第55話 共に在る今と、別たれたる未来

 ━━2036年4月28日午前6時30分(東京・日本標準時)


「にゃっにゃっにゃっにゃ~、おバカさんどもめ。調子こいて隙を見せおったわい」


 ペンタゴンの一角で熱狂が渦巻いていた頃。

 そして中標津から撤退した奇襲兵力とは異なる本命の米上陸艦隊が、ロシア沿海州領海線ギリギリの位置から北海道へ向けて突進を開始した頃。


 戦時下とは思えないほど平穏に包まれた東京都八王子市━━金土かなど家2世帯住宅の片側では、数日来キノエの部屋に入り浸っていた鄭月ジェン・ユエが悪辣きわまりない笑みを浮かべていた。


「さすがに米国のセキュリティは鉄壁も鉄壁……と思っていたら、いーきなり行政システムの各所に大穴が空きまくったぞい。

 まー、自衛隊が仕込んでくれたBotのおかげではあるけど、これで連中の中枢に永続的なコネクションが張れるぞっと」

「んがぁ……ふぇ……ふぇ……ふぇふぇふぇ……コーにい、男の子は3人いれば十分だよぉ……ぐへ……ぐへへぇ……汚阿ッッッッッッッッッッ!! ホン尾ッッッッッッッッッ!!」

「人類史上最高クラスに汚い寝言だにゃあ……ほれ、キーちん、起きて起きて。

 君の愛するおにいさんのDTを奪った女の所在が掴めたのだわよ」

「は? マジ? 起きた。さーちん最高。100年無税。じゃ、殺しに行こう」


 ソファの上でひっくり返って眠りこけていたキノエが、起床ラッパを鳴らされた自衛隊員よりも早く飛び起きると、ユエが見つめているモニタの側へ寄ってきた。


 汗くさいなあ、と自らの体臭も省みずに彼女は思う。一部の男性にとってはさぞかしご褒美なのだろう。

 もっとも、毎日のように徹夜続きで情報収集とあらゆるルートを模索してクラッキングを繰り返していれば、ある意味では当然の帰結だった。


「え~、ワシントンのど真ん中じゃん。

 なにこれ、土地すんごい高そう。5年あったら3倍くらいに儲けられそうじゃんじゃん。

 んじゃ、そこに東風41号発射としいて。死体はあとで確認しにいくんで」

「無茶言うにゃあ……きーちんが大陸統一して総書記になったら、自分でやりなさい」

「ぐぬぬ……コーにいの大切なものを奪ったクソ女なんだから、錆び付いた元工業都市のスラムで腐った麦当劳マクドナルドのポテトでもかじってると思ってたのに、まさかD.C.住まいとは……ますます憎しっ」

「………………」


 恐らく、いや、どうやら間違いなく。もはやほぼ確定的に。

 その人物のルーツについて、ユエには調べがついている。


(きーちんも人の叔母を好き勝手言ってくれるにゃあ……まあ、やらかしたことは弁護しようもないけども)


 S・パーティ・リノイエと名乗る香港住まれの叔母が、人工知能技術者としてアメリカへ早くから渡りかなりの成功を収めていたことは知っていたものの、まさかこの戦いに━━そして、自分の友人たちに関わりを持っていようとは夢にも思っていなかった。


「………………ふう」

「まー、それはそれ。これはこれとして」


 暗い顔を見せてしまったらしい。ひどく憂鬱なため息に聞こえてしまったらしい。

 キノエはほんの一瞬だけ不思議そうな顔をすると、ユエを気遣うように箱形の物体をテーブルのどこかへ移すようなジェスチャーを見せた。いかにもふざけている時の顔で笑った。


