第15話 200分間の敗北(1/3)

 ━━2035年9月6日午前4時00分(東京・日本標準時)

 ━━2035年9月5日午後8時00分(ベルリン・中央ヨーロッパ標準時)

 ━━2035年9月5日午後2時00分(ワシントンD.C.・アメリカ合衆国東部標準時)


「停戦協定だと? ふざけるな、アメリカ人! まだ戦いは始まってもいないではないか!」

「まあまあ、首相。そうお怒りにならないでいただきたいですな」


 夜8時、すでに夜の闇が支配する時間帯。

 非常用電源が灯ったドイツ連邦首相府で、デグナー首相はアメリカ陸軍駐在武官のアルダナ大佐へむかって声を張り上げていた。


(一体どうしてこんなことになった……!?)


 ドイツ連邦首相府はベルリン中央駅からシュプレー川を渡って、およそ徒歩10分という好立地である。

 だが、今やドイツの誇る鉄道網は完全機能停止に追い込まれており、首相府そばの地下を通っているはずの地下鉄Sバーンもまた然りであった。


(NSAのサイバー攻撃……完全自律型自爆兵器のドローン・スマート・ボムDSB……インフラ攻撃にこれほどの威力があるとは!)


 国家全体を巻き込んだ大混乱━━それでいて一切の通信が絶たれているために、あまりにも音信不通な静寂の混沌が支配する中、アメリカ陸軍のアルダナ大佐がこのドイツ連邦首相府へやってきた15分ほど前のことだった。


 もっともアメリカ側からすれば、この訪問は予定から1時間も遅れている。


(ったくなあ。

 凄まじい成果の攻撃ってのは喜ばしいことなんだろうが、あんな渋滞は見たことがないぜ)


 アルダナ大佐としては大誤算である。


 なにしろ欧州連合全土の停電にくわえて、コンピューター・ネットワークも全面停止。もちろん『フォン』スマホの通話も通信も一切不可、という状況である。

 道路は史上稀なほどの過密状態におちいっていた。市内の車両移動はほとんど不可能だ。

 特に深刻なのは、常にネットワーク通信を行う前提で設計された完全自動・半自動運転車であり、予期せぬエラー停止や不慣れな手動運転による事故も多発していた。


(BMWさんの誇る最新式の完全自動運転車が、道路で真横を向いてフリーズしてるんだもんな……あれじゃあ壁だ。車両の壁だな)


 駐独最高武官にあたるアルダナ大佐は、今回の開戦を事前に知らされていた数少ない人物である。


(予定通りのタイミング……予定通りの演出でさっそうと現れて、停戦勧告を突きつけてやるつもりが1時間も遅れたんじゃかっこ悪いったらないぜ)


 アルダナ大佐は公用車に乗ってアメリカ大使館から出発したものの、あまりの大混雑に30分ほどで車両による移動を断念し、必要最低限の書類をリュックサックへ背負って、私物のハーレーダビッドソン・モーターサイクルにまたがり、渋滞をすり抜けてきたのであった。


「貴国の継戦能力はすでに喪われたのです、首相。この上は犠牲が出ないうちに、名誉ある停戦へ同意していただきたいですな」

「何が継戦能力か! 何が停戦か!

 よく聞け、アメリカ人。まだ何も始まっていない。戦争など始まってはいないのだ!

 あんな一通のメッセージで……しかも人工知能システムからの通知で、国家に対する宣戦布告など前例がない! 私は認めんぞ!」

「……たとえ『フォン』スマホの通知メッセージといえども、我が国からの公式文章であることには変わりありません。

 ドイツ政府とて国民に行政からメールを送ることもありましょう。それは公式な文章ではないとでも?」

「言い訳をするな!」


 顔を真っ赤にして叫ぶデグナー首相にアルダナ大佐はため息をつく。

 彼からすれば、ドイツ人の論理こそ言い訳に他ならないのだが、これが大西洋をまたいだ価値観の違いなのかもしれない。


「そもそもなぜ我が国がアメリカと戦うのか!

 戦う理由がないではないか! こんなことは誰も信じない! 米軍は何をやっているのだ。クーデターでも起こしたというのか? 君は本当にワシントンからの命令で動いているのか!? ホワイトハウスへの反乱軍ではないのか!?」

「私は正規にアメリカ軍へ所属し、そしてアメリカ政府の意志を受けてここにいるのですよ、大統領。

 この戦いは紛れもなくアメリカ合衆国政府の意志であり……アメリカ軍によって既に実施された行動であり……そしてあなた方はすでに負けているのです」

「き、貴様……!!」


 怒りに顔をゆがめた東ドイツ出身のデグナー首相は、スラブ系の血を強く想起させる形相であった。

 そんな彼に対して、あくまでも温和な表情でアルダナ大佐はゆっくりと首を振った。


「もう一度言います、首相。

 あなたが信じようと信じまいと。そして、尊敬するドイツ国民が実感できなかろうと、認識できなかろうと。

 この戦いは━━『人工知能戦争』はすでに始まり、そして瞬時に決着がついたのです。

 ただ没落の惰眠をむさぼっていたあなた方……欧州連合が人工知能時代における戦いの流れの速さを理解できていないだけなのです」


 アルダナ大佐の語気がほんの僅かに強くなっていく。それは説得から強要へと到る長い長い階段だった。


(友好的に終わらせるつもりだったが……)


 あくまでこの頑迷な首相が拒むのであれば、徹底的に『思い知らせる』用意がアルダナ大佐にはある。


「攻撃開始からすでに数時間が経過しました。

 ドイツの通信網はたった1つでも回復したでしょうか?

 あなた方の誇るセキュリティゲートウェイ『ブランデンブルク門』は機能していますか?

 送電システムは復旧しましたか? 電話はできますか?」

「……目下のところ、確認中だ。まもなく復旧するだろう!」

「いいえ、首相。我々が行った攻撃は大規模で、そして致命的なものです。

 1日や2日、数週間経っても暫定復旧すらままならないことを保証しますよ」

「き、貴様……!」

「それとも━━今なおベルリン市内に潜伏しているドローン・スマート・ボムDSBをこの首相府へ呼び寄せた方がよろしいですか?

 目の前で、私が指定した窓1枚をピンポイントで破壊してみせればお分かりになりますか?」

「私を脅迫するつもりか、アメリカ人! 我がドイツにはなお戦力が残っている! 我が国には抗戦の用意がある!」

「ほう、それは素晴らしい決意です。

 ですが……アウグストドルフに駐留している機甲部隊のレオパルド3戦車はたった1台でも戦闘可能ですか? 空港をすべて破壊された上に、戦車ゼロで我が国といかにしてやりあうと?」

「き、きさ、きさ、まっ……アメリカ人めっ……!! よくもっ……よくも、よくも……!」


 アルダナ大佐は後悔する。ちょっと意地悪すぎたな、と。


「貴様が言うのは偽情報だ! そんなものに騙されるか!」

「ふぅ……では、これをご覧いただけますか」


 だが、ここで手綱を緩めては意味がない。

 体を震わせ絶叫するデグナー首相に向けて、アルダナ大佐は大げさに肩をすくめてみせるとタブレット端末を差し出した。


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