第17話 『マスター』



side アシュリー(アッシュ)



―――32階層 VS 『マスター』


 目の前に立つ『マスター』の圧がピリピリと頬を刺す。このような緊張感は生まれて初めてかもしれない……と思うと緩む笑みを抑えられない。


(……聞いてた話しと違うじゃん! めちゃくちゃ強そうだよ……? 『2人』とも……)


 心の中で呟きながら、初めて見た瞬間に感じ取ってしまった「自分でも絶対に勝てない相手」を前に、ゴクリと唾を飲み、口を開いた。


「僕の正体に気づいてるの?」


 マスターは綺麗な紺碧の瞳で、僕の一挙手一投足を見つめている。ゾクゾクッと身震いとも興奮とも呼べる感覚が身体中を駆け巡る。


「知らない……。知ろうとも思わない。ルシファーに手を出すなら子供だろうが容赦はしない……」


 マスターは瞬き一つせず、じっとこちらの動向を探りながら呟く。


(か、かっこいいー!! 綺麗な瞳。程よい筋肉。サラサラの銀髪……。間違いない……。僕が探していた『ルーク』だ……)


 うっとりと見惚れながら、どうしたものか? と思考を進めようとするが、向けられる敵意とマスターのオーラに思考することすら許されず、頭がポーッとしてしまう。


(……ダメだ……。綺麗すぎる。こんな『人間』見たことない。あの『天使』を刺激したのは間違いだったかな? ってゆうか……あの『天使』なんか、すごく可愛がられてない? 『天使』ばっかりズルい!!)


 本来、争うつもりなど微塵も考えていなかっただけに、困惑しながらも天使に対する嫉妬が沸き上がってくるのを感じる。それに、どれだけ自分の力が通用するのか試してみたい好奇心もある。


 『2人』の言葉に反するようで気が進まないが、


「……いつでもどうぞ?」


 とわざと余裕綽々な態度をとる。声が震えていないか心配になったが、マスターは「ん?」と首を傾げている。


「……何か……おかしいな……?」


「え、えっ!? な、なにが? べ、別にあなたに勝てるわけない!って思ってないよ!! か、かっこいい!なんて思ってないよ!! 一生、性奴隷にして欲しい! なんて、思ってないよ!!」


「……ん? ……何言ってんの?」


 マスターはキョトンとして、さらに首を傾げている。


(な、何言ってるんだ!? 僕は!! 4000年生きてきた生物の覇者だろ!! 少し、探られたくらいで何だって言うんだ!! 多分、マスターは僕に殺気がない事を指摘しただけでしょ!?)


 僕が心の中で絶叫していると、マスターの後ろにいる天使の光の焔が更に純度と量が増している事に気づく。


「この小娘……。ルーク様の性奴隷だと!!? それは私に決まっているでしょう!!?? そのぺったんこな胸でルーク様が満足できると思っているの? 『ドラゴン』風情がルーク様の寵愛を受けるなどあり得ません!!」


「えぇっ!! ドラゴン!!?? ってか……ルシファー……?」


「え、あっ。いや! ち、違います! け、決して闘おうとしたわけでは……」


「いや、性奴隷って……。冗談でもそんな事言っちゃダメだよ? ……も、もう少し自分の可愛さを自覚しないとダメだ!!」


「ル、ルーク様……じょ、冗談では……わ、私は……」


 天使は顔を真っ赤にして、マスターも負けじと顔を赤らめている。僕の正体がバレたのにも関わらず、平然と天使を諫めている……。


(むぅー……。ちょっとムカついて来ちゃったぞ?)


 僕は天使ばかりがマスターに可愛がられている事にどうしようもなく嫉妬してしまう。4000年も生きているのに、まるで駄々を捏ねる子供のように、嫉妬の感情は止まってはくれない。


「『竜焔ドラゴ・フレイム』!!」


 僕は天使目掛けて、真っ黒い焔を口から吐き出す。黒炎は巨蛇のようにダンジョンの天井を這いながら、天使だけに向かって行く。


(まぁ……死にはしないだろうけど……)


 天使の光焔と相打ちか、飲み込むか……。おそらくあの天使はかなり上位の天使であるのは間違いない……。それに『ルシファー』って名前はどこかで聞いた事がある。


(……ん? ルシファー……。ルシファー……。……あの『ルシファー』!!?? 神に反逆し天界から追放された堕天使だよね……? このダンジョンに閉じ込められていた元最上位天使の名前じゃん!!)


 長年、生きていると様々な噂を耳にする。昔、竜神様が、


「愚かな……。あれほどの力を持ったが故の『傲慢』か……」


 と言っていたのを覚えてる。


(何でここに『元最上位天使』が……?)


 僕の放った「竜焔」は左右に飛散し、四方から天使を狙っている。


(ふふっ。『ルシファー』はどう裁くかな……?)


 相手が神にすら反逆するほどの力を持っているとわかった僕は天使の動きに注目する。


 ほんの一瞬の間だが、マスターから天使へと意識が移った瞬間、僕は背筋がゾクッとするのを感じた。


「『火玉洗濯フレイム・ウォッシュ』……『6連』!!」


 マスターがそう呟くと、虹色の火の玉が6つ現れ、すぐさま天使の頭上を守るように6つの「虹火玉」をふわっと投げた。


 道を塞がれた「竜焔」とぶつかったかと思うと、「虹火玉」は飛散し、虹色の粒子が僕の「竜焔」を全て飲み込んで行く。


 先程、あのザコ達を一蹴している時に見た光よりも、より力強く、より美しい……。


「なんて、綺麗なんだ……」


 僕がそれに見惚れていると、全身が震え出す。


(な、なに?)


 自分が意識せずとも、長年、苦楽を共にした身体が、「死」を予感している。ハッとマスターの姿を探しながら、先程、あのバカパーティーを威圧した『竜威』を四方に展開させ、防御に徹する。


(どこ? マスター? どこ行ったの?)


 周囲に満ちた神聖なる魔力でマスターの気配を探る事が出来ない。


(こ、これが『狩られる者』の気持ちか……)


 尋常ではない「恐怖」。長すぎる寿命に、「誰か僕を殺してくれないかなぁー……?」などと考えた事もあったが、それは間違いだった。


 やっと『マスター』に見つけたのだ。『2人』の宝物に出会えたんだ。嫉妬なんて抱くんじゃなかった。天使にあんな事を言わなければよかった。


 ただ、マスターに、


「ずっと探してたんだよ?」


 って言えばよかったんだ……。


トンッ……


 背中に温かい手が触れる。


「『竜装ドラゴ・リプレイスメント』」


「『意識洗濯コンシアスウォッシュ』」


 咄嗟に竜の鱗を全身に纏わせるが、マスターの綺麗に澄んだ声が聞こえると虹色の光に包まれる。


 温かくて、少し冷たくて、懐かしくて、少し寂しい。


「アシュリー!! 今日は何して遊ぶ?」


(あぁ。これが『死』……? 遠くからイザベラの声が聞こえる……。あぁ……失敗しちゃったな……。『2人』共、ごめんね……)


 「あの日」以来、枯れたはずの涙が頬を流れる。僕はそのまま、ゆっくりと意識を手放した。

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