第24話 白頭山の頂に登り詰めた民族の栄光は、鴨緑江の水底へと沈んだ(4/4)

「諸君、忘れてはならない。

『社会主義自由清国』は我々を今もなお、疑っている。毎年、国家予算の半額にのぼる賠償金を納めていても、いつ攻め込んでくるか分からないと考えている。

 ……我々が少しでも彼らに逆らう動きを見せてみろ。米国の最後通牒を勝手に受諾してみろ。

 間違いなく━━ふたたび、核の炎が我々に降りかかるはずだ」

『し、しかし、首相。米国の要求しているものは、単なる人工知能システムの『接続』と『利用』に過ぎません』

『そうです!

 我々にはなおも『南』出身の豊富なコンピューター技術者がいます。どうでしょう、むしろ米国のシステムを我々が学び真似て、そして『社会主義自由清国』に対して技術提供するというのは……』

『いいアイディアだ! それならば、きっと許されます!』

『首相、やってみるべきです!』

『どうか、決断を! 首相!』

「愚か者! 民族滅亡の危険を冒してまですることか!」


 崔建龍チェ・ゴンリョンの一喝は名刀のごとく鋭いものであった。

 しかし、その刃は両側にある。柄を握るはずの彼もまた血を流している。


(……躊躇なく核を撃ち込む宗主国と付き合うことが、どれほど難しいものか……!!)


 清朝の脅威に晒され続けた李氏朝鮮後期、あるいはモンゴルにおびえ続けた高麗王朝末期ですら、これほどの切迫感はなかったに違いない。


(なぜなら、かつての時代は外国軍に攻め込まれても支配層がその権力を失うだけだった……しかし、核は違う!

 我々民族そのものが滅亡しかねないのだ!)


 偉大なるソウルは今でも広大な焦土であり、ほとんど復興は進んでいない。

 現状では旧『南』の都市において最大の人口を誇るのは『新ソウル市』と改称された仁川インチョンであり、それに隣接する開城ケソンが産業経済圏として機能している。


 そして、ソウル以南はもっと悲惨だった。

『北』の核攻撃から残存した大田テジョン蔚山ウルサンといった大都市は『社会主義自由清国』による水爆の直撃を受け、その機能を喪失していた。


 工業地帯はあえて狙いから外されており、それなりに生き残っていたため、新ソウル・開城経済圏へと大々的に移転・集中が進んだ。

 しかし、その移転がまた都市の復興を放棄させる要因となっており、農業もまた放射性降下物の懸念から復旧が進んでいないのである。


(もともと『南』の連中は放射能を過剰なほどに恐れていた……)


 日本の福島第1原発事故3.11を端に発した放射能汚染への恐怖が、科学的理解を超えた呪いのレベルまで達した大韓民国では、原発処理水の放出にすら国民的な反対運動が起こる始末だった。


 その根底にあったものが『日本を叩きたい』『日本を穢れた存在として見下したい』という『南』のつまらぬ優越意識であったことを、『北』の崔建龍チェ・ゴンリョンは正しく理解している。


(日本を見下そうとして曲解していた放射能汚染への呪いが、巡り巡って自分たちに跳ね返ってだけのことだ……!)


 かつての統一朝鮮政府であれば、強制移住と耕作再開を命令することもできたであろうが、もはやこの朝鮮半島には絶対的な人口が足りない。


 第2次朝鮮戦争の犠牲者と『社会主義自由清国』による核攻撃、そして関連した社会不安や飢餓・感染症の蔓延によって、南北朝鮮の人口は8000万人から5000万人以下まで激減しており、強制移住を命ずるだけの余裕がないのである。


(今や我々の朝鮮半島は……『北』に人口が偏在する構図になっている……)


 かつて旧・大韓民国が築き上げた『南』の産業インフラは、二度にわたる核攻撃と工業施設移転によって消え去った。

 だが、『南』からの収奪によって急速整備された『北』のインフラと『南』から移設させた産業設備は今もなお、輝きを保っている。

 重工業については統一前の3割であり、電子産業に関しては半分というところまで生産力が復活しているのだ。


 もちろん、まともな国なら壊滅的被害としか言いようがない。

 しかし、元を辿れば『北』による統一前は、南北100倍近い格差があったのである。


(まだ我々は戦える……国家予算の半額を賠償金として毎年納めていても……それでも『北』時代の5倍の国家予算がある)


 最後まで核攻撃から免れた首都・平壌。

 そして、最大の産業拠点として機能している新ソウル・開城経済圏。


(喪うわけにはいかない。これだけは)


 おそらく『次』があるならば、これらへの核攻撃になるだろう。

 その時は朝鮮半島から朝鮮民族の国家が消滅する。もはや民族単位での国家が維持できなくなる。


 そして、何が起こるか。

 朝鮮『人』は朝鮮『族』になりさがり、ウイグルやチベット、内モンゴルでそうであったように文化が奪われる。言葉が奪われる。


 すなわち、『社会主義自由清国』への併合と漢民族への同化である。

 いつしか少数民族・朝鮮民族は世代を経て、漢民族に飲み込まれ、固有文化そのものが消滅する。


(民族の存続とは……ただ、ヒトが生き延びているだけでは足りないのだ。我ら朝鮮民族固有の文化を残さねばならない……国家として……!)


