第44話 本番のごとく

 里奈りなとはもちろん仁奈になさんとも話す機会を持てないまま部活の時間がやってきてしまった。

 部活中に里奈りなと仲直りする方法を教えてくれると言われたけど、その内容が全く想像できない。


 みんなの前でもできることで彼女との仲を修復するって一体どういうことなんだろう。


純浦すみうらくん」


「あ、お疲れ様」


「今日は普通の部活になりそうだね」


「毎日あんな稽古だったら僕だけ強くなるかも」


「それは困るな。わたしだって強くなりたいし」


 こうして話している分にはいつもの仁奈になさんと変わらない。普通に稽古をして、それぞれの恋人と一緒に帰る。

 そんな日常が戻ってきたと錯覚してしまうくらい何もない。


「仲直りの練習だけど」


「ふわっ!」


 不意に耳打ちされて変な声を出してしまった。

 当然距離も近付いているわけで、部員の注目が集まった瞬間にぶわっとイヤな汗が噴き出る。


 それは仁奈になさんも同じようで、ススっと僕から距離を取っていた。素早いすり足は剣道部にはお手の物だ。


純浦すみうらくんって耳弱い?」


「誰だってこんな近くで話されたらゾワッてするよ。こんな風に話すならLINEでもいいじゃないか」


「あ、そっか。じゃあ今から送るから指示通りにお願いね。稽古は本番のごとく。だよ?」


 スマホを取り出してパパパと文字を入力していく。

 その様子を伺いながら更衣室を目指している間にメッセージが届いた。


『稽古前に整列するときわたしの隣にきて』


『それで、こっそり後ろで手を繋ぐの』


『不安とか緊張じゃなくて、一緒にいたいって気持ちを伝えるように』


 3つに分割されて送られたメッセージ内容はとても簡潔で、バレないようにする点を覗けば行為自体はなんてことない。

 もちろん彼女以外の女の子と手を繋ぐのも人によっては浮気判定を下すだろうけど、緊急事態には手を引いて逃げる場面だってある。


 だから問題は最後の一文。手を繋ぐだけで気持ちを伝えるってめちゃくちゃ難しくないか?


仁奈になさん、これって」


「顔はお姉ちゃんと同じなんだから、純浦すみうらくんの愛でカバーしてね。本番だと思って練習しないと意味ないよ。それじゃあわたしはこっちだから」


 言いたいことを言い残して女子更衣室の方へと足早に去っていく。

 男子更衣室にはたまに女子部員が忘れ物を届けに来てくれることはあるけど、その逆はない。


 トイレであっておばちゃんが掃除をしてくれている。


 学校内において絶対に男子しか入れない場所は存在していなくて、女子のみが足を踏み入れることを許される聖域は存在する。


 それを不公平とは思わないけど、まれにズルいと感じる時はある。

 例えば今みたいに話の途中で女子更衣室に逃げられてしまった場合なんかだ。


 お互いに着替えを済まさないといけないからLINEをしている暇もない。

 

 これが計画通りなのだとしたら恐ろしい。最終的には僕が行動を起こすかどうかとは言え、事前に断わるという選択肢を失ってしまった。


「おっす純浦すみうら。昨日は大変だったな」


「ああ、剣持けんもちめんは効いたよ」


「いや~その顔面があのおっぱいを堪能したのかと思うとつい力んじまってな」


「そうか。次はお手柔らかに頼むぞ」


「くそぅ! どんなに叩かれてもあのおっぱいだもんな~。羨ましい!!」


「ははは……」


 里奈りなの魅力はおっぱいだけじゃないとノロけられるような精神状態でもないので乾いた笑いで誤魔化す。

 とにかく今はこっそりと仁奈になさんと手を繋ぐことで頭がいっぱいだった。




「よーし。はじめるぞー。整列!」


 稽古の開始時刻になったのを見計らって部長が声を上げた。

 着替えを終えた部員達がぞろぞろと横一列に並ぶ。

 誰がどこにというのは特に決まっていないので、誰かが座る前に仁奈になさんの右隣りをキープした。


 部長から見てかなり左側の位置なのでよほどこちらに注目しない限りは後ろで手を繋いでもバレないはずだ。


 仁奈になさん自身も見つかるリスクがあるから、その辺の配慮はしてくれたみたいだ。


「姿勢を正して」


 正面を向き背筋を伸ばした。

 本来なら太ももの上に置くはずの手を、左手だけ隣に座る仁奈になさんの方へと伸ばしていく。


 視線はあくまでも部長に集中して、こちらを向きそうならすぐに手を引き戻せる体勢を取っていた。


「……っ!」


 伸ばした左手にひんやりとした感触が広がる。

 指と指が絡み合い、僕の熱が仁奈になさんに移動していく。


 あくまで熱平衡であって気持ちが伝わっているとは思えない。


 ただ、少なくとも僕はスリルと背徳感でドキドキしていたし、彼女とそっくりな手の感触に安心感を覚えていた。


「礼!」


 みんなが一斉に頭を下げる中、僕と仁奈になさんだけが視線を交差させた。

 手を繋いだ状態でも礼はできる。だけどそれをしなかった。


 仁奈になさんはニコっと笑い手をほどいた。

 他の部員に遅れを取るまいと頭を下げて、僕もそれを見て急いでみんなと同じ格好を取る。


「では、稽古を始める。まずは素振りから」


「「「はい!!」」」


 竹刀を握り立ち上がると、部長の合図で素振りが始まる。

 形だけは普段通りにできているはずだけど雑念で全く集中できない。


 仁奈になさんと目が合ったのは偶然なのか、それとも気持ちが伝わっていたのか。

 その答えを知りたくて頭の中が仁奈になさんでいっぱいだった。

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