第67話【寮母長響視点】
【響視点】
クウの錬金術指導が始まり、一月。
私はレオンさんの孤児に対する愛情の深さを見誤っていました。
クウはドワーフの先祖帰りのため、レオンさんの『実験』に無我夢中です。おそらくあの娘の頭の中にあるのは楽しいことばかりでしょう。
元々明るくはあったのですが、生きがいを見つけたかのように毎日が充実しているように見えます。
それは寮母として大変嬉しい光景でした。レオンさんの「失敗を恐れることはない」「上手く行かなければ別の道を探せばいい」「私はずっとこの孤児院にいる」という言葉が幼い彼女の支えになっていることは想像に難しくありません。ずっと孤児院にいてくださるのですね……えへへ。
クウは錬金術が上手く行かなかったことで両親に失望され、捨てられた過去を克服しようとしています。
なにより驚きを隠せないのはレオンさんの器の大きさでしょうか。
どうやら《形質変化》と呼ばれるものを指南しているのですが、魔力が欠乏した結果、毎日意識を失われていました。
かろうじて意識を残したレオンさんに肩を貸した日があります。
たしか、無茶をなさらないでください、と声をかけたように記憶しています。
しかし、彼はまるで聖人のような——いま、私は最高に幸せだ、と言わんばかりの表情でこう言ったのです。
「クウは過去を乗り越えようとしているんです。ここで大人の私が寄り添わなくてどうするんですか」
かっ、カッコいい……! じゃなくて!
ああ、レオンさんから汗の匂いと体温がすぐ傍に感じられます。このまま刻が止まればいいのに——じゃなくて!!!!
もっ、もう少し密着しても不審がられないでしょうか。大丈夫、ですよね。
これは——介添え。そう、介添えですから! 魔力を欠乏し、ふらふらになっているレオンさんに肩を貸しているだけです!
なにもやましいことなんてありません!
はしたない? そんな風に思う人がはしたないんですよ! 私はいやらしくなんてありません!!!!!!
下心がバレずにこれからもレオンさんに密着したい。そんな私の願いは天に通じたのでしょう。
私が肩を貸した次の日から、レオンさんは気絶寸前になっても、意識を失うことはなくなりました。
おそらく、初日に意識を失った日に多大なる心配をかけたことを気にかけてくださったのでしょう。やはりお優しい殿方です。彼といると心が温かくなっていることに気が付きます。
レオンさんはまさに聖人を体現したようなお方。
ですから、鬼——それも殺人鬼だった私のことなど眼中にないでしょう……いや、それはさすがに言い過ぎました。いっ、異性として意識ぐらいはしてくださっている……はず。だっ、だって絹を扱うように接してくださいますし。言動も丁寧ですし。
種族の壁こそありますが、【鬼人化】さえしなければ肌が赤褐色になることもありませんし、鬼の角が生えることもありません。外見的には人間と変わらないはずです。
生物学上、ちゃんと女に分類されています。肩を貸しながら、ちらりと、レオンさんの表情を窺ってみます。そこにはクウとの『実験』をやり遂げ、充実感に満ちたお姿がありました。
魔力が欠乏し、心身ともに疲弊していることもあるのでしょうが、ずいぶんと言葉数も少ないです。やはりクウとのそれはレオンさんにとって相当苦しいものなのでしょう。歩幅も小さく、ずいぶんと前屈みになっていました。
……おっ、女としてレオンさんに認識されたい。
そんな色欲が芽生えていることを自覚します。
衰弱している彼に『介添え』という都合の良い建前を振り翳し、より密着を試みます。
レオンさんは「ひっ、響さん⁉︎」のような驚きを見せてくれるでしょうか。
期待に胸が高まります。しかし、ここに来て神は私を見放しました。
「…………?」
きっとまじまじとレオンさんを見つめてしまっていたのでしょう。視線を感じたであろう彼は私を見返し、目を見据え「どうしましたか……?」とでも言いたげな表情を浮かべています。
ちょっ、ちょっとぐらい動揺してくださってもいいじゃないですか⁉︎ なんですか、その私は全然なんとも思ってませんよ。響さんを女性として意識してませんよ、的な態度は!
場違いな期待を寄せ、勝手に失望した私は急に恥ずかしくなりました。
卑怯であるという指摘は甘んじて受け入れるつもりではありますが、私は態度が硬化していることを自覚します。声も二トーンほど低くなっていました。
「いい加減にしてください」
「⁉︎」
ああ、やってしまった……! 本当に私はなんと愚かな鬼なのでしょうか!
