わたしが最近太った理由

「ここのご主人は奥さんなんですね」

 第一声がこれだったから、あたしはすぐに彼らに覚えてもらえた。今日も大将は細い腕で麺を湯切りし、金髪のチャラそうなホール係は、注文を取るより先に、新しいバイクを買ったと自慢してくる。

 同じ年ごろの男女二人で切り盛りするラーメン屋はまだオープンしたての穴場で、一般客として通う記者のあたしは、いつ取材を申し込もうか虎視眈々と狙っている。


 予想通り、寡黙な店主は取材嫌いで、地域のちっちゃな広報誌でさえお断りしてきたらしい。

 もったいないなあ、とあたしは透き通ったスープを飲みながらうなだれる。ミシュラン一つ星の有名店にも見劣りしないこの味をスクープすれば、きっとみんな喜ぶし、店だってもっと繁盛するはずなのに。ついでにあたしの評価だってあがるのに。

 いつ行ったって、五分以内に極上ラーメンが出てくるというのはなかなかに得難いけれど、正当な評価とはとても思えない。


 だから、ある日店の前に行列ができていたときは、ずっと応援してきたマイナーバンドがメジャーデビューでいきなりオリコン一位を取ったときのように、複雑な気分になった。

 カウンターしかない店内は常に満席で、いつもだったらくだらない雑談を仕掛けてくる人懐こいホールの彼も、「いらっしゃいやせー」と「あいあいしたー」しか言えないらしかった。

 くるくる湯切りに回る厨房内の彼女のポニーテールの軌跡を見ていると、となりの客がひそひそと声を潜めて何かをささやき合っているのに気づいた。

「美人」「やばい」「つぶやこ」

 そいつらは麺が伸びるのもかまわずスマホをいじり続け、ねぎをたっぷり残して席を立った。ホールの彼は、手早く重たいどんぶりを流しに下げて、机を拭く。あたしと反対に座る女性から、黄色い声が上がる。片手がひらひらと人懐っこく振られ、もう片方の手の下で、ぐっぐっと黄色いふきんが往復する。

 あたしはつい、バッグに視線を逸らす。開きっぱなしの口から、『美人店主が作る、見た目同様の繊細な味をどうぞ』大々的に銘打ったゲラが見え隠れしている。


 厨房移設の改装が終わった店内で、あたしの連れてきたグルメ評論家は、彼女の作ったラーメンを絶賛した。あたしはその姿を何枚もカメラに収め、ついでに広くキレイになった店内と、いつ何時もおいしい透明なスープを、腕がつりそうなくらいカメラをねじって撮影する。

 顔を出さないという条件で引き受けてくれた取材は大成功で、食通や地元の常連が通う店は、いまやすっかり有名店だ。麺を湯切りする主人の姿を見られなくなってしまったことだけが心残りだけど、厨房の暖簾の下から細い腕でつき出すあたしのどんぶりには、いつも大好きなねぎを多めに盛ってくれるから、そろそろ運動しなきゃなあと思いつつ、あたしは今日も麺をすする。

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