第59話
「さて、まずは料理からだな」
そう呟いた秋雨は、目の前の露店に目を向けながら品定めしている。彼がやって来た市場は相変わらず賑わっていて、こぞって客引きの声が飛び交っていた。その声に釣られて露店の商品を見る者もいれば、目的の店があるのかそのまま素通りしていく者もいて千差万別だ。
そんな中秋雨本人はどうなのかといえば、前者の方だ。
「まいどあり」
様々な野菜が並ぶ青果店や、料理に使用する塩や胡椒などの調味料を扱う露店などで、必要な食材や調味料を買い揃えていく。時に物珍しいものも売られていたが、何に使うのかその用途すら分かり兼ねる商品も売られていた。その他にも金物屋で調理に使用する調理器具を大人買いする。荷物を持つのが嫌だったので、購入してすぐに魔法鞄に偽装したアイテムボックスにぶちこんでいった。店の人間は珍しいという顔をしていたが、魔法鞄はある程度普及しているため驚かれはしなかった。
「これであらかた必要な物は揃ったな」
とりあえず、必要そうなものを片っ端から購入していったため、その金額もかなりのものとなっているが、シャレーヌ商会との取引で得た収入があるため大した痛手ではない。しかしながら、その累計金額は大銀貨四枚にまで及んでいる。平民の生活費二ヶ月分に相当するといえば今回の買い物で秋雨が使った金額がかなりのものだと分かるだろう。
「きゃああああ」
買い物も終わり、そろそろ宿に戻るかと考え始めたその時、突如として女性の悲鳴が響き渡る。悲鳴が聞こえた方向に視線を向けると、こちらに向かって走ってくる男の姿を捉えた。その手には似つかわしくないほど豪華なバッグが小脇に抱えられている。
(ひったくりか、この世界にもあるんだな)
秋雨が頭の中でそんなことを考えている間にも、ひったくりの男がこちらに逃走してくる。
「おらおら、怪我したくなかったらどきやがれ!!」
男の言葉に周囲は騒然となり逃げ惑う。だが、そんな程度の脅しで怯むほど秋雨は肝の小さい男ではない。
(このまま見過ごせば、面倒事に巻き込まれずに済むがそれは犯罪者の片棒を担ぐ行為と同じになってしまう。かといって、奴を捕まえたら捕まえたでその先待っているのは面倒事だけだしな。くそう、実に悩ましい!)
などと秋雨が自問自答している間にも、男がこちらに迫って来ている。あの男を捕まえなければ、面倒事にはならないが良心の呵責に苛まれる。だが、捕まえれば面倒事になる可能性が極めて高い。どっちに転んでも嫌な結果が待っていることに苛立ちを覚えたが、すぐにその感情が消えることとなる。
(そうだ、面倒事になるのはひったくりを捕まえた人物が俺だとバレている場合だ。だったら、バレないように捕まえればいい)
いろいろ考えた上で出した結論、それは“バレなければ問題ない”という単純なものだった。だがしかし、ここで彼の悪癖と呼ぶべきものが出てしまっていたのだ。彼がこの異世界で行動してきた内容を見てもらえば一目瞭然だが、秋雨の異常と呼ぶべきまでの慎重な行動は、純粋に面倒事に巻き込まれたくないという損得勘定からくるものだ。面倒事を回避したいという思いが、常にその状況の最適解を求めるために長考する癖がついてしまっていた。
「どけつってんだろうが!!」
(っ!? しまった、気付けば男がもう目の前に)
というような具合で、事態はすでにバレるバレないという問題を通り越している。だが、このような状況であっても秋雨の悪癖は自重しないらしく。
(待てよ、このままひったくり男の攻撃を受けて吹き飛ばされれば、とりあえず面倒事には巻き込まれないのではないか?)
常人であれば、そのようなことを考えている暇など皆無なのだが、女神サファロデから貰った【丈夫な体】はどうやら頭の回転の速さも含まれているようで、男が右肩を入れながらタックルの構えを見せている今ですらそんなことを考える余裕があった。
男に吹き飛ばされ面倒事から回避するという最適解を導き出した秋雨は、さっそく行動を開始する。ただ、いくら丈夫な体だとはいえタックルをもらって吹き飛ばされれば、多少の痛みを伴うことは避けられない。そして、秋雨が常人離れした身体能力を持っていたとしても、咄嗟に攻撃を受ければ人間としての防衛本能が働いてしまい、体を守ろうと全身に力が入ってしまうのは仕方のないことで……。
「俺様の邪魔をしなければ、痛い思いを死なずに済んだもの――ぷぎゃっ」
さて、ここで誰でも分かるように説明しよう。生まれたばかりの赤ん坊が四トントラックに凄まじい勢いで体当たりするとどうなるだろうか? その結果は言うまでもないだろう。
まるでボロ雑巾のように石畳に体を叩きつけられながら、男の体が宙に舞う。その後、最終的にピクリとも動かなくなった。足が少しぴくぴくと動いていることから死んではいないことは分かるものの、全治数ヶ月クラスの大怪我は間違いなく負っていることは容易に想像できる。そしてこれまたご都合主義よろしく、男が吹き飛ばされた際に女性から奪ったバッグは宙を舞い最終的に女性の近くに落ちていた。
「……あっ」
(やべっ、目が合っちまった)
秋雨にとってまるでスローモーションのように流れていったその一連の動作は、実に自然な流れであったため被害者女性の近くにバッグが落ちていくのを目で追ってしまっていた。それ故に、その近くにいた女性と目が合ってしまうのは極々自然な流れとも言えたのだが、秋雨にとって最悪の事態であった。
(ち、仕方がない。ここは一旦逃げる!)
そう判断すると、秋雨はすぐさま踵を返しその場から撤退する。被害者の女性から発せられた「お待ちになって」という声が背中から聞こえたが、秋雨は内心でこう思った。
(待てと言われて待つ奴など、この世に存在しないんだよ。ブルジョアのご婦人)
何はともあれ、秋雨の予想していた通りにはいかなかったものの、必要となる食材や道具などは手に入れることができたのは僥倖だったので彼の中で良しとした。だが、残念ながらそうは問屋が卸さないだろうなとも彼自身思っていたため、ついぞこんな言葉を呟いてしまう。
「この街を拠点にするのも、ここらが潮時かもな……」
思っていたよりも早く次の拠点を目指すことになりそうだと、秋雨は内心でため息を吐いたが状況的にはまだ“最悪な状況”ではないため、急ぎ宿へと戻ることにした。
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