ロッシュ限界を超えて(4)

 風がない。

 音がない。

 星がない。


 頂上に辿り着いたアヴィオールは、異様な空間を目の当たりにして喉を鳴らした。

 麦の塔が出現してから、異様なものは見尽くしたと思っていた。だが、この空間は、今まで見たどんなものよりも異様であった。

 光が感じられないのだ。


 時計塔より遥か高い上空。

 本来ならば、星々に近い空の世界は、幻獣の棲である。

 しかし、光を吸い付くそうとしている麦の塔の周辺には、ただ黒い空が広がっているだけであった。


『どうなっている?』


 アークトゥルスも、その異様さに戸惑っているらしい。


「あんた達が望んだ結果だろ」


『いや、しかし……こんなに何もなくなってしまうのか……』


 その言葉を、今更じゃないかと、アヴィオールは鼻で笑った。

 今この空間で煌めいているものは麦穂のみ。それを踏み締めながら、アヴィオールは歩く。

 その空間は案外狭いもので、差程歩かないうちに彼女の姿を見つけた。


 黒く長い髪をなびかせ、くるり、くるりと舞う姿。


「スピカ……」


 アヴィオールは駆け寄ろうとして、しかし足を止めた。

 スピカがこちらを見たからだ。


「……エウレカ、だね」


 エウレカは、スカートの裾を摘み、腰を落として笑いかける。その顔には、スピカが持つ柔らかさも、エウレカが抱く憎しみも映し出さない。

 ただ、寂しそうに笑っていた。


「エウレカ。会ってほしい人がいるんだ」


 アヴィオールは言う。アークトゥルスと話をさせるつもりでいた。

 だが、エウレカは拒絶する。


 突然、足元の麦穂が伸びた。アヴィオールの足を絡め取り、上空へと投げ飛ばそうとする。

 アヴィオールは白鳩を飛ばした。白鳩は麦穂を断ち切って、アヴィオールを解放する。

 続け様に、麦を束ねた槍が襲いかかる。白鳩の具現化が間に合わない。


『剣を振るえ!』


 アークトゥルスの声が頭に響く。言われるまま、剣を両手で構えて真横に振るった。麦は弾かれ、パラパラと崩れ去る。


「いっ……つ……」


 受身を取れず、アヴィオールの体は背中から落ちた。強かに打ち付け、痛みに呻く。


『だらしが無いな』


「うるさいよ」


 アヴィオールは毒づく。立ち上がり、再び剣を構える。

 エウレカは両手で顔を覆っていた。肩を震わせる。泣いているのか。


「エウレカ。お願いだから、彼と会って、話してほしいんだ」


 アヴィオールは言うが、


「うるさい!」


 エウレカは怒鳴って拒否をした。


「今更誰が会いに来るというの!

