第15話【剣聖レベッカ視点】

【剣聖幼女レベッカ視点】


 男爵家からレオンと響さんが帰ってきた。

 それを視認するや否や私の胸はざわつく。

 レオンの全身が砂と埃で汚れ、傷まみれだったから。

 にも拘らず、彼はまったく陰を見せない。足取りもおぼつかないくせに幸せそうな笑顔を見せている。

 肩を貸している響さんはレオンさんを心配するように――それでいて申し訳なさそうだった。

 けれど、どこか満更でもなさそうで。

 レオンの軽口に呆れながらも、嬉しそうな笑みを浮かべる響さんを見て私の胸はさらに締め付けられる。

「もういいですよ。そんなに謝りたいならお嫁さんになってもらいますよ?」

「もう。はぐらかさないでください。私は真剣に言っているんです」

 私と同じく孤児のみんなは時間が止まったように唖然とする。

 この頃にはもうレオンはこの孤児院に欠かせない存在――私たちの父親と言っても過言じゃなかった。

 そんな彼と私たちの母親的存在である響さんが夫婦漫才をしているかのように戻ってくる。

 冷静でいられるわけがなかった。

「お父さんどうしたの、なの! 怪我をしているの、なの!」

「れっ、レオン様⁉︎ すっ、すぐに法医術を――」

 私たちの中で一番早く才能を開花させた錬金術師のクウと法医術を習得したエリスが慌てたように駆けつける。

「心配させてごめんね。でも大丈夫。ただのかすり傷だから。そんなことよりも――レベッカ。少しだけいいかい?」

 私の名前を呼ぶレオンの声にビクッと心臓が跳ね上がる。

 覚悟はしていた。

 レオンは赤の他人である私にたくさんの愛情を注いでくれた。

 どうしてそんなに優しくしてくれるのか、いつも疑問に思ってた。

 でも、それも今日で終わり。

 当然だ。

 私は受けてきた恩を仇で返すようなことをしてしまったんだから。

 胸がきゅぅっと痛くなる。

 ――捨てられる。

 また、捨てられちゃう。

 ……嫌だ! 嫌よ! せっかく見つけたのに! 私が居てもいい場所を――受け入れてくれる場所を失っちゃう!

 私はクウやエリスたちに内心嫉妬していた。

 彼女たちも暗い過去の持ち主。だからこそ覚醒は本来喜ぶべきこと。

 なのに私は自分だけがレオンの役に立てていない負い目、焦り、嫉妬、怒りから段々と暴力的になっていた。

 気がつけば私は泣き出しそうになっていた。

「ごめんねみんな。レベッカと二人きりにさせてくれるかな」

 レオンに手を握られ、どこかに連れて行かれているとき、私は生きた心地がしなかった。

 一体私はどこに連れて行かれるのだろう。別の孤児院に差し出されるのだろうか。

 いや、それは良い方かな。すぐに手が出ちゃう暴力的な女なんて奴隷商人に売り飛ばされるのかな。

 本当は今すぐに泣き叫びたい気持ちでいっぱいだった。

 泣いて、喚いて、謝って――。

 都合の良いことを言おうとしていることは自覚している。虫のいい話だってことも。

 でもやっぱり捨てられたくなくて。

 レオンに褒められたときやみんなと笑っているときのあの温かい感情を失いたくない。

 許してください。

 そう口にしようとしたとき――。

 レオンの足が止まった。連れて来られたのは山奥。

 目の前には大きな岩があった。

 レオンは腰を落とし私をまっすぐ見つめてくる。

 予備動作――彼の肩が大きく開いた瞬間、私は痛みを覚悟した。

 貴族が偉いことは知っている。レオンは平民だ。男爵にたくさん痛めつけられたに違いない。

 これから私はレオンが受けた仕打ちを味わされるに違いない。

 自分がしでかしたことの大きさを分からせるために。もう二度とこんな誤ちを犯さないように。

 けど、それでいい。痛いのは――慣れてる。ずっと両親から暴力を振るわれてきたから。

 むしろ、それで許してもらえるなら耐えられる。私にはもうここしかないから。

 だからお願い。捨てないで!

 歯を食いしばって痛みを覚悟したちょうどそのとき。

「――――――――えっ?」

になってくれてありがとう」

 私は自分の身になにが起きたか分からなかった。ただ温かい感情が体温を通して流れ込んでくる。

 ――貴族に手を出すような私をレオンは抱き締めてくれていた。

 私は張り詰めていた糸が切れたように大粒の涙が溢れるの抑えることができない。

「うっ、ぐすっ、バカなの? どうして怒らないのよ……?」

「怒る? どうして?」

「ひぐっ、うっ、うっ、だって、だって私が――私が手を出したから!」

「ああ、そういうことか」

 レオンはゆっくりと私から離れると優しく、優しく頭を撫でてくれる。

「いいかいレベッカ。私は貴族がうら――じゃない。嫌いなんだ」

「……嫌い?」

「ああ。もちろん中には人格者――なるべくして生まれた人もいる。けれど権力を盾にして威張り散らし、義務を果たさないような貴族は許せない。だからレベッカが私の代わりに懲らしめてくれて助かったよ。私が手を出したら孤児院が回らなくなっちゃうからね」

