第7話 竜の肉を喰うということは 07

「あ! 姫様の黒猫!」


 子供達が指差す方向に真っ黒な猫がフルールを眺めているかのように鎮座していた。


「私の?」

「違うの? いつも姫様と一緒にいるよ」

「姫様がここに来てから見るようになったよ」


 黒猫は自分が話題にされているとわかったのか、ゆっくりとした所作で歩きフルールの前で座った。


「姫様、猫の名前はなんて言うの?」

「名前なんて……」


 子供達が期待に満ちた目をフルールに向けていた。

 フルールもこの黒猫を目にするようになったのはこの修道院に来てからだ。修道院で飼っているか、野良猫が居着いているのもだとばかり思っていた。

 黒猫の真っ黒な双眸にフルールの赤い髪が映る。

 不思議な感覚だった。人でも獣でもまじまじと瞳を見つめるようなことをしたことはない。まして、自分の姿が相手の瞳に映り込むとは知らなかった。この黒猫の瞳が真っ黒だからなのだろうか。


 ――英雄王の側にはいつも黒猫の姿をした精霊がいた。


 いつか読んだおとぎ話の一文が浮かぶ。話に出てくる精霊の正しい名前は思い出せなかったが、精霊をレオと呼んでいたことだけ、はっきりと覚えていた。


「それじゃあ、『レオ』なんてどうかしら」

「英雄王の猫と同じだ!」


 有名なおとぎ話なだけはある。目敏く由来を言い当てられたフルールは驚き、笑った。フルールに吊られるように『レオ』と名付けられた黒猫が鳴く。


「レオと遊んでもいい?」

「レオ遊ぼう?」


 フルールの返事を待たずに手を伸ばした子供の手を黒猫は尻尾で弾き、その子供の頭を足場に木の上に逃げにゃあーと鳴いた。


「姫様ー!」

「急に触ろうとするから。あなたも突然触られたら嫌でしょ?」

「えー。ごめんね。レオ、遊ぼうよ!」


 子供達はめげることなくレオを追いかける。レオも子供達の相手をするように側を駆け回った。


「ねえ、姫様は今までどんな生活をしていたの?」


 フルールの側に残った子供のきらきらと夢見るよな視線にフルールはなんと答えようかと迷う。なにもないと自嘲するよな小さな村で暮らしてきたのだ。子供達が期待するようなきらびやかな生活とは程遠い。ここでの質素な生活とそう変わらない。

 答えに困っている間に子供達から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。誰が何を話しているのかわからないくらいだ。


「今までに食べた豪華なお料理は?」

「舞踏会ってなに?」

「毎日ドレスを着ていたの?」

「頭にお人形を飾ったの?」

「毎日お菓子を食べていたの?」


 お城に暮らすお姫様と聞けば誰もが、想像するような質問ばかり。子供達の小さな夢をそのままにしてあげたいと、フルールは幼かった頃を思い出す。王宮で暮らしていたといっても、自由に過ごせたのは小さく狭い離宮の中だけ。少ない使用人と母との生活はそれなりに楽しかった思い出も残っている。


「毎日ドレスではなかったけど、婚約した日は真っ赤なドレスを着せて貰ったよ。私の1番のお気に入りかな」


 少女たちが瞳を輝かせ、頬を紅潮させる。


「食事で好き嫌いをしたらお母様に叱られて、大泣きしたことがあるの」


 同じように好き嫌いのある子が唇を尖らせ


「まるで、アシルみたいな?」

「アシルよりも怖かったかも」


 おどけてみせるフルールに子供達は笑った。


「アシルよりも恐いなんて……そうだ。姫様私たちここを出ていくことになったの!」


 それは本当に嬉しそうな顔だ。孤児院を出られるということは、竜人と対峙することがなくなるということだ。将来修道士になることもなく、今も後方支援として竜人討伐へ連れていかれることもなくなる。恐怖に体を強張らせて怒られることもなくなり、死から遠のくのだ。喜ぶこと以上のこのがあるだろうか。

 フルールからの祝いの言葉に三人の子供は嬉しそうに顔を綻ばせる。


「ここでの最後の食事は特別なものなんだって」

「ここを出て行くお祝いなんだって言っていたよ」

「ねえ、姫様も一緒にお祝いしてくれる?」


 無邪気な誘いにフルールは笑顔を向ける。特別な食事ならばわずかな時間を過ごしたフルールではなく、ともに長く過ごしてきた孤児院の子供達と一緒の方がいいだろうと、首を傾げる。


「もちろんだよ。だけど、私なんかが一緒でいいの?」

「姫様がいいの!」

「姫様と仲が良かったんだよって、外で自慢できるでしょ」


 フルールと過ごす時間を大切にしようとしてくれる子供達にフルールは今までない高揚感を覚えていた。王宮にいた頃も、村で暮らしていた頃にも感じたことがない。フルールを大事にしてくれる者がいても、フルールとの時間を大事にしてくれた人を思い浮べることが出来なかった。


 にゃー


 レオがフルールの足に体を擦りつける。もう子供の相手は勘弁だと抗議するように顔だけを持ち上げていた。


「レオ、こっちにおいでよ」

「もっと遊ぼう」


 フルールがレオを抱き上げると満足そうに体を預けてくれた。


「レオはお疲れみたい。もう終りにしてあげて」


 子供達は物足りなそうにしながらも、素直な返事を返す。


「じゃあ、姫様。遊ぼう!」


 無尽蔵な子供の体力はまだまだ有り余っているのだろう。腕を引かれたフルールからレオは飛び降り去って行く。


「えー。遊ぶってもう十分遊んだでしょう?」


 日が傾き始める頃合いだ。本来はもう孤児院の室内に戻っているはずの時間だ。干した薬草を取り込むだけの作業だったのに、気が付けば時間が過ぎ、扉の前では子供達の監督をする神官が呆れたような怒っているような顔で立っていた。


「さあ、今日のお勤めはまだ終わってません。姫様を困らせてはいけません!」


 集められた薬草の入ったカゴを抱えて神官は先に中へと入る。

 孤児である子供達に自由な時間は少ない。修道士になるための勉強と、お勤めといわれる仕事がある。子供だからという理由でなにもせずに過ごせるようなことはない。子供達もそれをわかっている。楽しんだ時間を惜しむようにフルールの腕を引いて中へと入っていく。

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目を覚ました本能のまま悲しい世界を壊して何が悪い ゆきんこ @alexandrite0103

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