第15話 200分間の敗北(2/3)
その画面ではつい数時間前の映像が再生されている。
ドイツの巨大演習場・アウグストドルフに駐留する100輌の最新鋭戦車・レオパルド3が次々と撃破されていく様子が克明に映し出されていたのである。
「バカな……こ、こんなことが……!!」
「お顔から察するに、陸軍の主力と連絡すら取れていなかったようですな?
この映像はフェイクでもなんでもありません。実際に起こったことです。
そして、我々は即座にこの10倍━━いえ、100倍の大破壊を貴国に対して実行する用意があります」
「………………!」
デグナー首相は今度こそ言葉を失った。
「なぜだ……! なぜこんなことをする……! アメリカがなぜ我が国にこんなことをするのだ!?」
「もともと打診はあったはずですよ、首相。
あなたは我々の『ハイ・ハヴ』をご存じのはずだ。そして、我々の国家戦略人工知能システムへ『接続』し『利用』してほしいと要望もされたはずだ。
ありがちな商談の1つだと思われましたか? 自由を標榜する新大陸の国が権利意識の進んだあなた方の欧州へ、個人情報保護の怪しげな技術を売り込んできたと勘違いされましたか?
そんな薄っぺらい話ではありません。
我々の━━アメリカの『国家戦略人工知能主義』は貴国へ戦いを仕掛けるに値するほどの、全人類的理念なのですから」
「あああ……!!」
閃光のように数ヶ月前の記憶が蘇った。
デグナー首相は7月に訪米し、ワシントンでアメリカ大統領と会談を行った。だが、その夜、急遽
(奴は……いや、あの立体映像は自らをハイ・ハヴ・
その立体映像はまるでブッディズムの神像のような外見だった。
よくあるチャットボットの1つだと思っていたデグナー首相は、まるで人間のように会話し、そして高度な謎かけにも平然と回答する人工知能に驚愕させられたものだった。
(確かに素晴らしいテクノロジーではあった……だが、それだけだ……!)
その時、ハイ・ハヴ・
自分は国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』という汎用人工知能である。『ハイ・ハヴ』はすでに国家規模の人工知能支援システムとして、米国全土で利用されている。
このシステムを導入すれば、ドイツ国民にも素晴らしい体験が得られる。
だから━━どうか自分たち国家戦略人工知能システムに『接続』し『利用』してほしいと。
(奴は言った……それはすべてのドイツ人を幸福にするだろうと……)
それが国家規模の巨大な取引であることは明白だった。
デグナー首相は困惑した。なぜこんなものを秘密裏に、そして自分だけに見せてくるのか分からなかった。
(私ひとりで決められるわけがない。何より我がドイツには……そして欧州連合には厳しい情報保護法がある)
それはすなわち、権利権利権利! 規制規制規制!
欧州の厳しすぎる個人情報保護のもとでは、国家規模で
「……私はあの時、言葉を濁してペンタゴンを去った。
その後、何の音沙汰もなかった。悪い冗談でも見せられていたのだと、半ば忘れていたよ。
だが、君たちアメリカ人は……本気だったんだな」
「ええそうですとも、首相。そのために戦争すら起こしたのですからね。
何もこれを正義の戦争とは言いません。正義と悪。そのような一面的な物の見方自体、我々の『ハイ・ハヴ』が否定するところです」
「……私にどうしろと言うのだ。たとえ銃口を突きつけられたとしても、私はドイツを売ることはしないぞ」
「ですが、勇気ある決断をすることで、全ドイツの人命と財産を守ることはできるはずです」
やはりそう来たか、とデグナー首相は考えた。
(あくまで人命と財産を守るため。そのために決断するなら、売国奴ではないと囁く。
思えば……ヒトラーの手下たちも、このようにペタン元帥へ囁いたのか……)
対独講和を決断したフランス軍元帥の立場に今、自分があり。
そして、講和を受け入れよと圧迫するナチス・ドイツ軍の立場に今、アメリカの大佐がある。
「首相。あなた方は敗北しました。
しかし、我々アメリカは名目としての勝利を要求しません。『実』があればそれで良いのです」
「……具体的にはどういうことだ?」
「あなたはこのように発表すれば良いのです。
━━米軍との合同サイバー演習中に致命的なインフラ障害が発生したが、欧州連合とアメリカは協力して対処を行った、と」
そんな発表でごまかせる規模か、と言い返そうとしてデグナー首相は思いとどまった。
何しろすべての通信とコンピューター・システムは沈黙している状態だ。つまり、市民はマスメディアの情報を得ることもできなければ、友人からの電話すらも受け取れない。
検閲下にあった統一時代の中国ですら、大事故が起きれば現場の情報が拡散したものだが、現在の欧州ではそれすら不可能だ。
「我々はそのお詫びとして、国家戦略人工知能システムへの『接続』と『利用』の権利を無償で提供します。
あなた方、欧州はそれを受け入れてくれれば良いのです」
「……分からん。そこまでして、人道的な姿勢を気取るのはなぜだ? そんなに欧州市民の反発が怖いのか?
戦争まで仕掛けておきながら、どうしてそんな偽善を装う?」
「いえ、それは━━」
『我々が真に世界の人々を幸福にするため行動しているからです、デグナー首相』
最後の言葉を発したのは、アルダナ大佐ではない。
彼が手に持ったタブレット端末のディスプレイに映る3Dモデルだった。
『私の名はハイ・ハヴ・
アメリカ合衆国から貴国へ提供された国家戦略人工知能システムであり、8柱の
それは東方の宗教像を思わせるアバターであった。
もっとも、それは観音像のような『癒やし』のイメージとは異なる、戦闘的な外見をしている。右手には威厳のある巨大な棍棒を持ち、左手には財宝めいたきらびやかな装飾の杯を手にしていた。
「ハ……ハイ・ハヴ・
『お久しぶりですね、デグナー首相。どのような形であれ、あなたに再びお会いできて嬉しい』
「む、無論、私もそうだ。光栄だとも」
宗教像のアバターが見せる温和な微笑みを見て、激しく胸が高鳴る感覚にデグナー首相は震えていた。
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