42.理不尽に堪えて

 翌朝、午前四時。まだ日も出ていない位の時刻だ。俺達はロージーの指示に従い、冒険者ギルドの裏庭に出ていた。そこは小さな練兵場のようになっているようだが、長い間使われていないのか所々、長い草が茂っていた。縦10M、横幅5M位の細長い空間だ。彼女はいつもと同じように、闇色のロングドレスを着たままだ。


「あの、今から何をするんです、かっ!?」


 突然耳元で破裂音。何かに張り飛ばされ思わず倒れ込んだ俺の顔から、口の端が割けて血が滲んだ。


 彼女の手から俺を打ったそれは、短い鞭だ。手元は広がった袖口に隠れて良く見えないが、それが両手に一つずつ握られている。続いてリッテの呻き声がして、彼女が飛び退る。脇腹を押さえる彼女もどうやらそれに打たれたようだ。


「甘っちょろいことを言ってるんじゃないよ……死にたくなかったら、逃げるか防ぐかなんとかしな」

「ひっ!?」


 俺とリッテは慌てて距離を取るが、この狭い庭の中ではうまくいかない。瞬く間に追いつかれ、唸る鞭にしたたかに肩を叩かれる。残像が見えた時にはすでに体が痛みを訴えるような、凄まじい速度の連打が、恐るべき正確さでこちらの体を抉る。


「……リッテ、お前は反対側に逃げろ!」

「いきなりこんなのっ……わっ!」


 俺達は自前の武器も何もない状態だが、それでもロージーは容赦しようとしない。だが、俺とリッテが距離を取ったことで一度には相手に出来ないはずだと、内心で気を抜いたのがいけなかった。


「ちょっと頭を使ったくらいで逃れられると思うんじゃないよ、間抜け共が!」


 ロージーの持った鞭がいきなり伸長し、まるで左右が完全に見えるかのように、二人へと同時に襲い掛かる。俺は右足首を、リッテは左手首を撒きつけられ、引き合うように中心へと寄せられる。


「ジロー君どいてっ!」

「無理だっ……うぁあっ!」


 中央でそのまま体をぶつけ合い、両方とも地面にうずくまる。だが、それで終わりでは無かった。むしろ、ここからが地獄の始まりだったのだ。


「ほら、立ちな。まだまだこんなもんじゃないよ」

「……ぐぁっ!」


 腹部にめりこむ鋭い感触は彼女のヒールの爪先だ。そして一方でリッテは背中を鞭で鋭く打ち付けられる。


「こんな体たらくで、あんな大きな口を叩いたのかい。反吐が出そうだよ……」


 ロージーがリッテの髪をつかんで引き起こすのを見て、俺は思わず掴みかかった。当然そんな俺の腕は空を切り、足を引っかけて転ばされる。


「こんのおッ!」


 リッテは反撃しようと拳を振り上げたが、いともたやすく躱されると平手を喰らい地面に倒れ込んだ。


「こんな馬鹿なことを……どうして」

「はっ……この程度の暴力に耐えきれないような奴らが魔物達の温床になってる北へ向かおうだなんて……夢を見過ぎなんだよ。とっとと尻向けてお家に帰んな。あたしはあんたらが帰るまでこれを続ける。事故って死んでも仕方ない位のつもりでね。それだけだ」


 朝日が昇り始めるまでの約二時間程それは続き、俺達は見えない打撃にただただ打ちのめされる。撃ち倒され、叩きつけられ、ひたすら転がされ、気絶したら水をぶっかけられて強制的に気付けさせられ、ようやくそれが終わるころには、痛みが体中をくまなく走り、その場から動けなくなっていた。そんな俺達に彼女はねぎらうでもなく、一つの紙束を放り投げる。


「これを明日までに全部こなして来な。出来なけりゃ明日からギルドの敷居は跨がせない」

「そんな……これ、何件あると思ってるのよ!? 全部今日中にだなんて……」


 二十件以上もある紙束を見て、リッテが抗議する様に怒鳴ったが、ロージーは取り合わずに鼻を鳴らし冷たく見下ろす。


「知った事か。さっきも言ったが、耐えられないならとっとと帰るんだね。遊びじゃないんだ。こんな程度もこなせないような能無し、どこ行ったって通用するもんか。その様子じゃ出来ないってことでいいんだね? だったらとっとと消えな」

「待ってよ! やるわよ……やればいいんでしょ」


 リッテはロージーが拾い上げようとした依頼票を握る潰すようして取ると、ふらふらとした足取りで歩き始める。あんな数、本当に一日でこなせるのか……!?


「ここまで、する必要があるのかよ……」

「さっきも言ったよ。あたしは容赦しないでこれを続ける。あんたらが諦めない限りね。恨むんなら浅はかな自分自身を恨みな」

「ジロー君、急いでよ!」

「悪ぃ……」


 後を追うべくよろけながら立ち上がり、ロージーを強く睨んだものの彼女にはどこ吹く風と言った具合で完全に無視をする。俺はやがて踵を返し、去り際にもう一度彼女の方を見たが、吐き出された煙に隠されて、どんな顔をしているかも良く分からなかった。 

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