本音リップ

 「無口すぎてつまらない」

 という理由でふられたわたしは、泣き過ぎてぼうっとする頭で、“真実の口紅”なるものをネットでポチる。真っ赤なリップを塗るだけで、なんということでしょう、おしゃべり上手になってしまうのです!

 わたしはさっそく塗ってみるけれど、ひとり暮らしのワンルームじゃ当然だれともしゃべらないっし、くすんだ肌に色が浮いていることしか分からない。


 それでももったいない精神で、赤く染め上げたくちびるで出社した。

 毎朝なぜか最寄り駅で出くわす同期に、さっそく色をからかわれる。精神が小学生で止まっているこいつは、わたしが髪を切ったり新しい服を着たりすると、目ざとく見つけては囃し立てる。

 面倒くさいな。

 いつも通り、「ただの気分転換で」とか適当に笑って流そうと、開いたくちびるから出た言葉は「うるせえ」だったから、同期より自分が驚いた。

 あんたに評価してもらうために着飾ってないから。

 驚く本体から独立したようにぺらぺらしゃべるくちびるは止まらない。なるほど、確かに効果はばっちりだ。


 発言するか、しないかで迷ったときに、しゃべらない方を選択しがちなわたしにとって、口が勝手にしゃべってくれるのは、ハラハラするけど良いことも多かった。

 言葉には鮮度があって、数秒で腐り落ちる言葉を飲み込んだことが、リップを塗り始めてからなくなった。誰かのちょっとした冗談に躊躇なくつっこみ、投げかけられた悪意を打ち返し、不満は飲み込まずすぐに吐き出す。わたしたちは音叉であって、しゃべっていると共振してどんどん賑やかになることを、はじめて知った。


 わたしはリップに依存した。

 飲み会の途中、リップを塗り直して戻るとき、あいつが立っていた。

「この間は、ごめん」

 あいつがはじめて見せるしおらしさに、わたしは面食らった。けれど、くちびるは勝手に動く。

「いや、謝られても困るんだけど」

 とっさに口をつくのが毒舌なのは、やっぱりわたしの本性が腹黒いからなんだろうか。呆然とする同期の前から、慌てて逃げる。逃げながら焦る。いや、あれはない。

 確かに毎回毎回ジャッジされるのはいやだった。本当にいやだった。けど、それだけあいつがよく気づくということでもあったのだ。課長に出す前の書類をさりげなく修正してくれたり、名刺を忘れて外出しようとするわたしを引き留めてくれたり、つまりは、超お節介なお母さんみたいなやつなのだ。分かってる。

 だから、イライラしながらも毎朝一緒にコーヒーを買って出社してたし、たまにはご飯にも行ったりした。

 謝らなきゃ。

 わたしは機会をうかがったけど、こういう時に限って仕事が立て込み、なかなかあいつに近づけない。


 めずらしく定時であがったあいつを、終わってない仕事を無理やり終わったことにして、夕暮れの駅前を追いかける。

 改札前で捕まえたあいつは、引きつった顔をしていた。

 ちがうんだって、謝りたくて。

 そう思うのになかなか息は整わなくて、ようやく開いたくちびるは、「わたしも悪かったけど、あんたもさ」みたいなことを言い出す。

 いい加減にせい。

 わたしは手の甲でリップを拭い取ると、口を開いた。ああ、重たい。なつかしい重みにくじけそうになる。本心を取り出して言葉にすることの、なんと重たいことか。

 それでもわたしは諦めない。言葉の威力は、もう十分に知っている。

 かすれる喉を叱咤して、わたしは大きく息を吸った。

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