第52話 ぬるぬる

 ラブコメによくある女の子に日焼け止めを塗る展開。

 まさか自分がそのシチュエーションに出くわすなんて夢にも思っていなかった。

 更衣室で着替える時に塗ってくる。それが現実じゃないのか。


「さ、早く塗って」


 里奈りなはレジャーシートの上にうつぶせになった。

 海とは反対の方向を向いているのでほとんどの人はそのたわわなお胸を目にすることはない。

 ただ、反対にキュッと引き締まったお尻が大衆に晒されてしまっている。


 通り過ぎる人が男女問わず見惚れる様子に彼氏として誇らしいと同時に、絶対に守らなければならないという使命感が湧いてきた。


「あとごめん。紐もほどいて。変なあとになったらイヤだから」


「お、おう……マジで?」


「マジマジ。それともてるはあたしに紐の跡が残ってる方が好み? ちょっとマニアック」


「違うから! っていうか僕じゃなくて仁奈になさんに頼めばいいだろ。姉妹なんだし、更衣室でも塗れるんだし」


「えー? 仁奈になはどう?」


「いい年なんだから自分のことは自分でやりなさい」


「だって、てる


「僕ら同い年だよね!? あとどっちみち自分ではやるつもりないんだよ!?」


 双海姉妹は僕の激しい抗議を聞き入れるつもりはないようだ。

 残された爽井さわいくんもあまりジロジロ見てはいけないと気遣っているので海の方を遠い目で眺めていた。


「早く塗ってくれないと焼けちゃうよー。遊ぶ時間もなくなっちゃう」


「……本当にいいの? あとで怒ったりしない?」


「変なとこ触らなければ怒らないよ」


「へ、変なとこって」


「それを女の子に言わせちゃう? てるってばたまにSだよねえ」


 背中に塗るだけなら変なところを触る心配もないはず。

 さすがに前は自分で塗れるだろうし、要は本人の手が届かない場所を手伝うだけだ。


 なにもやましいことはない。見ず知らずの男ならともかく僕は彼氏で、彼女のお願いを聞き入れているだけ。


「わかったよ。背中に塗ればいいんだね?」


「背中だけじゃなくて前もだよ」


「……は? 前?」


「そ。おっぱいにもしっかり塗らないと焼けちゃうでしょ?」


「えーっと……自分で手が届くよね?」


「自分の手で隠しながら全体に塗るのって難しそうじゃない? だから頼れる彼氏にお願いしようかなって」


「そ、それはさすがに。ねえ? ……あれ?」


 助け舟を求めようと仁奈になさんと爽井さわいくんに話題を振ったら、さっきまでいたはずの二人の姿が見えなくなっていた。

 

「あ」


 辺りを見渡すと仲良く手を繋いで海の家に向かっていた。 

 たぶん僕らの分も含めて何か買ってきてくれるんだろう。


 善意からの行動だから例えこの場から逃げるための口実であったとしても文句は言えない。

 それに二人きりの時間が欲しいのは僕も同じだ。


「二人きりだからさ、ちょっとくらい変な声が出ちゃうかも」


「出さないで。公共のビーチなんだから」


「冗談冗談。さすがに恥ずかしいって。でも、てるのテクニック次第では」


「そんなテクニックないから。むしろ二人がいなくてよかった。戻ってくる前に終わらすよ」


「いや~ん。てるの高速テクですぐに終わらされちゃう」


「マジで変な声出さないで!」


 股間に響く甲高い声は非常にありがたいモノである一方、周囲がざわつくのが空気で伝わってくる。

 通報されたらたぶん僕が悪者扱いされてしまう。世の中はそういうものだ。


「……やさしく、してね?」


「もっと別のシチュエーションで聞きたかったよ」


 いや、もちろん大切な彼女のお肌を傷付けるわけにはいかないから最初から優しく塗るつもりだったけどさ。


「いくよ」


「うん」


 チューブを押すとぬるっとジェルよりも柔らかいものがトロリと噴き出た。

 それを手に取ると一瞬だけひんやりとしてとても気持ち良い。


「ひゃっ!」


「あ、ごめん」


「ううん。ヒヤっとして驚いただけ」


 肌に触れた瞬間の感想は里奈りなも同じだったようで、タイミングもわからない体勢で急にこんなのが触れたら驚いて当然だ。

 さすがに今の声はセーフ扱いにしておいてあげよう。


「痛くない? 平気?」


「うん。ちょっとくすぐったい。でも、いいよ。続けて」


 手も背中も同じ人間の肌のはずなのに、普段は服で隠されている部分というだけで妙な背徳感を覚えてしまう。

 背徳感に背の字が使われるのはこういうことなのだろうか。


「…………」


「…………」


 約束通り変な声を出さずに無言で僕のぬりぬりを受ける里奈りな。だけどこの沈黙が逆に気まずくて、沈黙を破ろうにも適切な話題が思い浮かばず結局ひたすら彼女の背中をまさぐり続ける。


てる、そろそろ」


「終わりでいい?」


「ううん。前も」


「……マジ?」


「だからマジだって。ほら、てるが塗って水着を付け直してくれないとあたしのおっぱいが世界の目に触れちゃうぞ?」


「ぐっ……自分のおっぱいを人質に取るとは」


 もし僕が鬼畜彼氏ならおっぱいを露出させていただろう。でも、僕はそんなクズじゃない。

 どちらかと言えば他の男におっぱいを見られたくないタイプだ。

 

