三日目「食器、いつ買う?」

 2021年7月7日午後4時30分、ワンダース・ハイツ。私はメイク中だった。朝から、ひっきりなしにネジを回す音がする。夫は全身に汗をかきながら、棚やテーブル、ソファといった家具たちを組み立てていった。

 「これじゃ、イトヤで買うのと一緒じゃんかよ……」

 若干濃くなりすぎた気もするが、どうせ汗で落ちるし許容範囲だろう。

 私は唸り声を上げながら作業する夫に後を託し、家を出た。今日は久々のコンサートなのだ。和太鼓と弦楽四重奏のコンサート。芸大の先輩だった山城さんに呼ばれ、特別に招待された。


 17時02分、阪急西宮北口駅。学校帰りや仕事終わりの人々で溢れる車内で、夫から進捗状況のメッセージが送られてきた。身動きが取れず、正直「勘弁してよ……」と思わなくもないが、何気ないやりとりが救いだった。

 「無理しなくてもいいよ。あと、冷蔵庫のワッフル、食べていいから」

 夫に労いのメッセージを送信した。本当は、ボイスで送りたかった。

 一度の乗り換え後も、人の多さは変わらなかった。私が大学生だった頃、ラッシュ時だけは帰宅を避けていたのを思い出した。ま、みんな頑張ってくださいよ。曽根駅で降りると、阪急マルーンの車両は宝塚方面へと去っていった。

 駅に着くと、見慣れない土地を歩く。すぐだと聞いていたのに。あの先輩、嘘をおつきになりましたね。しかし、5分くらい歩くと、なんとか会場に辿り着いた。徒歩3分と聞いていたため、身体には2分ぶんの疲れが蓄積していた。

 会場の外でお茶を買い、滴る汗を拭いつつロビーに入ると聞き慣れた声が私を呼び止めた。

 「やっほー、久保さん」

 「お久しぶりです」

 声の主は、山城さんだった。山城さんは豊中フィルのソリストとして活躍しているヴァイオリニストだ。東京の音大を卒業し、パリやウィーンのコンクールでも賞を獲得した経歴もある。

 「久保さん、こっちでもよろしくね」

 「こちらこそ」

 「なんか、僕が呼んでしまったみたいになったけど。大学の方でもお世話になります」

 近況や予定を軽く語らった後、山城さんは開場前の中ホールへと消えていった。まだ開場までは10分ある。コロナの影響でロビーは疎らだ。

 「それにしても、山城さん、いつの間に特任教授になったんだろう?」

 貰ったパンフレットに目を通していると、スーツ姿の女性が開場を告げた。


 和太鼓と弦楽四重奏のコンサートは、とにかく迫力で押す演目が中心だった。必ずしも私の好みに合う演目ではなかったが、山城さんを始め、熊原さんや井納さんなどの元同級生たちは見事な演奏を披露していた。

 「これをもちまして……」

 影アナの声は晴れやかだった。開催できるかどうかわからないご時世、一本一本のコンサートが新たな挑戦である。

 帰宅途中、夫からメッセージが届いた。鍋に入ったままのカレーが映し出されている。

 「カレーを作ったんだけど、お皿がない!」

 私はやっと気付いた。家のことを夫に任せきりで、様々な課題を忘れていたことに。青ざめた顔で乗った電車は、宝塚行きだった。

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