 民族滅亡。それだけは絶対に避けなければならない。


「統一朝鮮首相として『首領令』を発する」


 崔建龍チェ・ゴンリョンの言葉に、列席の高官達がぎょっとした顔つきになった。


『首領令』は朝鮮統一直後、しかもまだ金王朝が維持されていた時代に制定された最高指令である。

『社会主義自由清国』に対する降伏後、統一朝鮮の憲法をはじめとした法は大々的な改変が行われたが、それを行ったのはどこまでいっても本来、国家の首脳にはなりえないような人材の絞りかす・・・・だった。


 従って、現在もなお統一朝鮮には金王朝時代の法や制度が数多く残存しており、もはや適切でない用語も含まれている。

『首領令』はその1つであった。


「直ちに『社会主義自由清国』に対して、米国の最後通牒に関する意見を求めよ。

 我々はそれに従う。この『首領令』は絶対である」

『首領……いえ、首相……最後通牒を拒絶して、米国と戦うつもりですか?

 あのアメリカですぞ? 欧州を一瞬で屈服させた強勢覇権国家と、我々が勝負できると思われるのですか?』

「ああ、勝負できるとも」


 あっさりと言い放った崔建龍チェ・ゴンリョンに対して、場の空気が沸騰した。


『無理です! 我々には何の戦力もない!』

『今や『民族の核』も奪われました!

 復旧しようとした核施設は日本の空軍に爆撃され、核技術者はロシアに全員暗殺された! 中国はすべてのデータを奪い去っていった!』

『一体、何の抵抗手段があるというのですか!』

「あるとも。それは我々『北』の人間の胸の中にある。

 諸君、我々は塹壕を掘り、都市に立てこもり、山岳を機動し戦うのだ。時代遅れの砲を轢き、戦車を動かし、戦うのだ。

 第1次祖国解放朝鮮戦争のように、だ! 皆、忘れてしまったのか?

 核とミサイルに頼り切って、あの苦しくも効果的な軍事訓練の日々を忘れてしまったのか?」

『むちゃくちゃだ……!!』

『勝てるはずがない!』

「それ以上、敗北主義を口にするならば、私は諸君らを粛正する」


 その時、叔父の声が聞こえた気がした。

 人民軍次帥の地位にあった男がこう言った。「国家危急の際はいかなる強圧も正当である」と。


「我ら朝鮮民族は今、存亡の際にある。私は何としても我が民族を救う。

 5000万人の同胞ほとんどが死に絶えようと、1万人が生き残り、我々の国家と文化を保持すればそれは勝利である。

『南』の連中で屍の防波堤を築こうとも、断じて敢行する。

『北』の善良なる人民にどれだけ犠牲が出ようとも、臆して立ち止まることはしない。

 諸君らも死力を尽くせ。もはや逃げ場はどこにもない。

 戦い抜くか、民族ごと滅ぶか、そのいずれかだ」

『しかし……し、しかし、首相……あなたに逆らうつもりは毛頭ありませんが、首相……!

 人民が従うでしょうか……我々はこの状況下で、祖国防衛のため組織的に戦うことができるでしょうか……!?』


 産業部長官が狼狽していた。食料部長官は頭を抱えていた。

 皆、すべての自信を喪失していた。

 無理もないことだと、崔建龍チェ・ゴンリョンは思う。


「戦えるさ」


 だが、彼はそれでもなお、偉大なる朝鮮民族の底力を信じていた。


「もともと我々は中国以外の外国軍には強いのだ。

『そのような民族』なのだ。

 日帝に対して常に激しく抵抗した。米帝に対しても然りだ。

 これから始まるのは第3次祖国解放朝鮮戦争だ。

 第1次では勝敗がつかなかった。第2次では祖国統一で終わってしまった。

 だが、この第3次では━━ついに米帝との最終決戦を行うのだ。最大の強敵である米帝に勝利してこそ、物理的に精神的に祖国が解放されるのだ。

 我が民族の偉大なる復興はまさにその瞬間、はじまる!

 まったく論理的にして『主体』チュチェ的だと思わんかね?」


 君子は豹変する。統一朝鮮統一朝鮮民主主義共和国首相・崔建龍チェ・ゴンリョンもまた同じである。

 凄まじい粛正。隊列の後ろから突きつける銃口。

 老若男女を問わぬ膨大な戦死者。文字通り最後の一兵まで戦い抜く兵士たち。


 2035年にはじまった『人工知能戦争』と呼ばれる一連の戦役の中でも、とびきりに陰惨な第3次朝鮮戦争において、統一朝鮮人民軍は恐るべき抵抗を見せることになる。

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