第28話 危機一髪

「まずい、まずい、まずい……」


 ヘムカは、考えるよりも早く家を飛び出した。

 目の前の道は、丁度朝日が差し込んでおり警察官やらマスメディアやら野次馬やらで多くの人が密集している。

 この中に飛び込んでいけばフードを深くかぶろうとも、不審者に見えることは明白。けれども、現在は一刻を争う事態だ。

 建物の影に隠れるように外に飛び出ると、そのまま例の歪がある場所へと向かった。

 幸い、野次馬は全員隣の家にしか注目しておらずヘムカが注目されることはなかった。

 前回とは違い、今回は歪の位置がわかっているため時間がかかることはなく数十分ほどで目的の場所に近づいていく。

 しかし、近づけば近づくほどにヘムカは俯き足取りは重くなるばかり。

 終いには、歪を目の前にすると足が動かなかった。

 なんとか足を動かし歪の直ぐ側まですると、改めて修復魔法を放つ。しかし、今までに溜まった魔力は極僅か。そのような弱い魔法で修復できるわけもなく、ただ魔力を浪費しただけに終わる。

 手を強く握りしめ、歪を見上げた。

 この中に入りさえすれば、ライベの部下はヘムカを探さずにすむ。そうなればライベの部下たちがこちらの世界に入り込むこともないし、犯罪もなくなるはずだ。

 いいことだらけだというのに、ヘムカは樹と過ごした時間を思い出してしまいどうしても帰ることができなかった。

 不甲斐ない自分に情けなさを感じていると、遠くから足音が聞こえた。

 熊かと思い咄嗟に振り向くが、槍を持った兵士が不敵な笑みを浮かべながら足音を気にする様子もなくヘムカの方へと近づいてきていた。


「なるほどな……ここにいたのか」


 コンビニで奪取したであろう、スティックパンを咥えながらヘムカを見下すと槍を突きつけた。


「痛い思いしたくなきゃ大人しくしろ。わかるだろ?」


 帰れば、何もかもが上手くいく。

 わかっている。けれども、帰りたくなかった。

 先程から強く握りしめられていた拳は、滴るほどに汗だくになり、息を呑む。


「自分の立場がわかっていないようだな」


 兵士はヘムカの直ぐ側までやってくると、槍の先の方を掴んで穂をヘムカの瞳にあたる直前まで近づけた。ヘムカの目と穂の間は五センチもないだろう。油断すれば一瞬で貫かれる距離だ。

 そんな状況下で悠長に瞬きなどできやしない。


「……やだ」


 それは、小さな呟きだった。目の前にいる兵士が聞き取れないほどに。


「なんだって?」


 兵士の表情には、威圧感があった。兵士も戦闘を極力避けたいのだろう。

 しかし、あのライベが待っている世界には帰りたくない。

 何度考えても、ライベの元へ帰ることをヘムカの体は拒否する。だからといって、樹の迷惑になる以上樹の元へも帰れない。

 だからこそ、ヘムカが取った行動は一つだった。

 目をしっかりと見開いて兵士にも怖気づききっぱりと告げる。


「絶対に帰らない。あいつのもとに帰るくらいだったら、死んでやる」


 その言葉に嘘偽りはなかった。

 槍を掴むと、そのまま首元へと近づける。しかしヘムカの弱い力では、兵士によって握られている槍を動かすのことはできなかった。

 兵士としても、殺すのは避けたい。ライベは、殺さずに連れてくるように指示したのだ。

 とはいえ、ライベは治癒魔法を使える。多少傷を負おうが、四肢を切り落とされようが動けなくなった時点でゲームオーバーだ。

 兵士は、槍で四肢を切断し動けないところを連れて帰ろうと企み、ヘムカの脚へと襲いかかる。

 幸い、森林の根が多く地面は凸凹。空振りした槍が木に刺さり中々抜けないらしく、兵士は予想以上にヘムカに苦戦を強いられていた。


「クソがっ!」


 効率が悪いと考えたのだろう。

 兵士は、脚を狙う作戦から体のどこでもいいから当てるという方針に切り替える。万が一喉や胸に刺されば、ライベまで連れて行く最中に死亡する可能性があるが気にしていられないのだろう。

 ヘムカとしても、運良く喉や胸に刺さればいいのだが腕や脚に当たる可能性に比べたら低い。避け続けるしかなかった。

 まだ体力的に幼いヘムカは、長時間避け続けたことによりさすがに体力が疲弊し息を切らし始める。幼い頃から外で遊んでいたため、同年代の現代日本人よりはよほど体力はある。けれども、相手は訓練を受けた大人。多少息が上がっているものの、あまり疲弊していないようにしている兵士は、ヘムカに槍を突き刺す。咄嗟に避けるも、体のバランスを崩したヘムカはそのまま森の斜面を転がり道路まで飛び出てしまう。

 しかも、道路まで転がったときに斜面にある石や木の根、そして到達地点の地面のアスファルトといった硬いものに体をぶつけ続けたためあらゆるところが血まみれの状態になっていた。


「いったっ!」


 立ち上がろうにも、全身を打ったためか碌に痛みで体が動かない。

 無理して体を動かそうとしている間にも、兵士はやってくる。


「観念しろ」


 兵士は槍の柄の部分を握りしめると、動けないヘムカを気絶させるように後頭部を殴打しようと構える。

 しかし、その時耳障りな音が聞こえた。

 車のクラクションであった。

 音の方へと視線を向けると、法定速度を遵守しているのか不安になる速度でヘムカたちへと走ってくる一台の自動車があった。

 兵士が車に目を釘付けになっている間、どうにかヘムカは道路脇へと逸れる。そして、兵士はその車の衝撃をもろにうけて吹き飛ばされた。

 車が直撃すればただではすまないだろう。安心している中、自動車の扉が開く。


「ヘムカ……」


 自動車の中から出てきたのは樹だ。


「何しにここへ来た?」


 樹は、表情に滲み出る程に憤慨していた。


「……迷惑がかからないように、帰ろうとした」


 ヘムカは樹と面と向かう覚悟ができず顔を逸らす。そんな態度に痺れを切らし、ヘムカの頬を叩いた。当然手加減などしていないため、直後に頬全体に痺れるような痛みが広がっていく。


「おまえは、それでいいのかよ。ずっと言いなりになって、好きなように弄ばれて、一生奴隷として生きていくんだぞ!」


 樹は涙をまたもや流し、まるで自分が経験したことあるかの様にヘムカを説得する。

 ヘムカに反論はなかった。


「僕さ……」


 樹の言うことは尤もだ。だが、もっと不幸なことになる。そう言おうとした時樹が口を開いた。


「運転免許、持ってないんだよ」


「え?」


 思わず気の抜けた声を出してしまうヘムカ。しかし、樹は続けた。


「まあ、こんなことは序の口だよ。なんでヘムカの考えた作戦、反対なのか教えてあげるよ。僕ね、人を殺したんだ」


 ヘムカは、信じられなかった。反応する猶予すら与えられず、樹は黙々と自身の過去を語り始めた。

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