7-9. 毒を撒くハンナ

 突然の火山活動の停止と、恐らくそれに関連するだろう巨大な火柱。

 そんな異変の調査に向かうエリー達は、まったく預かり知らぬ所だったが。


 硫黄臭漂う火山地帯に、1人の登山者が存在していた。

 半分の人々ハーフリング、あるいは足裏の人々ソールリングと呼ばれる種族の壮年女性、ハンナだ。

 普段は熱と臭気の問題で、温泉旅行のついでに山に登ろうという客も滅多にいない地域だが。この数日、彼女は泊まり込みで山にこもり、日が暮れる前にキャンプ地で休む生活を送っている。

 人と出遭えば不信がられもしようものの、彼女のキャンプ地は特に毒性の強いガスが溜まる窪地にあり、まず人目に付くことは無かった。


「ふっ……ふっ……」


 短く息を吐きながら、年齢を思わせない軽々とした足取りで、ひょいひょいと山道を歩く。

 種族的に大きな足裏は、山岳等を含む不整地への適性が高い。祖先が定住地を持たず、年中歩き通していた時代の名残で、種族の誇りだ。

 加えてハンナ個人も、若い頃は常に西へ東へ駆け回っていたこともあり、今でも同世代の同種族より体力に自信はある。


「しかし、何だいこれは?

 昨日から妙に肌寒くなってやしないかい?」


 2日前の夜、火山地帯で謎の巨大火柱が上がったことは、山が見える距離にある人里では何処でも噂になっていた。

 火山が生んだ温泉は領都リエット市から馬車で数時間の距離だが、麓にも小さな温泉町があり、ハンナはこの町を一時的な物資の仕入れ先にしている。

 だが、ハンナはちょうど2日前の朝から町には戻っておらず、町の噂も知らなかった。

 火柱を見るなり、噂話を聞くなりしていれば、異常な状況との関連も付けられたかもしれないが……寝付きの良いハンナは、睡眠中に自分の頭上で夜空を焼いた炎のうねりを、認識していなかったのだ。


「それに」


 大きく深呼吸をする。


「やっぱり、毒の気も妙に薄いねぇ」


 火山活動の停止により、有毒な火山ガスの噴出も止まっていた。

 その毒ガスこそが、ハンナの山籠りの目的なのだが。



 かつて被差別種族の自由、そして全種族の平等を掲げ、同志らと共に、世間に対し真っ向から抗ってきたハンナは、今新たな闘争のために力を蓄えていた。


 これまでも、ハンナは常に弱者の側にあり、被抑圧者の立場にあった。

 種族平等闘争の当時は、ハーフリングという被差別種族(地域による)であり、女性という被差別ジェンダー(地域による)であり、若者という被差別世代(地域による)であり、学生という権利制限対象(地域による)であった。


 ハンナ達の活動が世論を動かし(地域による)、種族差別は徐々に解消されつつある(地域による)が、ハンナは未だ不当な搾取を受ける社会的弱者だと自認している。

 意識の低い若年層の間ではソールリングは変わらず軽視され(地域による)、性差別は無くならず(地域による)、老人という程でもなくとも社会は老いに厳しく(地域による)、無職の貧困層は肩身が狭く、外れスキルの保有者は常に悪意に晒される。


 特に、外れスキルだ。

 ハンナは【毒耐性】などという毒にも薬にもならないスキルを授かった。日常にも闘争の場にもほとんど活かされることのない【毒耐性】は、権力に、社会に、大衆に、歴史に、外れスキルだとあざけられた。共にを掲げた同志らにすら、陰で馬鹿にされていたことも知っている。


 外れスキルは英雄にはなれない。

 それどころか、当たり前の権利を持つにすらなれない。

 常に、の自尊心を守るため、それより一段低い地位に押し込められる。


 故に、必要なのは革命だ。


 彼女の血潮は権利のための闘争を求めた。

 かつての同志らもあるいは死に、あるいは投獄され、あるいは社会に迎合して牙を抜かれた。

 理不尽に怒りを覚えようが、力がなければ何もできない。

 いつしかハンナもまた社会に飲み込まれようとしていたのだが。


 ある日ふと気付くと、ハンナのスキルは、レベル999になっていた。


 直前の記憶はない。日付を確認すれば、彼女が認識していた日付から20日程も経っていた。

 ただ、理由はわからなくとも、力を得た。


 ハンナの【毒耐性】は、毒物に対する抵抗力が増すスキルだった。

 スキルは規定のレベルに達することで、追加機能が解放され、スキル保有者にもレベルに合わせた情報が開示される。スキルに関して知りたいと思ったことが、精霊の情報庫から追憶の形で引き出される。

 開示される情報とは、スキルが創られた際に精霊によって規定された基本情報と、過去の同スキル保有者によって開拓された応用情報が含まれる。個人情報等は含まれないが、過去にどのような形で同じスキルが利用され、どのような結果を得たかが瞬時に解るのだ。


 スキルの記憶によれば、【毒耐性】の基本は「毒に耐えられる」だけの外れスキルだが、過去にはレベル100にまで到達した者がいたらしい。

 病の影響による有害物質やその他の悪影響を緩和する用法が異常に充実していたので、恐らく、かつてのスキル保有者に難病患者か、汚染地域に暮らす者でもいたのだろう。


 技能系スキルのレベル100で解放される「成果変質」は、スキルの本質を大きく変容させた作用を実現する。

 端的に言えば、ことがようになる。

 【毒耐性】スキルであれば、毒の「貯蔵」と「放出」。

 ただ毒にだけだったスキルは、毒をことができるようになる。


 かつての【毒耐性】レベル100の保有者は、薬品や毒物を圧縮、蓄積して戦闘にも用いたらしい。全身毒素塗れの重病人が何と戦っていたのかは知らないが、その状態でレベル100まで死なずにいられる程の社会的地位を持っていたのならば、病床で命を狙われることもあるのだろう。


 ハンナには高価な薬や毒薬を買い集める伝手も資金もないので、こうして地道に火山ガスを収集していた。

 使い勝手はともかく、ちまちまと花や虫から生物毒を集めるよりは手っ取り早い。

 魔力を常時使うので、毒を溜めている間は実質的に魔力上限が減るようなものだが、元々耐性系のスキルは魔力消費が極めて少ない。加えて、レベル999ともなれば魔力効率は格段に上がり、種族的に魔力量の少ないソールリングであってもかなりの容量を貯め込めた。今の貯蔵量でも、辺境の領都程度なら数回は滅ぼせるだろう。


「ふむ……ここらで一度、王都にでも乗り込むかね」


 理由は解らないが、毒ガスが出ないなら、こんな僻地に用はない。


 荷物を纏めて下山の準備をしようとしたところで。



「……ッ!?」


 【毒耐性】により、障壁に、山の麓辺りで、何かが引っ掛かったのを感じた。



 は、ハンナを殺し得る力を持っているようだった。

 しかし、【毒耐性】による障壁を越えることはできないらしく、壁の周囲を回るように彷徨うろついているようだった。


「なんだい、脅かしやがって!」


 小さく毒づき、荷造りを再開する。

 相手はまだ山の麓だ。障壁も機能しているようだし、時間は十分にあるだろう。


 そう考えて、ふと気付く。

 だ。

 そんな距離から、自分を殺せる何かが近付いていることに気付き、ゾッとする。


 自分にとって有害な物、危険な物を「毒」と判定して防ぐのが

【毒耐性】レベル999の障壁。

 純粋な力量による判定に加え、相手が自分に敵対する意思を持たず、敵対する立場にもなければ、それは反応しない。

 つまり、何かがに近付いているのだ。


 目的も判らない。何の組織に属するのかも。

 しかし、ハンナはかつての闘争の頃より、命を狙われることには慣れている。

 そんな状況から逃れることにもだ。


「慌てるこたぁない。ただ無駄なく動きゃあ、十分じゅうぶん間に合うんだ」


 障壁に張り付くように移動するは、抜け穴でも探すつもりか、どんどん登山道から外れてゆく。

 ハンナを中心とした相対固定になっている障壁を絶対固定に指定し直し、それが障壁に気を取られている間に、悠々と正面から抜け出せばいい。


 と。


「ひっ!?」


 障壁を削られる感覚。のこぎりで頭蓋骨を引くような不快感が身体を巡る。

 やめろ、やめろ、と小さく呟く。


 次いで、丸太を叩きつけられるような感覚。

 そんな物では壊されない自信はある。万一壊れても数秒で修復し、侵入した異物を押し出すことができる。

 大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。


 そして。障壁がほどかれるような感覚があった。

 先程までの力任せのものではなく、術理を読んで無効化するかのような。

 水のように柔らかくなった障壁の中に、異物がり込んできて。

 数秒経てば、元の硬さに戻った障壁に押し返された。



 何も問題はない。

 そう思いながらも、荷を纏める手付きが早まるのを、ハンナは自覚していた。




 ***




 半分と少しほどくだった辺りで、ハンナはヒュームを中心とした武装集団に遭遇した。


 ハンナが道の端に寄って擦れ違おうとすると、剣呑けんのんな集団の1人が近寄って来る。流石に武器――背中に負った大きな盾――を構えてはいないが、こちらを訝しむような目つきは、しゃくさわった。初めからを盗人か何かだと決めつけて来る、故郷の官憲の目と同じだ。


