第59話 薬師と神獣と鬼人(4)
そんなこんなで、本日はレイひとりで迷宮に潜っている。正しくは、一人と一匹だ。本日中に戻れない可能性もあるため、念のためリリスの鞄に食糧は詰め込んである。神獣様はレイのアイテムボックスをゲートにしてどこかへ行っているが、呼べば出てくるはず。特に心配はない。
レイは前回この迷宮に潜った際、二十層のボスまで攻略済みである。今回はのんびり二十一層から攻略しようと思っているところだ。今回、そこに至るまでの層で取れる、欲しいものリストに記載されていた素材は採取済み。酒以外は、特に取りこぼしは無さそうである。
ちなみに禪は、リストの内容から恐らく五十層かそれより下層にいると思われる。家を出るところから別行動であるので、特に気にする必要はないだろう。
前回潜った時との違いと言えば、低層に初心者っぽい冒険者が何組か見られたことである。前回、五層のゴブリンを殲滅したのが効いているのかもしれない。十七層のコボルトも殲滅しているが、そこまで潜っている冒険者は見られなかった。ここに来るまでの間にある程度数は減らしておいたが、果たしてこの過疎化迷宮の価値が見直される日は来るのだろうか。
(確か、二十一層から三十層までは、水の多い層だったような……)
リリスと出会う以前にもこの迷宮に潜ったことがあるレイは、これから進む層を思い出していた。確か、割と面倒だったような記憶がある。
考え事をしながらもレイは剣を振り、着実に敵を屠っていく。ちなみに今、レイの振るった剣によって首を落とされた魔物は、黄熊。二十層のボスである。
倒した黄熊を収納していると、上から「ポンッ」という軽い音と共に宝箱が降ってきた。中身は、ど派手な色彩のレインコートである。一応雨は防いでくれるが、それ以上の効果はない。レイはいつもの無表情のまま、またもや微妙な顔をした。
(そうだ。そうだった)
先に二十一層を覗いたレイは、その光景にため息を吐いた。一旦戻って、二十層の
先ほど覗いた二十一層は、シトシトと小雨が降っていたのだ。そのような天気であるので、当然辺りは薄暗く、見通しも悪い。
このように、二十一層から三十層までは何かと水と関係ある層が多く、雨や川、湖や沼などで構成されている。先ほどの宝箱から出てきたレインコートも、初心者には役に立つのだ。
ちなみにレイが今回引き当てたのは、目の覚めるようなピンクと緑のまだら模様で、目がチカチカする一品である。確かに雨は防げるが、目立って敵に狙われそうなやつである。誰がこんなものを着るというのだろうか。むしろ雨に濡れた方がましである。
レイは湯を沸かして茶を入れ、ホッと一息ついた。正直、先に進むのが面倒である。が、今回の目的地は二十三層なのだ。
(確か、足を取られる沼地もあった気がする……)
気を取り直したレイは、自分の装備を濡れてもいいものへ交換する。ローブはフード付きの雨を防ぐ外套に変え、ブーツも浸水しないもので、沼地に強いものへ履き替える。
一通り装備を点検し、問題ないことを確認したレイは、憂鬱な気持ちを無表情で覆い隠して、二十一層へ足を踏み入れた。
***
「はぁ、二十三層」
レイは被っていたフードを下して、二十三層へ降り立った。羽織っていた外套は、表面が幾分しっとりとしているものの、雨粒を弾いている。十一層、十二層と小雨が降り続いていたためだ。雨が降る環境下でしか取れない薬草なども取れる層ではあるが、それでもこの二層で取れる素材はしょっぱい。
黄熊を倒した後のこの二層は、確実に冒険者のやる気をそぎ落としに来ている気がしてならないレイである。もちろん家で待つ二人の為に、薬草は採取した。手が泥だらけになった。
レイは『乾燥』を唱えて、装備の水分を飛ばすとサクサクと先へ進んでいく。二十三層は、雨は降っていない。渓流エリアだからだ。ゴロゴロとした石が多く、少し歩きにくいが、目的の層とあって足取りは軽い。この層は、湧き水が多いのだ。
いくつかある湧き水のうち、渓流の上流に近い場所で発見したそれの傍らにレイは跪いた。見つけたこの湧き水は、それほど大きくはない。こぽこぽと湧き出る水は澄んでおり、清らかな水の流れは円形の波紋をつくって、優しく水面を揺らしている。
「神獣様」
レイは自身の鞄に向かって、呼びかけた。傍から見れば結構恥ずかしい光景だが、今は周囲に誰もいないので良しとする。幾ばくもしないうちに、神獣はアイテムバッグから顔を出した。辺りをきょろきょろと見回すと、レイに向かって「何?」とでも言うように首を傾げる。
「こちらの水はいかがか?」
レイが指し示す湧き水を見た神獣は、再度レイの方を見て首を傾げる。
「そろそろ聖水が尽きそうなのです」
この水は代わりになるだろうか? そう問いたいレイの意図を正確に読み取った神獣は、ぴょんと鞄から飛び出ると、その湧き水の傍へと進んだ。
神獣は、湧き上がる波紋をその不思議な目でじっと見つめている。その虹彩は今、ちょうど緑から青へ変化しているところで、交じり合う緑と青に映り込んだ湧き水の波紋が広がって、なんとも神秘的な美しさを称えている。
レイは、その光景を青紫色の瞳で見守った。神獣はジッと波紋を見つめている。しばらくすると、その小さな湧き水がにわかに弱々しい光に包まれ始めた。神獣が何かをしているのだろう。レイは右目に負荷を感じ、思わず目をつぶった。情報量が多いのだ。
光が収まると、レイはようやく目を開けることができた。ホッと胸を撫でおろして神獣を確認すると、先ほどと変わりなく湧き水の傍に佇んでいる。
神獣とは、本当に不思議な生き物である。その目は完全に青に染まり、今また紫へと移り変わろうとしていた。ジッとレイを見上げるその目は、レイのその青紫の瞳で湧き水を確認してみろ、とでも言うようである。
促されるまま湧き水へ視線を流したレイは、右目を通して得られるその湧き水の情報を見て言葉に詰まる。
(……聖水になっている)
湧き水が聖水になっている。いや、聖水が湧いている。
聖水が湧き出るのは2、3日の間だけ、ということまで理解したレイは「弱ったな」と小さな呟きを落とした。一見するとただの湧き水なので、バレるとも思わないがこれが知られればことである。
何はともあれ、まずは浅い皿に聖水を汲んで神獣に差し出した。神獣はそれを飲み干し、満足すると鞄の中へ帰っていった。ゲートの先は一体何処に繋がっているのだろうか。
気になることは沢山あるものの、せっかく神獣がその力を奮ってくれたのだ、まずはやることはやらねばならない。レイは鞄から空き瓶をひとつ残らず取り出すと、それらに洗浄をかけてから、ひとつひとつその湧き出る聖水を汲み始めた。結構大変だった。
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