輝きは希望に満ちて
輝きは希望に満ちて
窓の外は、雪が降り頻る。
一週間程前から起きている、この異常気象。世間は
突然降り出した雪、北から吹き荒ぶ冷たい風。その両方によって、作物は枯れ始めた。
だが、人類とは強いもので、この混乱に立ち向かおうと、皆奮起している。
学園もそうで、この日は冬についての講義が行われていた。
「冬とは、古代に存在した死の期間と、以前説明したと思う。しかし、牡羊の大賢人こと、シェラタン・イアーソンが言うことには、光を生み出すための、星の休眠期間だそうだ。
突然このようなことを言われて、戸惑う者も多いだろう。しかし、冬は三ヶ月耐えれば必ず過ぎ去るとのこと」
生徒達は、厚着をして寒さに震えながら、教師の話を聞く。皆、
アヴィオールを除いては。
「アヴィオール、聞いているのか?」
アヴィオールは窓の外をぼんやりと眺めている。教師に呼ばれたことに気付かない。
隣の席から友人に肩を小突かれる。しかしそれにも反応を見せなかった。
ここ数日、心ここにあらず、といった様子である。最初こそ、担任教師はアヴィオールに向き合おうとしたが、アヴィオール自身がそれを拒否したために、腫れ物のように避けられていた。
この日の授業もそうであり、教師はそれ以上何も言わずに授業を進める。
「おい、大丈夫か?」
友人に問われ、アヴィオールはようやく振り返った。いつもの通り、表情は穏やかで、「どうかした?」とでも言うように首を傾げる。
「授業聞いてないだろ」
「え? 授業?」
アヴィオールは辺りを見回す。
どうやら、授業が始まっていることにすら気付いていなかったようだ。目を瞬かせ、友人を振り返る。
「ごめん。これ、歴史?」
「冬に備えての特別授業。まじで大丈夫か?」
アヴィオールは床に視線を落とす。返事ができない。
友人はため息をついて、教師に向かって片手をあげた。
「どうした?」
教師は問いかける。
「アヴィが調子悪いから帰るって」
「ちょっと……」
アヴィオールは友人を横目で見るが、それ以上の反抗はできなかった。
教師がアヴィオールに近付く。
「アヴィオール、本当に大丈夫か? 最近元気ないみたいだが」
アヴィオールは首を振る。
大丈夫であるわけがない。だが、問題がないように振る舞わなければ、自分の心を保てないのだ。
「今日はもう帰りなさい。親御さんにも伝えておく」
アヴィオールは暫く黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「あと、暫く学校休め。こんな状況なんだから、無理に来なくてもいい」
「……すみません……」
アヴィオールは、机の脚に立て掛けていた鞄を掴む。立ち上がると、椅子を直すことなく、とぼとぼと教室を後にする。
教室のスライドドアを閉める。廊下はあまりに静かであった。
「帰りたくないな」
アヴィオールは呟く。
自宅でも、アヴィオールは腫れ物扱いを受けていた。
両親には全てを打ち明けた。自分の冒険のこと。スピカとアルファルドがいなくなってしまったこと。勿論両親は悲しんだが、その態度は何処か他人事で、アヴィオールが感じる寂しさとは違うものに見えていた。
両親と顔を合わせるのが辛い。そろそろ立ち直れと言われるのが辛い。
「寄り道して帰ろう」
アヴィオールは校舎を後にして、校門を抜ける。
空から舞い落ちる雪は、一週間前に見た崩れ行く麦の欠片に似ていて、嫌でもあの景色を思い出す。
敷き詰められた石畳は、上から雪が降り積もり、すっかり隠れてしまっている。雪を踏み潰す度に、さくり、さくりと音がする。長靴を履いているものの、雪の冷たさは足先を突き刺して痛いくらいだ。
寄り道するとは言っても、何処に向かうか考えていなかった。この街は想い出が多すぎて、何処に行ってもスピカを思い出してしまう。
ふと、ワゴンのアイス屋を思い出した。確か「ポップクリームガーデン」という名前だったか。
寒空の下で食べるアイスなんて、美味しくないだろうなと苦笑する。だが、無性にチョコミント味のアイスが食べたくて仕方なかった。
街の中央広場へと向かう。そこには確かに「ポップクリームガーデン」と書かれた看板が掲げられていた。だが、アイスの看板は何処にもない。代わりにあるのは、ホットチョコレートの看板であった。
「あの」
アヴィオールは店員に声をかける。店員は男性。この店のオーナーであった。
「ここ、一昨日までは、アイス売ってませんでした?」
アヴィオールに問われ、店員は困ったように笑みを浮かべる。
「ああ、悪いね。こんなに寒い中、アイスを食べに来るお客さんがいなくてさ。だからホットチョコに切り替えたんだ」
そう説明する間も、オーナーはあまりの寒さに身を震わせている。以前アイスを買いに来た時には女性店員が二人いたはずだが、今はいない。
「こんなに寒いと、お客さんだけじゃなくてバイトの子も来なくてね。私もそろそろ帰ろうかと思って……へくしっ!」
オーナーがくしゃみをする。アヴィオールはそれをただ無感情で見ている。アイスはないのかと、ただそれだけを思った。
「君、大丈夫かい?」
アヴィオールの表情を見てのことだろう。オーナーは心配して声をかける。そして、ホットチョコレートを紙コップに注ぐと、アヴィオールに差し出した。