自分の身など二の次に幼女のトラウマを乗り越えさせようとしている方に「いい加減にしてください」? それは私です!
とはいえ、レオンさんの日々が多忙になっていることも事実。
恥ずかしながら執務の全てをお任せしているだけでなく、孤児の遊び相手にもなっていただいています。そこに加えてクウの実験。
都合が良いことは百も承知しておりますが、たまには身体をゆっくり休めて欲しいと願います。
レオンさんの慈悲は本当に凄まじいものがあり、クウだけを贔屓にしないよう、他の娘たちとのコミュニケーションも絶対に欠かしません。執務にも真摯に取り組んでくださいます。すでにレオンさんの身体は彼一人だけのものじゃないことに気が付きます。
それらの想いを胸に言葉を紡いでいきます。
「あの娘の過去に向き合ってくだっていることには大変感謝しています。ですが、毎日、毎日気絶寸前のレオンさんに肩を貸さなければいけない私の(心配な)気持ちが理解できますか」
「あっ、はい……ごめんなさい」
レオンさんは何一つ悪くないにも拘らず、本当に申し訳なさそうな顔で謝罪します。
勝手に欲情し、期待した反応が返って来なかったら誤魔化すように説教。これじゃ、癇癪持ちの地雷女じゃないですか……止まるの。止まるのよ響……! 今ならまだ間に合う——、
これまたレオンさんの懐の大きさを証明する特徴なのですが、彼は私がどんなに理不尽な言動をしても『100%私に非があります。反省しています。ごめんなさい』とでも言うように聞いてくださります。
孤児のお世話だけでも大変なのに、ここに来て大きな子ども(私)のことまで面倒を見なければいけないレオンさんに同情を隠せません。
ですが、鬼は感情制御が苦手な種族。レオンさんの身を本気で心配しているからこそ、言葉を止められません。
「……クウの《形質変化》はずいぶんと上達しているとお聞きしました。明日からはしばらくレオンさんが錬金術を発動するのは控えていただけますか」
きっと現在の私は鬼の形相でそう伝えていることでしょう。
見下ろす先にいるのは土下座するレオンさん。その顔色は、
——絶望。
鬼の加虐心がくすぐられます。
私は種族らしく心を鬼にします。さすがに次の注意に下心はありませんでした。
魔力は体内に宿るエネルギー——生命力と言っても過言じゃありません。一度に大量に消費するのは命を削っていることと同義。
いくら未来あるクウのためとはいえ、自己犠牲にも限度というものがあります。
これ以上、レオンさんの肉体に負担をかけないよう、戒めます。
「たっ、たしかに目を見張る成長スピードです。でっ、ですが、あれは、その……そう! 私にしか分からないコツがあるといいますか……私の格言に『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ』というものがありまして」
慌てふためくレオンさん……かっ、可愛い。この人は本当にギャップがある人ですね。孤児たちに慈悲を向けるときは本当に聖人のごとく、堂々としているのに、こうして私から注意されたときは『悪戯がバレた男の子』みたいな反応……卑怯です。
ですが、彼の勇ましい姿と少年のような姿を同時に見れる存在は——女は——周囲に私しかいないことに愉悦を禁じ得ませんでした。ええ、ええ認めますとも。私ははしたない鬼ですよ。
ですが私だけが知っている、私だけしか知らないレオンさんというのは正直たまりませんね。
ですが、ダメなものはダメです。
これ以上、レオンさんのお体に障るようなことがあれば私は私が赦せません。
よっ、よし。
私は覚悟を固めました。
こんな発言をすれば好意を寄せていることがバレてしまうかもしれません。正直にいえばこのままの関係でも私は十分に幸せです。どちらかといえば勇気を振り絞って関係が壊れてしまう方が怖い。でも、膨れあげる胸の内は勝手に——、
「私はレオンさんの身を案じて注意しているんです! クウの指導に熱が入るのもいいですが、もっとお身体を大事になさってください!!!!」
いっ、いいい言ってしまいました! 私がレオンさんを大事に思っていることを打ち明けてしまいました! 穴があったら入りたいです……うう。
私は顔が紅潮しているのを理解していました。きっとリンゴのように、いえ、赤鬼のようになっていることでしょう。これではもう私の想いなんてバレバレかもしれません。
私は鬼の肝で、臆病に鞭を打ち、レオンさんを伺います。
彼は——、
白目を剥いて気絶していました。
えっ、ええええええええええええええええ⁉︎
「れっ、レオンさん⁉︎ レオンさんんんん!」
※次話、レオン視点
着実にお風呂回が近づいていますよ
果たしてレオンさんは報われるのか⁉︎
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