第57話 膝枕

仁奈にな……さん?」


 目を開けると飛び込んできたのは太陽ではなく黒い球体だった。

 それに頭は柔らかいものに包まれて心地が良い。

 砂は砂でじんわりと熱が伝わって気持ちよかったけど、こっちの方が断然良い!


「どうして目を覚まして最初に出る名前が仁奈にななのかなあ?」


「え……?」


 仁奈になさんの名前? 僕、そんなこと言ったっけ?

 ボーっとしていて記憶があいまいだ。それに体が軽い。

 罰ゲームで砂に埋められて、だんだん眠くなって……。


「でも良かった。目が覚めて」


「り、里奈りな!?」


 飛び起きようとしたところで自分の体が重いことに気付いた。


「こら。無理しちゃダメ。仁奈にな爽井さわいくんがかき氷とか買ってきてくれるからそれまでゆっくりしてなさい」


「えーっと、これは一体」


「覚えてないの? 砂に埋めてる途中でてるの意識がなくなって急いで掘り起こしたんだから」


「ああ、たぶん寝ちゃったんだよ。最初は暑かったのがだんだんぽかぽかとちょうど良い温度になって」


 だんだん思い出してきた。吐き気とかそういうのは一切なく、本当にただ気持ちよくなって眠っただけ。

 意外と脱水してて体が動かないのかもだけど、少し休めば大丈夫そうな気がする。


「でも今起き上がれなかったでしょ? だから、あたしの許可が出るまでこうしているように」


「あはは。厳しいな」


「本当に心配したんだから。さすがにやりすぎたかも。ごめん」


「平気平気。僕も油断して眠っちゃっただけだから」


「……でも、一番に仁奈になの名前を呼んだのは許せない、かも」


「そ、それは……」


 頭にボールがぶつかって保健室に連れていってもらって、その時に仁奈になさんが膝枕をしてくれた。

 無意識にその記憶がよみがえって、うわごとのように仁奈になさんの名前を口にしていたのだとしたら秘密がバレてしまう。


 パラソルの下に移動しているとはいえ空気は夏そのもの。

 そんな熱気に包まれているのに体の芯は冷たくなって、結露のようにじんわりと嫌な汗がにじみ出る。


「なんて。実は仁奈になが膝枕してるのでした。って言ったら純浦くんは驚いてくれるかな?」


 目の前にあるのは黒い布に包まれた大きなおっぱい。

 着替えて水着を入れ替えてなければ里奈りなのものだ。


 それに爽井さわいくんもいる状況で仁奈になさんが僕を膝枕するとは考えにくい。

 浮気っぽい言動をした僕をからかうのは里奈りなだけだ。


「そんなはずないよ。僕を介抱してくれているのは里奈りなだ」


「ま、そうなんだけどね。だけどてる、水着で判断したでしょ?」


「顔は見えないからね。でもわかるよ」


「あたしの方が少しだけおっぱい大きいからね」


 その大きなおっぱいの向こう側でニヤニヤと笑っているのが想像できる。

 ほんの少し油断してしまっただけで、僕の心はすっかり里奈りなの虜だ。


 こうやって新しい思い出で上書きしていけばきっと……。


「さっきてる仁奈になの名前を呼んだ時、てる仁奈になに膝枕されてるところを想像しちゃったんだ。そしたら、ちょっとイヤだった。妹に彼氏を寝取られるのってこんな感じなんだって」


「それって……」


 彼氏を妹に寝取られるのを諦めてくれた?

 ほんの少し歪んだ感情から始まった恋愛が真っ当な道を進むことができる。


 彼女の言いつけを無視して勢いよく体を起こすとフラっとした。

 だけどそんなことはお構いなく言葉を続ける。


「もう寝取られなんて」


 しかし彼女は僕の想いを遮った。


「もっともっとてるを好きになって仁奈になに寝取られたら、あたしどうなっちゃうんだろう。想像できないくらいの感情になるなって思ったんだ」


 すでに膝枕されたりキスまでしているなんて言ったら、里奈りなはより寝取られに関心を寄せてしまう。

 彼女に対して抱えて罪悪感が軽くなった代わりに、自分が置かれている状況はむしろ悪化していた。


 僕は里奈りなに釣り合う彼氏なるために努力しているし、その努力の過程で彼女のすごさを実感しているし、一緒に過ごす中で彼女の魅力にハマっていっている。


 それは里奈りなも同じはずなのに、見据えている先があまりにも違い過ぎる。


 どんなにあがいても、最終的に里奈りなは僕を仁奈になさんに寝取ってもらいたい。

 その結論が出てしまったような気がして、勢いよく起き上がった反動もあってまた全身から力が抜けていく。


「あ、仁奈にな達が戻ってきた。ねえねえ、二人に見せつけたいから、はい」


 ぽんぽんと太ももを叩くのは、またそこに頭を乗せろという意味だろう。

 膝枕をしている姿を見せつけて仁奈になさんを焚き付けたいらしい。


 こうやってスキンシップを重ねるうちに里奈りなの気が変わるかもしれない。そんな一縷の望みに賭けて僕は再び彼女に膝枕された。


てるはあたしのこと、好き?」


「うん。当たり前だよ」


「そっか」


「だから僕は、誰にも寝取られないよ」


仁奈になにも? 声も顔も同じで、おっぱいはあたしの方がちょっと大きいけど十分大きいのに?」


里奈りなと付き合って、里奈りなの魅力に気付いた。意外と子供っぽくて、だけど面倒見はよくて。妹に彼氏を寝取られたい変態で」


「それ褒められてる?」


「すごい褒めてる。里奈りなにしかない魅力だね」


「変なの。ま、あたしもそんなてるが好きなんだけど」


 塩気を含んだ海風がスーッと通り抜ける。

 爽やかだけど肌にまとわりつくような独特の風は里奈りなの歪んだ恋愛観を表しているみたいで、油断すると涙がこぼれそうだった。


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