困惑するのは勿論として、さすがの樹も動揺しているようである。


「通訳もしない。修復魔法も協力しない!」


 ヘムカが宣言すると、樹を拘束している警察官は大きく狼狽えていた。


「そうは言ってもな……」


 誰も得しない結果になりかけていたとき、近くに足音が聞こえた。別の警察官が騒ぎを聞きつけてきたのか、大人数である。

 きっと、無理にでも考えを改めさせられるのだろう。

 こんなことを思いながらも、ヘムカは感情のままに行動することしかできなかった。

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