「ふふふん」

「んーもー、なになのさーちん。さっきから」

「いやいや、きーちんは本当にすごいなってお姉さんは感心してたとですよ」


 はじめて発した日本語は汚物の叫び声。大陸に平穏が残っていた頃は、朝から晩までアニメとゲームと漫画とVバー動画だけで過ごしてきたのがキノエという少女である。


(それでいて天性のコミュ力がある……頭はおかしいけど、いや本当に頭はおかしいけど、人を惹きつける魅力にあふれている……総書記になって大陸統一なんて、いくらなんでも夢物語だと思っていたけど、この戦いの後に訪れる混乱をうまく利用できれば本当に……)


 人を束ね、統べ、そして導く力とは結局のところコミュニケーション能力なのだ。

 万古のあらゆる指導者、政治家、偉人聖人はその大いなる能力と合わせて天性のコミュニケーション能力を持っていた。


 金土かなどキノエにはそれがある。ユエには持ち得ないほどの恐るべき才能が。


「はいはい、感心してもらってありがとうってことで。

 それで? さーちんが掴んだ情報は日本政府に渡すわけ?」

「もちもちのろんろん。どうせ私たちだけじゃ扱い切れないネタだし。国家レベルで役に立ててもらうのが一番でしょ。

 是、日港日本と香港の絆! ついでに我がコー輩くんの手柄にもなるかもだにゃ!」

「本音は?」

「ぐぇっへっへ、こいつがあれば米政府の中枢に『ハイ・ハヴ』を介さずにコンタクトできるわけですにゃ~?

 工作、介入、その気になれば勝手に停戦交渉までやりたい放題! こいつをいっちょ貸しにして、日本政府には末なが~く香港再独立の手助けをしてもらうという寸法ですぞよ!

 あー、今の『広州および深センマカオ香港連合国』を香港盟主の民主主義国家にしてもいいにゃ~!!」

「はいはいはい、妄想おつかれ。キノエちゃんが全部まとめてきっちり再統一しますから」

「米軍と英軍と日本軍と台湾軍を駐留させて守りたい」

「クッソエゴ丸出しの植民地支配再来オッツぅ~!

 人民はそんなこと望みませんので! 正しい支配は美少女総書記による大陸席巻! 蹂躙! 再統一ッッッッッッッッッッッッ!

 ついでにモンゴルと沿海州とアクサイチンとラダックもいただきます」

「この総書記……野心が見え見えすぎる!!」


 マシンガンどころかCIWSの全力射撃にも似た物騒すぎるトークを聞く者は他にいない。

 どんなことでも出来る若さときわめて高い能力を持ち、何ら公的組織に所属していない彼女らの存在は、この世界における強大な変数ともいえる。


(ま、ぼちぼちと。そして、おいおいとやりますかね。軌道なんてのは走りながら修正するもんだし)


 鄭月ジェン・ユエは思う。

 いつかこの愛すべき頭のおかしい少女と袂を分かつ時が来るかもしれないと。香港の自由と独立に今でも強い決意を━━否、未練を持つユエと少女の利害はどこかで決定的に衝突せざるを得ないだろうと。


(……逆に香港独立も大陸再統一もうまく行かないなら、今の関係を続けることができるけれど)


 中国は分裂したまま、争い続け。

 香港はそれ単体では自立できぬがゆえに広州とマカオをあわせて連合を組み、緩い自由経済圏としてなんとか存続していく。

 そんな現状が変わらないならば、


(もしくは我がコー輩くんがいなくなったりすれば、きーちんもちったあ現実を見てくれるんじゃなかろうか。

 そうね、まともな女をあてがうとか……後はこの戦いが米軍側に傾いたら、混乱に乗じて━━)


 ぞっとするほど冷たい思考が鄭月ジェン・ユエの頭の中には平然とわいてくる。

 そんなことを考える自分が嫌になる。



「ほいじゃ送るよ~。電子署名はきーちんの使うね~」

「はいはい、よろしく」

「ま、後は勝ち負け決まってから動きますかにゃ」


 未来はまだまだ分からない。しかし、願うならば最大公約数の人々が笑えるシナリオであってほしいと。

 鄭月ジェン・ユエは有明第7データセンター宛てに資料を送信しながら思っていた。

 その願いだけは本物で、そして汚れていないものだった。

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