8-4. 焼きビーフンを食べるエリー

 長命種が皆そうではないのだが、エルフは種族的に穏和、悪く言えば呑気な傾向を持つ。

 ハイエルフなどは比較的高慢ではあるものの、その実、劣等種族(と彼らが認識している者達)から非礼な行為(と彼らが判断した事柄)を受けても、「まぁ劣等種族だから仕方ないよな」と気軽に受け流すし、何なら翌日にはすっかり忘れている。

 勿論、余程腹に据えかねることがあれば100年だって怒りをたぎらせ続け、復讐しようとする者もいるが。


 そんなエルフの中で、エリーは際立って短気だった。

 エルフとしては異常なほどに短期的な記憶力が優れていることもあり、些細なことで長く怒りを燻らせ、カッとなった時に手が出るのも早い。

 ひょっとしたら、【火魔法】スキルの素養が性格に影響を与えているのでは……と一瞬エリーは考えたが、同じ【火魔法】の両親は、普通の呑気なエルフだったことを思い出す。


 多少の影響はあるにせよ、結局これは、エリー個人の性質なのだろう。

 要するに、エリーはまた今日も、些細なことに軽い苛立ちを感じていたのだ。


「魔王軍ゆるすまじ」

「どうしたんです、エリーさん」

「キュー?」


 昼食時。借家に戻るなり思わず漏らしたような小さい呟きに、同居人のジローとヒタチマルが疑問の声を上げる。


「見てよこれ」

「見てます。怒ってても顔が良いですねぇ」

「じゃなくて、これ。お向かいのパン屋さんで買ったパン」

「パンですね」

「キュキュー」

「昨日までと比べて違うところがあります。何でしょう?」

「急にクイズが始まった」

「キューゥ?」


 パースリー市に来てから、というよりヒューム領に来てから、エリーは長らく宿暮らしを続けて来た。当初は配達者ギルドの宿舎を借りたこともあったが、主には食事やサービスの良い民営の宿泊施設を利用してきた。幾つか理由はあるが、特に配達者という仕事柄移動が多くなり、身は軽い方が好ましいからだ。

 が、この街は流通も良く、治安も(他所と比べれば)悪くなく、領主の身内とも友人であり、結局ヒューム領に来てから最も長く滞在することになっている。

 このまましばらく腰を下ろすのも悪くないだろう、と思った。なお、エルフ基準のとは、数十年程度の期間を意味する。


 そこで、エリー達は3人で暮らすのに不自由のない程度の広さの家を借りることにした。

 宿とは違って家事は自分達でやる必要があるし、食事の用意もしなければならない。今までにも気が向いた時に調理場を借りたり、庭に簡易のかまどを作って簡単な調理をしたことはあったが、毎食となると面倒臭い。

 そのため、出来合いのパンや惣菜を買って来て、家で食べることが多かったわけだが。


「うーん。何となくですけど、一回り小さくなった気が……あ、なるほど。それで魔王軍」


 様々な角度からパンを見ていたジローが何かに気付く。


「最近、魔王軍のせいで流通が滞って、小麦が値上がりしたんですよね」

「同じ値段で一回り小さくなったんだって! 許せなくない?」


 そこでパン屋に当たらず、魔王軍に怒りを覚えるのは、エリーが魔王軍に正面から殴り勝つ自信がある故でもあった。

 一般客の中にはパン屋の前でゴネる、叫ぶ、罵詈雑言を飛ばすなどして、威力業務妨害の現行犯で警邏兵に引き摺られていった者もいる。その他の善良な市民らも仕方ないとは思いつつ、多かれ少なかれ不満を抱いていた。


「武器や鉱石は普段より売れてるんですけど、全体的にはマイナス傾向ですねぇ」

「流行ってる業種もあるんだ? そういえば、配達者ギルドにも護衛や輸送の依頼が増えてたかも」

「変わったとこだと、しゃ業用の野営セットも注文が入ってましたよ。街を焼き出される前提なんですかね」


 野営セットとは、配達者や冒険者など、業に従事する者が長期・長距離の依頼を受ける際に使う、寝袋や野外調理器具、あると便利な魔道具などを纏めて丈夫な背負い鞄に入れたセット商品だ。エリーは買わなかったが、配達者ギルドでも売っていたのを見たことがある。