「あー……ハーフリングの小母おばちゃん。こんな所で何してるんだな?」


 ハーフリング。で呼ばれたことについて、思わず言い返しそうになったが、そんな暇はない。

 逃げる時には慌てる必要はないが、無駄にする時間もない。

 ぎり、と奥歯を噛みしめた後、何でもない調子で返した。


「登山だよ」


 相手の歩幅で大股3歩ほどの距離。

 この距離でも、この男にはハンナは殺せない。


 更に1歩近付いて来る。

 【毒耐性】スキルによる障壁が発生し、ヒュームの男は鼻先を見えない壁にぶつけた。


「ぐえっ」


 間抜けな声に、集団が殺気立つ。笑い声の1つも起きないのは、経験や訓練の賜物だろう。

 剣を抜いたヒュームの男が、その柄で障壁を叩く。盾の男より1歩程後ろで止まっているのは、主武装の差、射程の差だ。


「お主、何をしたぜよ」


 既に武装集団は臨戦態勢に入っていた。

 障壁の発生位置は、槍持ちはもう1歩後ろ。弓持ちはもう少し後ろ。距離の近い者もいるが、これは単に、腕が悪いのかも知れない。


「見えない壁……エリーちゃんが言ってた奴なんだな?」


 エリー、というのは、山の麓で障壁に引っ掛かった化け物だろうか。

 こいつら自体は大した相手ではないが、あれの身内となると、早急に対処した方がいい。とハンナは思考する。


「火山を止めたのは、あんたなんだな?」

「聞いても無駄でしょー。とっ捕まえて締め上げた方が早いよー」

「このような場所にいる時点で不審です。それに、そちらの方も敵対の意思はあるようですしね」


 盾持ちの言葉を、蜥蜴革の鎧の女と杖持ちの女が制止した。

 それに同調するように、他の者達もハンナを囲むように移動する。


「適当に犯人役をでっち上げて、とっとと帰るさね」

「むしろ、何かしら成果を持って帰らないと、あの領主は八つ当たりで我々の首を飛ばして来るでごわす」

「ウーヒョヒョヒョ! このハーフリングには生贄になってもらウーヒョ!」

「フンガモンガー! フンガンガーッ!!」

「ぬぬ。まあ依頼主に報告するにも、手ぶらよりはマシなんだな?」


 結局、場の空気は、いかにもヒュームらしい主戦論に傾いた。

 ハンナは力の差も理解できない愚か者達に、小さく溜め息を吐き。

 すぐに回収すれば目減りも少なかろう、と【毒耐性】スキルで溜め込んだ有毒ガスや毒煙、揮発した酸などを一気に解放した。


「ッ! これは毒、ぐ、はっ」


 盾と剣の男はすぐに全身を痙攣させて死んだ。素人よりは鍛えているのだろうが、盾でガスは防げない。

 蜥蜴鎧の女はスキルの影響か、僅かに声を出すことは出来たが、すぐに許容量を越えて死んだ。

 少し離れた位置に立っていた者達も、逃げる間もなく死んだ。

 残ったのは杖持ちの女が1人だけだ。


「即死? 有り得ません!

 ただの毒なら、彼女達の耐久力で防ぎきれるはず……一体何をしたのです!?」


 ハンナと同様にスキルで障壁でも張っているのだろう。色のついた空気が、透明な壁に遮られているのがわかる。


「ただの毒だよ。そいつらが弱かったんだろ?」


 慌てず、焦らず、無駄はなく。

 生き残りの杖持ちの周囲の物を除き、飛散した毒物を回収していく。今は耐えているこの女も、魔力が切れればしまいだ。

 残りの毒を回収して、速やかに撤収する。


「くっ……このままでは、耐えきれません……」



 既にハンナは杖持ちの女から視線を外していた。

 だから、毒ガスに囲まれた杖持ちが、決死の覚悟をその瞳に浮かべたことにも気付かなかったし。

 最期の魔法を絞り出す瞬間にも、特に何の対処もできなかった。

 とはいえ、気付いていたとして、何が出来たわけでもなかったが。



「……≪アンチバリアフィールド≫ッ!!」



 ぐにゃり、と全ての障壁が融解する。

 そういう魔法だ、と理解した。


 魔法を発動した杖持ちは、無防備に毒に飲まれて死んだ。

 

 強いの気配を感じ、ハンナは山の麓の側を振り返る。


 火を噴くエルフが飛んでいて、複数の火の矢が飛んでくるのが見える。


 それを認識した時には、ハンナの四肢は燃え尽きていた。

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