 日焼け止めを塗ってほしい彼女とおっぱいを守りたい僕。

 お互いの利害を一致させるにはこれしかない。


「本当に塗るよ? 無理そうなら言ってくれればすぐにやめるから」


「うん。変なところを触らなければ大丈夫」


 僕だってできる限りその部位に触れないように気を付ける。でも、具体的な位置がわからないし見えもしないから完全に回避するのは不可能だ。


 だから僕にできることは一つ。あの部位に触れないようにおっぱいの外側にだけ塗ること。

 里奈りなは不満が残るかもしれないけど、あの辺りはしっかり水着で覆われるから日焼けの心配もないはず。


 それに揉むのではない。塗るんだ。背中から地続きになっている肌に触れるだけの話。日焼け止めの延長戦だ。


「い、いくよ」


「うん」


 横からゆっくりと手を差し込むと背中と同じ肌とは思えない軟かく冷たい感触が指先から手の平へと一瞬が広がった。

 押し込めばどこまでも食い込んでいきそうな不思議な手触りに心臓のドキドキは加速していく。


「ん……あっ」


「ご、ごめん」


「大丈夫。ちょっとぬるってしただけだから」


「っていうかもう十分だよね? ちゃんと濡れたと思う」


「まだ上の方が残ってる。ほら、最後まで塗って」


 うつぶせになって押し潰されているはずなのにあまりにも大きくて柔らかなおっぱいと日焼け止めでぬるぬるになった手は摩擦を無視してぬめりと動く。

 言われるがまま手の平を前方へと移動させると、おそらくビキニでは隠せない場所へと到達した。


「そそ、その辺」


「この辺りを塗れば十分だよね。下側は水着で隠れるんだし」


「仕方ないなあ。でも、最後にここだけはしっかり塗って」


「どこ?」


「た・に・ま。ここは日光が当たるでしょ?」


「っ!!!」


 谷間に塗るということはおっぱいをしっかり掴んだような体勢になるということ。

 しかもかなり奥の方に手を伸ばすので突起部位にぶつかる可能性が高い。


「早く早く。二人が帰ってきちゃうよ?」


「ええい!!」


 ここまでやっておいて逃げるのは彼氏失格。

 幸いにも友達と彼女の妹はこの場を離れている。それならば、この絶好のタイミングに全てを終わらせるのが正解だ。


 ゆっくりとおっぱいへの深淵へと指先を滑らせる。

 二人が帰ってくる前に急いで、だけどあの部位には触れないように慎重にことを進めていく。


「っ!?」


 一瞬何か固いものに触れた。それが自分の指であることに気付くのに時間は掛からなかったけどかなり焦った。

 無事に彼女の敏感であろう部位に触れることなく谷間へと到達することができた。


 あとはこのまま手を前後に動かして日焼け止めを塗ればミッション完了だ。


 と、僕は完全に油断しきっていた。

 おっぱいに触れているのは指だけではない。指には手の平が付いていて、そこから手首、腕と全てが繋がっているのが人間の体だ。


「んあっ!!」


「!?」


 手の平の横側に何かが触れた。同時に里奈りなが日常生活では上げないような甲高い喘ぎ声を出した。

 僕は反射的におっぱいから手を抜いて


「ご、ごめん!」


 とりあえず謝った。自分が悪いのか定かではない。でも、まずは謝罪する必要があると本能で感じ取っていた。


「だ、大丈夫。事故みたいなものだし。うん。あ、紐を結んでもらえると」


「そ、そだね」


 ひとしきり彼女の体に日焼け止めを塗り終えて、僕の手にはもうほとんど残っていなかった。

 ほんの少しぬるぬるした感触する手で水着の紐をキュッときつく結んだ。


星太せいた、わたしは自分で塗れるからね」


「そうしてもらえると助かる」


「い、いつの間に」


「まあ、それは知らない方がいいんじゃないか。うん。二人きりの時間だったということで」


 爽井さわいくんの気遣いはかえって心をえぐった。

 どこから見られていたのかしっかり知ることで自分の中で折り合いを付けられるかもしれないじゃないか。


「ほら、サイダーとポテト買ってきたから、水分と塩分補給したら海で遊ぼうぜ」


「……うん」


「お姉ちゃんも。恥ずかしくない恰好をしてよね」


「あたしが恥ずかしい姿を見せるのはてるの前だけだよ。ね?」


「へえ。ここは純浦すみうらくん以外の目もあるんですけど?」


「べ、別にそこまで恥ずかしいことは。なあ?」


「そそ。てるがこう言ってるんだから信じてよ」


「……次に変なことしたらお姉ちゃんでも通報するから」


 ジト目で注意する姿はもはやどちらが姉かわからない。

 こういうお姉さんだからこそ妹の方がしっかりするのだろうか。

 同じ環境で育った双子でもこうも違いが出るのは生命の神秘だと思う。


「さて、日焼け止めも塗ったしポテトを食べたら海に行こう!」


 パクパクとすごい勢いでポテトを口に運ぶ姿はまるで小さな子供みたいで、あんなにエッチな声を発したとは思えない無邪気さだ。

 

 揚げたてのポテトはほんの少しだけしんなりしだして、一瞬だけ手に触れたあの感触を連想させて僕の体温を上げた。

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