 私を知る人はこの星にいない。私は独りぼっちなの。ラドンに食われて、絶望の中死んだ私のことなんて、誰も知りはしないわ。

 適当な話で、私じゃない私をまつりあげて、ヘラヘラ笑ってるこの星が大嫌い。

 私を助けてくれなかったこの星なんて、死んじゃえばいいのよ!」


 光が溢れる。

 麦が伸びる。絡まり、結び、一つの形を作り上げる。

 長い首、一対の翼、重たく巨大な体。

 それは、麦を編んで作り上げられた、一頭の竜であった。


『死ぬなよ』


「わかってる」


 アヴィオールは竜を睨み上げる。

 その竜は、まるでラドンのようであった。体色こそ違うが、かつてエウレカの記憶の中で見たその竜に、体付きはそっくりであった。

 きっとエウレカのトラウマだ。それを断ち切らなければ、スピカの元へは辿り着けないのだろう。

 アヴィオールは白鳩を呼び出す。自身の周りを旋回させて、竜の攻撃に備える。


『ああ、覚えているぞ……』


 アークトゥルスは呟く。


『ラドンはその巨体故、足元の攻撃に弱い。足元を崩して、首を狩れ』


 アヴィオールは驚く。


「よく知ってるね」


『奴の首を落としたのは私だ』


 ならば信頼できるだろう。アヴィオールは確信した。


 金色の竜が咆哮ほうこうした。辺りに光を撒き散らし、麦が舞い落ちる。

 振り上げられた腕が、アヴィオールに振り下ろされる。同時にアヴィオールは左手を突き出し、白鳩を真っ直ぐ飛ばした。

 白鳩が、竜の腕を貫く。腕に穴が空き、編み上げられた麦穂が解ける。

 竜の腕が解けた隙に、アヴィオールは剣を構えて走り出す。初めて振るう剣は重くて仕方ないが、振り回せない程ではない。


 竜の足元に潜り込む。力任せに剣を振り、刃を竜の脚に叩き付けた。

 竜が叫ぶ。エウレカが叫ぶ。痛むのか。苦しいのか。


「やめて! 放っておいて!」


 麦が編み上げられていく。竜の腕が再生していく。

 竜は再び腕を振り上げる。今度は両腕だ。両手を組んで拳を作り、アヴィオールに向かって振り下ろす。


『前に転がれ!』


 アークトゥルスが叫ぶ。アヴィオールは言われるまま、飛び込むように前転した。竜の足の間を潜り抜け、背後に回る。

 竜の拳が床に叩きつけられる。衝撃で床は抉れ、酷く揺れた。立っていられず、アヴィオールは片膝をつく。


『何をしている。斬れ!』


「わかってる!」


 アヴィオールは立ち上がると同時に走った。先程と同じ箇所を狙い、剣を薙ぐ。竜の脚は抉れ、そこから光が舞い上がる。

 竜が叫び、エウレカが叫ぶ。

 竜はたまらず膝をついた。体が傾く。だが、まだ片方だ。

 アヴィオールは、声を上げながら剣を振るう。無傷である、もう片方の脚に向かって、剣を振り下ろす。


「いや、やめて!」


 エウレカの声が、竜の咆哮ほうこうと重なり響く。

 竜は、長い尾を鞭のようにしならせた。その攻撃を予測していなかったアヴィオールは、横腹に衝撃を受けて吹き飛ぶ。

 二転、三転、転がりながら、ステージの端まで飛ばされた。滑りながらも麦穂を掴み、落ちそうになる体を腕一本で引き上げる。


「っく……」


 口を切ったのか、口の端から血が流れ出る。それを片手で拭い、アヴィオールは再び立ち上がる。


「エウレカ、お願いだ。彼と言葉を交わしてほしいんだ」


 エウレカは、アヴィオールの言葉を受ける。両手で顔を覆い、子供がするように嫌々と大きく首を振る。

 ならば仕方ないと、アヴィオールは剣を構えた。

 走り出す。


 竜が拳を振り下ろす。

 白鳩がそれを貫く。

 竜は尾を振り回す。

 白鳩はそれを押し返す。


 諦めず向かってくるアヴィオールを見て、エウレカは唇を震わせた。

 何故立ち向かうのか。どうして諦めないのか。


『エウレカ、もうやめましょう』


 不意に頭に響いた。

 スピカの声だった。


「嫌よ」


『どうして?』


「千年も待ったのよ」


『それは、星を滅ぼすために?』


「…………」


 エウレカは黙り込む。

 スピカは続ける。


『本当は、誰かがあなたの寂しさに気付いてくれるのを待っていたんでしょう?

 でもね、ずっと前から、彼はあなたの寂しさに気付いてくれていたのよ』


 エウレカは首を振る。

 彼とは誰のことだ。

 誰が気付いていたというのか。


『アークトゥルスよ』


 エウレカは目を見開く。

 そんなことがあるものか。ずっとずっと昔に、彼は死んだはずなのに。


「ぅあああ!」


 アヴィオールが剣を振るう。斬撃は片足を斬り落とす。

 竜の巨体が、轟音を響かせくずおれる。

 アヴィオールはすかさず竜の背中を駆け上がる。竜は身動ぎするが、構わず登る。

 そして、頂点まで行き着いた時、切っ先を天に掲げた。


 剣が振り下ろされる。

 竜の首が断ち切られる。

 金色の竜は叫ぶことなく。

 麦穂が解けて落ちていく。

 竜の体が解けていく。


 アヴィオールは落下する。辺りに白鳩を旋回させ、ゆっくりとエウレカの元へ。


「アークトゥルス、今だけこの体を貸してやる。エウレカと話してきなよ」


 アヴィオールは呟いた。ほんの小さな声であったが、自分の中にいるアークトゥルスに語りかけるには十分であった。


『ありがとう』


 アークトゥルスの声が頭に響く。

 目を閉じる。


 …………


 次に目を開いた時には、アークトゥルスの意識が体にあった。

 アークトゥルスはアヴィオールの体を借りて、エウレカの元へと歩いていく。

 エウレカは両手で顔を覆ったまま。涙が指の隙間から零れて落ちる。

 アークトゥルスは彼女の手に触れ、開かせた。


「エウレカ、待たせてすまない」


 エウレカは、最初こそ怪訝けげんな顔をしていたものの、すぐに目を丸くした。


「あの時、アネモネに込めた想いを伝えに来た」


 その言葉で、誰が会いに来たのか理解したからだ。


「アークトゥルス? あなたなの?」


 アークトゥルスは微笑み頷く。

 エウレカの両目から、涙が溢れて止まらない。

 千年もの長い間、独りぼっちでいた。独りぼっちで消え行く運命だと思っていたのに。


「会いに来てくれた」


 肩を震わせ泣き続けるエウレカを、アークトゥルスは抱き締めた。

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