「今日はサービスだ」
アヴィオールは困ってしまう。物乞いのように見えたのだろうかと不安を抱いた。
オーナーはアヴィオールに半ば押し付けるように、紙コップを手渡した。
「あったかい……」
アヴィオールは呟く。
「早く飲みな。すぐ冷めちゃうぞ」
オーナーは笑う。
アヴィオールは小さく頭を下げて、広場の隅にあるベンチへと向かう。雪が座面を覆い隠していたが、構わずそこに腰を下ろした。
ホットチョコレートを一口啜る。甘い。くどいくらいだ。
「隣、いいかしら?」
声をかけられた。アヴィオールは顔を上げる。
目の前に、クリスティーナが立っていた。
「ああ、お久しぶりです」
アヴィオールは会釈する。
クリスティーナはアヴィオールの隣に目を向ける。座面に積もった雪を払い、そこに腰を下ろした。
二人は暫く会話することなく、ただぼんやりと空を見上げる。灰色がかった雲からは、ひっきりなしに雪が降り注いでくる。まるで、街を埋めようとするかのように。
「はあ……」
ため息をついたのは、クリスティーナの方だった。
「アヴィ君を励ますために来たのにね。実は私も落ち込んでるのよ。
アルフ君、いつかは大怪我するんじゃないかと心配してたけど、まさか死んじゃうなんてね。
スピカちゃんも……まだ若いのに……」
アヴィオールは、クリスティーナの横顔を見る。
アルファルドは、クリスティーナの弟子であった。クリスティーナにとっては、兄弟を亡くしたように悲しんでいるのだろう。
自分の悲しみで精一杯だろうに、アヴィオールを心配し、訪ねてくれた。アヴィオールは、その心遣いを有難く思う。
「それにしても、レグルス君たら、なんて強いのかしら。昨日からこっちに来てるんでしょう? 寂しいでしょうにね」
アヴィオールは首を傾げる。
クリスティーナは目をぱちくりさせた。
「聞いてないの? レグルス君のお父さんもお母さんも、亡くなっちゃったのよ」
アヴィオールは目を見開く。
レグルスからそのような話は聞いていなかった。麦の塔の事件で亡くなったのだろうか。
「ああ、私が言うべきではなかったわ。ごめんなさい」
口を滑らせてしまったことに、クリスティーナは後悔する。だが、出た言葉はなかったことにできない。また、大きなため息が洩れた。
アヴィオールはホットチョコレートを見下ろす。まだ湯気は出ているが、紙コップはすっかり温くなっている。
「アヴィ君。今度、時計塔に行かない?」
唐突に、クリスティーナは提案した。アヴィオールの肩が跳ねる。
時計塔は、麦の塔があった場所だ。スピカと死に別れた場所だ。その場面を思い出すだけで、心臓が掻き毟られたかのようにざわつく。
その感情を見透かしたかのように、クリスティーナは微笑んだ。
「難しいなら、行かなくていいのよ。
ただね、三ヶ月後には修繕工事が終わる見込みなの。だから、ついでにデザインも一新しちゃおうと思って、あなたから聞いた、エウレカとアークトゥルスのお話をデザインの元にしたのよ。だから、あなたに見て欲しくて」
アヴィオールはクリスティーナに目線を戻す。
騒動の後、クリスティーナへアルファルドの訃報を知らせた際、ついでに語った話であった。彼はどうやら、その話を気に入ったらしい。
「千年を超えた愛って、素敵ね」
「……そうですね」
アヴィオールは呟く。
恋人が死してもなお、想い続けるということ。他人は素敵だと褒め称えるが、実際に自分が当事者になると、これ以上に辛いことなどないように思える。
エウレカは、アークトゥルスは、これを千年耐えたというのか。途方もない時間の流れに、目を回しそうだ。
「気が向いたら連絡頂戴。三ヶ月後に迎えに来るわ」
クリスティーナは立ち上がる。服と髪に積もった雪を払う。粗方落ちると、アヴィオールを見下ろして屈みこんだ。
「これ。あなたが持ってて」
クリスティーナは、アヴィオールの手に何かを握らせた。
アヴィオールは見下ろす。自分の手が握っているのは、何の変哲もない、
「アルフ君の……スピカちゃんの家の鍵。私は合鍵を持っているから、これはアヴィ君に」
アヴィオールは首を振った。
意味がわからなかった。何故、スピカの幼なじみでしかない自分に、鍵なんて持たせるのだろうか。
クリスティーナは微笑む。
「管理してほしいのよ。
ほら、私、アンティキティラに住んでるから、頻繁には来れないじゃない。だから、あなたに頼みたいの。
ね。お願い」
クリスティーナは言うが、それが建前だということは容易に想像がつく。
スピカの形見がないアヴィオールに、形見になりそうなものを寄越したのだ。
「優しいんですね」
「あら、体良くあなたを使ってるだけよ」
そう言ってクリスティーナは立ち上がる。アヴィオールに片手をひらりと振ると、中央広場を後にした。
アヴィオールは一人残される。ポップクリームガーデンのオーナーも、いつの間にかワゴンごと姿を消していた。
アヴィオールは、すっかり冷たくなったチョコレートを啜る。それが喉に引っ掛かり、激しく咳き込んだ。
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