「とにかく、邪魔な地域にいる魔王軍を追い払えば流通は戻るんでしょ? ちょっと焼いて来ようかな」

「そう簡単でもないと思いますけど。向こうもメンツ商売でしょうし」


 と、エリーとジローがやや投遣りに話し合っている所に、


「キュフー!」


 とヒタチマルが何かを咥えてやってきた。


「ん? 何それ、チラシ?」


 安っぽい藁半紙に木版で押した、掠れた印字の広告ビラである。

 借家暮らしになってから、この手のチラシが郵便受けに挿し込まれるようになったのだ。


「キュイキュイ!」

「えぇと。焼きビーフン屋オープン、異国の不思議な味わいをご賞味あれ……?」

「焼きビーフン。お米を原料にした麺料理でしたっけ。お隣の国の名物らしいですけど」

「ジローは食べたことある?」

「僕もないですね。お隣とは国交も断絶してましたし」


 開店記念セールで通常時の半額、普段の値段も昼食としてはお安めくらいということで、買ってきたパンは夕食に回し、3人は試しに焼きビーフンなる料理を食べに行くことにした。





「こ……これは……! おいしい!」

「おいしいですね……!」

「キュゥー……!!」


 食に関する語彙力のないエリー達に食レポは難しいようだったが、どうやら口には合ったらしい。


「こんなおいしい物が、どうして今まで知られてなかったんだろう」

「お米は生産性も安定性も小麦よりずっと高いし、国によっては主食にもなるそうですけど……風味に癖があるから、あまり売れなかったんですよね。この調理法なら変な癖も消えますし、流行りそうなものですけど」

「キュフキュフ」


 エリー達が首を傾げる所へ、暇そうな店主が寄ってきた。

 開店記念半額セールと言っても、聞いたこともない怪しい民族料理を食べにくる客など、そう多くはないのだ。


「この焼きビーフンは、我が国の秘伝でしたからな」

「我が国、と言いますと」

「今は亡きケミンミ王国の宮廷料理。それこそが焼きビーフンなのですな」


 聞けば、店長はお隣の小国、ケミンミ王国の宮廷料理人だったとのこと。

 そして、そのケミンミ王国は、このフルリニーア王国に魔王軍が侵攻してくるより前に、その軍勢により滅ぼされていたとのことだった。

 店長は魔王軍に国が滅ぼされた際にうまく逃げ出し、流れ流れてこのパースリー市まで辿り着き、パースリー子爵領独自の開業支援制度なる物を利用して店を開いたそうだ。


「そんな制度あったの?」

「最近できたんですよ。ローズマリー様が文化振興政策を進めたいという話だったので、これも提案してじ込んでもらいました」


 トップダウンは話が早くていいですね、とジローはしみじみ頷いた。

 領主の妹であるローズマリーは、代々武闘派の気風を持つ、脳筋揃いのパースリー子爵領の中で、数少ない頭脳担当(※脳筋寄り)として奮闘している。

 部下まで脳筋という環境下、知人とはいえ部外者のジローにもアドバイスを求めていたらしい。

 知らない間に仲良くなっていたことには驚いたが、とても良いことだとエリーも思う。


「なんと、賢者ローズマリー様のお知り合いの方々でしたか!

 国が潰え、財産も失い、途方に暮れていた私が店を開けたのも全てローズマリー様の施策のお陰……今はまだ閑古鳥が鳴いていますが、必ずこの街一の名店となって恩返しさせていただきますぞ!」


 店長は他領の飲食店ギルドで求職中、パースリー子爵領の開業支援制度の話を聞き、半信半疑でこの街までやってきた。

 そして、開業支援制度利用者のの第一陣としてローズマリーから直接の説明と激励を受け、ここに店を開くに至ったのだという。


「私も友人のお陰でおいしい物が食べられたわけですし、後でお礼言っておきますね」


 そう言ってから、エリーはふと思う。


 おいしい焼きビーフンを食べることができたのは、店長のお陰だ。


 また、店長がこの街に焼きビーフン屋を開くことができたのは、確かにローズマリーのお陰だ。


 それを言うなら、そもそも店長が前の職場と国を失って、有能な料理人と貴重な文化がこの国に流出してきたのは、隣国を滅ぼした魔王軍のお陰なのではあるまいか。


 エリーがこうして焼きビーフンと出会うことができたのは、店長とローズマリーと魔王軍、三者のお陰だと言える。


「ご馳走様でした」


 そう考えると――店長や隣国の人達には申し訳ないが――魔王軍に対する苛立ちも、若干薄れるような気がした。

 勿論、どう考えても不謹慎な話ではあるし、絶対に口には出さなかったが。

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