「でもそのせいでレオンが――」

「――こんなのツバをつけときゃ治るよ。なんならレベッカが舐めてくれてもいいよ?」

「ばっ、ばばばバカ! 舐めないわよバカ! 変なこと言わないで!」

 緊張や恐怖を和らげるために口にした冗談に過剰に反応してしまう私。

 もう突然変なこと言わないでよ。これでも私だってレディなんだから。

 まっ、まぁ……レオンがどうしてもって言うならその……やってあげなくもないというか……頑張るけど……あぅ。

 真に受けてしまった私はその光景を思い浮かべてしまい、急いでかき消す。

 そっ、そそそういうことはまだ早いわよ。でも大人になってレオンが望むなら……あぅ。

 えっちぃ妄想をしてしまった私はレオンの顔を直視できず、俯いてしまう。

 心なしか頬が熱い。

 どっ、どどどうしよう。レオンなら私の考えていることなんて全部お見通しよね。やだ恥ずかしい……。

 さっきまでの重たい感情はどこへやら。幸せな気持ちでいっぱいになる私。

 いち早く読み書きを習得し、レオンに才能を見出されつつあるスピアは『れんあいしょうせつ』をよく書いている。

 それはただ文字が並べられているだけなのに目が離せない。すごく面白い。

 おかげで私たちはスピアの書くそれを早く読みたくて、勉強に熱が入っていた。

 創造力がすごい――私には絶対にムリ――スピアの書くそれは数少ない娯楽で、なんといっても男女の関係がとにかく目が離せない。

 妄想力逞しいスピアの作品に触れてしまったからこそ、私はみっともなく取り乱してしまう。

 チラッと盗み見るようにレオンを覗いてみると、苦笑を浮かべていた。

「……ごほん。まあとにかく、子どものレベッカが気にするようなことは一切ないってことだ」

「うっ、うん」

 わかりやすく咳払いしてから優しい言葉をかけてくれるレオン。

 ああ、そうか。この気持ちが――これが異性を好きになるってことなんだ。

 やっぱりレオンと離れたくない。私も彼の役に立ちたい。

 でも私はクウの錬金術やエリスの法医術は習得できない。彼女たちとレオンが何を言っているのか私には理解できないから。

 大人ぶってるシオンだってズバ抜けた結果こそ出せていないものの、読み書きや計算が早いし――たぶん、そっち方面の才能を発揮するのも時間の問題。

 スピアが書く『れんあいしょうせつ』の面白さに他の大勢の人が気付くのもね。みんな本当にすごい才能の持ち主。

 それに比べて私はどうしてこんなに頭が悪いんだろう。

 あっ、やばい。せっかくレオンが慰めてくれているのに、また泣きそうになって――。

「よく聞いてくれレベッカ。君には無限の可能性がある。今は思うように結果が出ていないだけできっと輝かしい未来が待っているだろう。だからこそ歩むことができる道を限定しまうのはすごく躊躇らわれるんだが――」

「――私、頭が良くないからわかんないわよレオン。もっとハッキリ言って!」

 自他ともに認めるけど私は本当に頭が良くない。難しいことはなにも理解できない。

 だからこそレオンの遠回しな言い方がいたく焦ったい。

「レベッカ。君には才能がある。磨けば必ずその分野で輝くことができるほどの才覚だ。けれど、私はそれを薦めていいかずっと迷っている。それはもちろん現在もね」

 私はこれまでみんなのことを天才だと唸り続けてきた。

 そしてそれを見出してきたレオンは遥か遠い存在。

 どうして彼が私にそれを伝えることに躊躇っているのか分からない。

 けれど私からすれば磨けば光る石才能は喉から手が出るほど欲しいものだった。

 私もみんなのようにレオンの役に立ちたい。何かしてあげたい。恩を返したい。そのための誰にも負けない才能が欲しい。

 ――渇望。

 バカの私に相応しくないそんな難しい言葉が脳裏をよぎる。

「教えて! みんなの背中を追いかけ続けるのは嫌なの! 私も肩を並べて歩きたいの! レオンの――響さんの――みんなの! 孤児院の役に立ちたいの! レオンがどうして躊躇しているかは知らない! でも必ず期待に応えてみせるから! もう二度と裏切るようなことはしない! だからお願い――お願いします! 私にそれを教えてください!」

 必死の嘆願だった。けれど確信があった。ただ暴力を振るうことしかできない――腕力しか取り柄のない私が劇的に変わることができる機会だって。

 私はまるで師に教えを乞うように――レオンがよく見せる『土下座』で思いの丈をぶつけることにした。

 優しい彼のことだ。きっとこれから歩んでいける道を一つに絞ってしまうことに抵抗があるに違いない。

 だから私にそれを教えてしまうことに抵抗がある。私はバカの一つ覚えで愚直に進んでしまうから。

 けれど覚悟ならとっくに固まっていて。

 この人の役に立てるならそれが一生を左右するものだとしても全然構わなくて。なりふりなんて構っていられなくて。

「――わかった。私も覚悟を固めるよ。レベッカ。君の才能は――」


 ごくり。

 生つばを飲み込む私。

 レオンの言葉こう続いた。



 ――剣術だ。


 これが剣聖に至ることになった最初の始まりだった。

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