第26話 ドワーフの薬屋(8)

 今日もレイは一人で迷宮に潜っていた。先日定食屋に灰鹿を持って行ったところ、噂を聞いた村人たちに鹿の肉を頼まれたのだ。レイ個人としては、牛魔獣の方が美味いと思うものの、依頼料も支払われるのでいなやはない。普段手に入り辛い、美味いものを食べる機会に恵まれたなら、ある程度の金額を出しても食べたいと思うのが人のさがだろう。ある程度余裕のあって、娯楽の少ない村なら特に。


(……これ以上深い階層のものを出すのは、面倒かもしれないな)


 ただでさえ、毎日のようにローグの欲しいものリストは更新されているのだ。そこに村人の欲しい食料リストまで増やされてはたまらない。顔見知りということもあって、レイは、気軽に頼まれそうな気配を感じ取っていた。小さい村なので、定食屋に通っていると、すぐに村人と顔見知りになってしまうのだ。


(いい村なんだがな……)


 自分で解体するは面倒だが、仕方がない。そう思いながら、手元の黄鶏を見下ろした。レイは今、十三層まで下りてきている。迷宮に泊まることも考えて、リリスには二人分の食事をたっぷり渡してある。帰る時間の心配は無くなった。強いて言えば、そろそろ酒が無くなりそうなので、近いうちに買いにいかねばならないだろう。


(近さなら、キリリクだが……)


 リケ村にはローグの満足する酒を売っていないので、近場の町に買いに行く必要がある。近隣で一番質の良い酒を買うなら、先日立ち寄ったラプームの果実酒専門店だが、キリリクよりも少し距離がある。キリリクは宝石迷宮があるため、貴族や冒険者の出入りが多く、高級なものから大衆向けのものまで幅広く扱っている店が多い。


(……村人に馬を借りるか)


 黄牛の肉でも持っていけば、喜んで貸してくれるだろう。帰りにもう少し黄牛を狩る算段をつけながら、アイテムバッグに溜まっていた魔獣を解体した。迷宮で解体をすると、不要な部位を放置しても迷宮に吸収されるので楽だ。


「さて、黄鶏の卵を回収ながら、先へ進むか」


 黄鶏は、岩陰や丈の長い草に隠れるように卵を産む。ここは迷宮なので、この卵から黄鶏が生まれるということはないようだが、仕組みはよくわからない。手のひらサイズで味もよく、人気の食材だ。レイは朝食にも使いやすいそれを、自分たち用にいくつか集めた後、十四層への階段を下った。


「十四層は、黄豚と木の実とキノコか……」


 レイは、八層よりランクは高いが代わり映えはしないそれを無視することにした。突進してくる黄豚を剣で受け流しながら、最短で十五層を目指す。

 つい力が入りすぎて切り伏せてしまった黄豚二頭を収納し、十五層に到達した。


「確か十五層は、黄大熊猫ジャイアントパンダ竜尾竹リュウビタケか」


 竜尾竹リュウビタケは、地上から天に向かって竜が尾を突き上げたような形状をした植物である。その頑丈でしなやかなかんは、地上に近くなるほど太く、天に向かうほど細くて鋭い。かんの中は空洞で等間隔に節があり、そこに薬の材料となる乳白色の液体が溜まっている。また、その枝は、竜の尾のようによくしなり、釣り竿など様々な用途に使われる。


 そして、この竜尾竹リュウビタケの葉を好むのが、黄大熊猫ジャイアントパンダである。コロンとした尻は可愛いが、非常に好戦的な魔物だ。人を見つけると嬉々として寄ってくる。その両手に生える爪にも注意が必要だが、この魔物で最も注意しなくてはならない点は、動きが素早く、その柔軟性の優れた体を活かして、殴る蹴るといった体術まがいの動きで攻撃してくることだ。


 レイは、先に竜尾竹リュウビタケを採取することにした。数本切り倒すと、竜尾竹リュウビタケの上から黄大熊猫ジャイアントパンダが降ってくるので、それは剣を振って倒してしまう。黄大熊猫は見た目が美しく、肌触りの良い毛並みを持ち、毛皮が高く売れる。そのため、なるべく傷をつけないように上から降ってくる黄大熊猫ジャイアントパンダの顎から脳を貫通するように剣を突き立てる。勢い余って突き抜けないように、素早く剣を引く方が大変である。


 満足のいく本数を収納したところで、レイは剣を鞘に納めた。これから趣味の時間である。こちらに気づいて寄ってきていた黄大熊猫ジャイアントパンダ一体を、竜尾竹リュウビタケの林から誘い出し、戦いやすい場所まで誘う。

 開けた場所で立ち止まったところへ、すかさず飛び掛かってきたので、レイは横に躱しながらその体を蹴り落した。黄大熊猫は吹っ飛ばされた勢いを殺すため、着地点で車輪のように丸くなって二回転した。さすが、体が柔らかい。すぐに立ち上がって、地を蹴り、こちらに殴りかかってくる。


 レイの体術についてだが、動きは悪くはないものの、細身のため如何せん力が心もとない。だがしかし、身体強化は使わない。すぐに倒してしまっては、訓練にならないからだ。


 レイを殴るために大きく振りかぶった右手を躱して、素早く後ろに回り込む。黄大熊猫は殴る直前で、その隠し持った爪を伸ばして切りかかってくることもあるので、その拳を受けることはしない。後ろに回り込んだレイは、勢いをつけてその横っ面に回し蹴りを叩き込んだ。多少のダメージは与えただろうが、その体はビクともしていない。

 黄大熊猫は、すぐさま振り向きざまに蹴りを繰り出す。さすが、腐っても熊である。後ろの竜尾竹のしなりを利用して上へ逃げたレイであるが、黄大熊猫の蹴りで、そのレイが足場にした竜尾竹とその周囲、二、三本の竜尾竹のかんが砕け散った。


 威力は大きかったが、動作が大きかったせいで生まれた隙をつき、レイは空中で足を振り上げ、黄大熊猫の脳天に振り落とした。更に、脳が揺れて立ち尽くしたままの黄大熊猫の懐にすばやく潜り込み、その巨体を投げ飛ばす。


 しばらく待っても起き上がる気配がないので、仕方なく剣で止めを刺した。体術で息の根を止めることはできなくはないが、さすがに色々と厳しい。美しい毛皮が見るも無残なことになりかねないし、魔物であれ、弱ったところをボコボコにする趣味はないのだ。レイは満足するまでしばらくの間、黄大熊猫を相手に体術の訓練を繰り返した。


 随分集中していたようで、気が付けば結構な時間がたっていた。

 あまり遅い時間だと、管理小屋の管理人は村へ帰ってしまう。灰鹿を依頼されているので、出来れば帰りに鹿を提出してしまいたい。管理人はあの小屋に寝泊まりをする場合もあるようだが、あまり期待しない方がいいだろう。


(仕方がない。今日はこのまま十五層の安全地帯セーフティーゾーンで眠ろう)


 レイは、安全地帯セーフティーゾーンへ向かうと、ひとり火を起こす準備を始めた。


「……ひとりは久しぶりだな」


 幸い、この安全地帯セーフティーゾーンに他の冒険者がやって来る気配はない。辺りにはパチパチと火の爆ぜる小さな音が響いている。


 ここのところ、リリスとローグと賑やかに夕食を食べ、寝る直前までリリスを語り合うことが常であった。レイは久しぶりにゆったりと流れる時間を楽しみ、迷宮内でも不思議と瞬く星を眺めながら一人、長い夜を過ごした。

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