ボトルアクアリウムの部品

 金魚鉢を抜けてきたひかりが、出窓の床板にわだかまっている。しろく輝くひかりだまりに指をひたすと、ひんやりとした板の感触が伝わってくる。


 転がり込んだ男の家は、郊外の駅から歩いて十五分のところにあった。

 DMで送られてきた住所には、見るからにボロボロの平屋があって、一瞬埋められるかなって思ったけど、引き戸を開けたらつやつやのフローリング敷きで驚いた。「祖父から引き継いだ家をリノベ中なんだ」とはじめに説明したここの家主は、あたしを抱くどころか、洗濯物すら一緒に洗わないという徹底ぶりだ。


 ネットで出会った男の人に会ってはいけません。まして、一人で相手の家に行くなんて、言語道断です。

 そんな正論は知っていたけど、知らない人に乱暴されるのも、自分の家で乱暴されるのも一緒だし、なら自由になりたかった。殺されたって別によかった。あの家での生活が終わるなら、何でもよかった。けど、あたしは最期の最期であたりを引いた。

 最初にあたしに声を掛けてきたここの家主は、あたしに何も求めなかった。ずっと部屋にこもりきりで、仕事は何をしているか分からないけど結構金を持っているようで、あたしが住み始めてから一週間後には、屋根にでかい太陽光パネルがついた。

「これで、電力会社の契約を切っても大丈夫」

 あんまり感情を出さない家主が、すこしだけ嬉しそうにそうつぶやいていた。


 外観と立地をのぞけば、家の中はきっとタワマン住みのセレブにも負けないんじゃないかってくらい、整っていた。全自動洗濯機に、廊下はルンバが走って、料理はしてなかったけど、何でもデリバリーしてよかった。

 風呂洗いとか、トイレ掃除とかは、意外と几帳面な家主がいつのまにか終わらせているので、あたしはあてがわれた六畳一間で、ネトフリを見てはまどろんでいればよかった。

 あたしの唯一の仕事は、窓辺の金魚鉢に直射日光が当たらないよう、移動させることだった。真っ赤な金魚が一匹だけ入った金魚鉢は、ぴったりと口が締まっているからか、水が減ることも、濁ることもなかった。目が疲れて、あたしは窓に顔を向ける。金魚鉢のなかでゆれる水草に、真珠みたいな空気の粒が、ぷつぷつとうかんでいる。


 いいにおいがして目が覚める。かすかにジュウジュウと、何かの焼ける音がする。

 目をこすりながらダイニングに行くと、家主が料理をしていた。

「めずらしいね」

 食卓には、あざやかなフリルレタスの添えられた目玉焼きが並んでいる。

「ようやく完成したんだ」

 家主は、かつてないほどうれしそうにフライパンを振った。

「完成?」

 あたしは席に座りながら首を傾げる。

「金魚鉢だよ」

 家主はあたしの正面に座って、ナイフを手に取った。水草が作り出す酸素を吸って増えるプランクトンを、食べる金魚のフンが水草の栄養となる。太陽光から得た電気はあたしたちに快適な生活を提供し、それで生きるあたしたちの排泄物から作物は育って、あたしたちを生かす。

「どうして、あたしを家に入れてくれたの?」

「きみにしかできない役割をお願いしたかったから」

「あたしにしか?」

 切れ目を入れた半熟の黄身が、たらりと皿をよごす。家主はそっと、あたしの手首をつかんだ。

「まず、金魚鉢を直射日光にあたらない場所に移すこと。それから」

 ぐっとつかむ力が強くなって、あたしは顔をしかめる。家主はあたしの手首の、ちょうど青い静脈が走るあたりに口をちかづけて、うっすら笑う。

 ああ、あたしはいつから、自分が金魚だなんて思っていたんだろう。

 うすいくちびるの間から、とてもニンゲンとは思えないするどい犬歯がちらりと光る。流れる血は、金魚のように赤い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る