第54話
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
鬱蒼と草が茂る森の中、女が一人血相を変えて疾走していた。
その顔には汗が噴き出しており、何かから必死に逃げている様子だ。
「じょ、冗談じゃないよ、あんな化け物がいるなんて聞いてないよ!」
誰にともなく悪態をつく女だったが、その言葉に応えるものは誰もいない。女は先ほどまで自分が感じていた殺気に対して、驚愕と畏怖の念を抱いていた。その圧倒的なまでの力量差に、仲間を見捨てて逃亡してしまうほどに。
最初に女が違和感を覚えたのは、突如として現れた気配だった。その気配は、索敵能力に優れている彼女だからこそ捉えることができたものであるといってもいいものであった。
だからこそ気付いた。否、気付いてしまった。圧倒的なまでの強者の存在に……。
しかし、秋雨が廃墟に姿を現すまで女は半信半疑だった。今まで自分が生きてくるために頼ってきた勘は、“目の前にいる少年が強者”だと警鐘を鳴らしている。そして、秋雨が最初に攻撃を仕掛けてきた時、女は自分の勘が正しかったことを自覚する。
傍から見れば、秋雨が突進してきた時に石に躓き、偶然彼の手からすっぽ抜けた剣が男の胸に突き刺さったとしか思わないだろう。だが、常日頃から人の顔色と気配を窺ってきた彼女にとって、秋雨が一瞬だけ放った殺気に気付くことは難しいことではなかった。
秋雨の殺気を感じ取った女は、そのあまりの圧迫感に戦慄した。そして、次の瞬間に理解した。
“この場にいたら殺される”と。
そのことを理解した女の行動は実に迅速だった。
自分よりもはるかに格上であろう殺気を放つ秋雨から逃れようと、その場にいた人間の目が秋雨に注目している隙を狙ってまんまとその場から抜け出すことに成功したのだ。
そして、現在女は秋雨から少しでも遠くに逃げるべく、グリムファームの街を後にし、自分に奴隷調達の依頼を出した依頼主の元へと向かっていた。
彼女が森に入ってから十数分後、索敵の網にとある気配が引っかかった。
(ちっ、モンスターか、このクソ忙しい時に……)
女が内心で悪態をついていると、進行方向からモンスターが姿を現した。
そこに現れたのは、フォレストファング四匹とフォレストボア三匹の混合の群れだった。
通常モンスターが群れを形成する際、基本的に同種族や同系統のモンスター同士で群れることがあるのだが、何事においても例外は存在するもので、今回のような他の種類のモンスターで群れることがたまにある。
特に多いのが、ダンジョンや洞窟といった特定の制限された空間などでこういったことが起こりやすいとされているのだが、不運にもそれが森で起きてしまったらしい。
それでも、女は至って冷静だった。
こういった修羅場や窮地を人並み以上に経験してきた彼女にとっては、今回の事態はそれほど大事ではない。彼女自身の実力がCランクの冒険者に匹敵するということも相まって、今襲ってきているモンスターでは彼女の脅威になり得ないことも、彼女が冷静でいられた要因の一つといえる。
寧ろ、少しでも早く秋雨と距離を置きたいという思いが先行しているため、女は早々に懐にしまっていた短剣を取り出すと、即座に戦闘態勢を取った。
(この程度のモンスターなら、あいつを相手にするよりも百倍マシだね)
女の考えていることが事実であるかのように、一匹また一匹と攻撃を躱しながらモンスターを蹂躙していく。そして、残りのモンスターがあと数匹というところで事態が急変する。
「なっ」
そこに現れたのは新たなモンスターの群れだった。
だが、最初に出会った群れと決定的に違うことがあるとすれば、その群れにはボスがいたのだ。
他のモンスターとは明らかに異なる巨体を持ち、同系統のモンスターよりも数段威圧感を放つ存在、それがなんと二体もいたのだ。
現れた群れのボスに、女の顔色が見る見るうちに絶望の色に染まっていく。そして、その光景が信じられないとばかりに彼女はぽつりと呟いた。
「そ、そんな……【ヒュージフォレストファング】に【ビッグフォレストボア】だって」
女の前に立ちふさがったのは、Dランクモンスター【ヒュージフォレストファング】とEランクモンスター【ビッグフォレストボア】だった。
そして、その二体に率いられたフォレストファングとフォレストボアがざっと見たところ最低三十体という規模の群れを形成していたのだ。
通常、同個体で形成されたモンスターの群れの討伐難易度は、群れているモンスターのランクの一つ上のランクとなる。
例えば、Fランクのフォレストファングが十体前後の群れを形成していた場合、討伐難易度は一つ上がってEランクとなる。
そして、今回の場合Fランクの【フォレストファング】と【フォレストボア】の混合の群れが三十体以上に加えて、ボスである【ヒュージフォレストファング】と【ビッグフォレストボア】の個体が混ざった中規模の群れであるため、その討伐難易度はCランクの上位にまで跳ね上がっている。
これは六人組のCランク冒険者パーティーが、一人から三人の犠牲者を出してなんとか討伐可能な規模の群れであった。
いくら女がCランクに匹敵する実力を持っていようとも、個の力というものは数の暴力には勝てないのが道理というものだ。
(クソが! 最初の群れは偵察だったのか。けど、こんなところで死ぬわけにはいかないんだよ! あたいには、やらなきゃいけないことが、あるんだ!!)
この状況から逃れたい一心で、心の中で叫ぶ女だったが、その叫びが誰かに届くことはなかった。
そして、いよいよ群れのボスである二体のモンスターが、配下のモンスターに何か指示を出した直後、逃げ場を塞ぐように彼女は群れに取り囲まれた。
完全に退路を断たれ、あとは数の暴力によって蹂躙される時を待つのみとなってしまった女だったが、幸か、不幸か、女がモンスターに蹂躙されることはなかった。なぜなら――。
「【
突如として魔法が顕現し、モンスターに水の玉が襲い掛かる。
そこに現れたのは、今女が世界で最も会いたくない人物であった。
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