第18話 『透明』な人工知能によるポピュリズム(1/2)
━━2035年11月1日午前10時00分(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)
『こちらが昨日までにパリとベルリンで実施された国家戦略人工知能システムへの接続・利用試験のレポートです。
概ね市民と企業については大好評と言ってよいでしょう』
「そうか、それは何よりだ。
我々の『ハイ・ハヴ』は……彼ら欧州市民と企業の幸福増進に寄与しているというわけだな」
『ええ、もちろんです。大統領』
欧州における『人工知能戦争』の開戦━━後に『200分の敗北』とも呼ばれる電撃的停戦からおよそ2ヶ月が経過していた。
『ドイツについては、セキュリティ・ゲートウェイのブランデンブルク門復旧時にシステム接続を実施しました。フランスは明日、第4次試験を実施予定です。
各国官公庁における評価も継続中ですが、こちらはなにぶん、相手先の事情も多様なので、まだ時間がかかりそうです』
「よくわかった。
なあに、焦ることはない。彼らのペースに合わせて、しかし迅速に対応すれば良いのだよ、補佐官」
ホワイトハウス。
言うまでもなくアメリカ合衆国・大統領官邸として長い歴史を誇る場所であり、事実上、この地球における最高権力の鎮座する神殿と言ってよい場所だった。
(そう、アメリカ大統領こそは世界最高の権力を持つと言ってよい存在だった……しかし、その地位が外部からの攻撃ではなく、内なる対立によって揺らぐことになるなど、誰が想像しただろうか……)
アメリカ合衆国第49代大統領スティーブ・ハン・ジョーンズの二つ名は『透明』である。
だが、それは
「人々は言う。
この私の背後には━━いや、もはやアメリカにおけるすべての政治家の背後には、人工知能が透けて見えると。
だが、それはむしろ素晴らしいことなのだ。
それこそが我がアメリカの掲げる国家戦略人工知能主義の理想的な形なのだ」
モンゴル系の父と白人系の母を持つジョーンズ大統領は、恐ろしいほど温和な人物だった。
嫌いなものは闘争であり、好きなものは和解。彼と仕事をしたことがある人間は、ジョーンズが怒っているのを見たことがないと口をそろえる。
(……しかし、それは正確ではない)
机の中心にはどうしても消しきれなかった傷が残っていた。それは第47代大統領━━つまり、帰ってきた『彼』の治世が始まった日に、ホワイトハウスへ乱入した野党支持者たちが大暴れした傷跡だった。
(私が真の怒りを覚えたのは……その時だけだ。
誰にも今の私を見せてはならないと思った。トイレへ駆け込んで1時間あまり……なんとか気を落ち着かせることに集中した……)
『彼』が1度退任する直前に議会へ乱入した者たち。そして、4年後『彼』が帰ってきた直後にホワイトハウスへ乱入した者たち。
どちらも対極の政治的立ち位置にいるはずなのに、結局、最終的に訴えた手段は暴力という統一解だった。
(かつて共和党と民主党と呼ばれた二大政治勢力……保守とリベラルという呪縛……それはコインの裏表に過ぎず、どちらが優れているわけでも、正しいわけでもなかったのだ……)
まったくやるせない話だった。
内部対立はどんな国もある。だが、そこから生じる破壊の力が、外なる敵へ向けられるならまだしも、内なる合衆国民同士に向けられていたのだ。
(しかし、今やそんな時代は終わった。
我々の国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』が、対立の根元となるものを断ちきったのだ)
すなわち、それは。
意志決定プロセスから、党派・人種・宗教などあらゆるヒトのヒトたる属性を排除すること。
すなわち、それは。
ヒトでない人工知能によって決定を下すことで、対立の原因そのものを消滅させること。
(共和党が通した法律は、民主党にとって不利なもの違いない。
白人が作った制度は、黒人に不利益だ。
中華系移民の言っていることだから、南米移民の権益を奪おうとしているに違いない。
……人間ならば、そんな勘ぐりをしてしまう。これはヒトがヒトである以上、どうしようもないことだ)
プロセスを公開し、透明にすれば良い。監査の手を入れ、公正にすれば良い。
そんなありきたりの手法は既に限界が見えていた。情報を公開してもフェイクニュースではないかと疑うこともできる。監査する人間が買収されていると思い込むこともできるのだ。
(だが、人工知能に意志決定を大幅に委譲することで、これらの懸念は排除することができた)
むろん、人工知能ですら疑う者はいる。裏で操る者がいるのだ、という陰謀論は存在する。
だが血が通い、肉の身体を持ち、そして何より思想と信仰と人種と社会的立場を持つ人間よりは遙かにマシだった。
(アメリカの人々はおよそ10年にも渡る内部対立に疲れ果てていた……そんなものとは、さっさとおさらばしたい。
それが社会のコンセサンスだったのだ)
これこそがアメリカ合衆国で国家戦略人工知能主義が提唱され、そして、国家戦略人工知能システムが社会のすべてに広く受け入れられている最大の理由である。
アメリカ以外の他国にとっては『人工知能を活用して高度経済成長を達成』と見えるが、そんなものは副産物に過ぎないのだ。
「補佐官」
『はい、大統領』
「質問したい。
この私、アメリカ合衆国第49代大統領スティーブ・ハン・ジョーンズは……いかなる運命の偶然と導きによって、今、この職責にあるのだろうか」
『ご冗談を、大統領。
そんなことは、今やハイスクールに入ったばかりの少女でも知っています』
補佐官のメアリー・ジョーンズが微笑んだ。35歳の彼女は67歳のジョーンズ大統領にとって、妹の娘━━つまり、姪にあたる。
だが、その抜擢を縁故採用と糾弾する者はまずいない。
若い頃━━そう、まさにアメリカが内部対立の絶頂にあった頃だ!━━銃撃戦に巻き込まれ右足と左腕を失い、顔面にすら多大な損傷を負ったメアリーは、カーボンとチタンの固まりで構成された義手・義足を身につけ、さらに細胞培養技術によって再生した人工皮膚をまとうハンディキャッパーである。
しかし、彼女は自らをこう呼ぶ。
自嘲とはかけ離れた大いなる誇りを持って『サイボーグ』と自称する。
なぜなら、彼女メアリー・ジョーンズこそは当代最高クラスの義手・義足設計技術者であり、彼女が身につけているのは実に5世代、10世代と自らの設計で改良を繰り返した究極のカスタムメイド品なのである。
人間の持つ筋力の限界を遙かに上回り、最大1.5メートルにまで伸縮する彼女の義手は、ワシントンの桜祭り中に誤ってポトマック川へ落ちてしまった子供をいとも簡単に引き上げたこともあるほどだ。
(言うなれば、我が姪はハンディキャッパーのスターダムということになる……)
バーで暴れていた酔っ払いの大男をあっという間に取り押さえたこともある彼女は、もはや健常人の能力を全面的に上回っていると評価する者もいる。
(だからこそ彼女は『サイボーグ』と高らかに自称する)
それはすなわち、世界中のハンディキャッパーに希望を与える。
常人以下の身体しか持たないと思い込んでいた人々が、技術の進化によってむしろ常人を超える身体を持つことができるのだと、前を向くための道しるべになるのだ。
そして、そんな彼女を大統領補佐官に抜擢するよう『勧告』したのは━━他ならぬ国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます