ブライアン・L・ワイス『魂の伴侶(ソウルメイト)』

 こちらはカーネギーの本と一緒に発掘された本。前世療法を行っている精神科医の元に、前世で親子だった二人が治療に訪れる、という話。奥付によると1996年の本。


 私の母親は前世を信じており、私が0歳から1歳の頃、頻繁に「どこから来たの?」と訊いたらしい。私は首を傾げるだけで答えなかったそうだ。

 というわけで、この本が母親のものなのは明らか。父親はこんな本は読まない。『神々の指紋』は読んでいたが。父があの本の内容を本気にしていたのか、それとも馬鹿にしながら読んでいたのかは知らないし興味もない。



 前世療法というといかにも怪しいが、精神分析の手法を知っていると、そう変でもないことがわかる。

 私は専門家ではないが、現代文学をやっているとフロイトやユング、ラカンなどの精神科医の学説と関わりを持つことになる。というわけで、私の知る範囲でだが軽く解説しておく。


 フロイトはヒステリーを治療する方法を研究していたのだが、その過程で、ヒステリーは幼少期の性的虐待が原因で、そのことを患者が自覚すれば症状がなくなることを発見した。

 フロイトは論文を書いたが、医学会の反応は冷ややかだった。フロイトを重要視したのは文学界だった。フロイトが『ドストエフスキーと父親殺し』というドストエフスキーの精神分析を行った論文を発表すると、文学者達はこれに飛びつき、なんでもかんでもフロイト流に作品分析を行うようになる。作者や登場人物がエディプスコンプレックスを抱えていると結論付ける論文が雨後の筍のように生まれた。未だにこれで食っている文学者もいる。


 フロイトの問題は、患者の病気の原因を「性的なもの」に限定したことだった。たまたま彼の患者の病気の原因が性的虐待だっただけで、みんながみんな幼少期に性的なトラウマを抱えているわけではない。なのに、フロイトに言わせれば、人はみんな性的コンプレックスを抱えていることになってしまうのである。


 ただ、精神的な病を抱える患者の中には無意識のうちにトラウマを抱えていて、その原因がわかれば病気が治ることがあるのは事実だった。それで精神科医は催眠療法を試すことになる。患者を催眠状態にして、自由に喋らせたり、過去に退行させたりして、何がトラウマなのかを探るわけである。



『魂の伴侶』の著者であるワイスは、どれだけ催眠療法を試みてもトラウマが何かわからない患者と出会った。そこで「あなたのトラウマの原因となっている思い出まで遡って」と言ったらしい。するとその患者は、前世の記憶について語り出した。そして、前世で起きた悲惨な出来事について語ることで、その患者の症状はなくなった。

 ワイスはもともとは前世など信じていなかったが、それをきっかけに多くの患者を催眠によって前世まで退行させ、彼等を治療し、その話を聞く内に、信じるようになったようである。

 このエピソードは『魂の伴侶』でも軽く触れられているが、これの詳しい話は『前世療法』という本に書かれているとのこと。私は未読。おそらく家にもない。


 ワイスは多くの患者の治療に当たるうち、現世で夫婦や兄弟、親子である二人が、前世でも深い関係にあった例を多数発見した。それを彼は「ソウルメイト」と呼んだ。前世で強い絆で結ばれた二人は、現世でも強く結ばれる傾向がある。

 しかしワイスは、まだ出会っていないソウルメイトのペアを発見したことはなかった。


 その、まだ出会っていないソウルメイトのペアを発見した時の話がこの『魂の伴侶』という著作の内容。現世では何も関係ない患者2人が別々にワイスの元を訪れ、前世療法の中で、片方が父親として、もう片方は娘として、同じ時代の同じ体験を語ったわけである。


 ワイスはこの二人を引き合わせるかどうか悩んだ。ワイスには精神科医として守秘義務があるからである。「あなたと同じ前世の記憶を持っている人がいるんスよ」と紹介するのは守秘義務に違反する。

 それ以上に問題なのは、ワイスの推測が間違っている可能性があること。引き合わせてはみたものの、実はソウルメイトではなく、ワイスの勘違いに過ぎなかったりすると、せっかく今までの治療で症状が改善されてきたものを悪化される可能性がある。

 そこでワイスはセコい手を使った。二人の治療時間を同じ日の続きにして、待合室で出会うように仕組んだ。本当にソウルメイトだったら、出会った瞬間感じるものがあるんじゃないかと思ったわけである。

 この試みは失敗し、二人は目論見通り待合室で出会ったものの、お互いに強い関心を示さなかった。


 しかしその後すぐに、二人はたまたま同じ飛行機に乗ることになり、空港の待合いでバッタリ出会って仲良くなり、そのうち結婚したんだとさ。



 私はこの話について、特に強い関心はない。「前世なんかあるかよ」などとことさら反発しようとは思わないし、と同時に、この話で前世を信じるわけでもない。

 そもそも前世なんか、あろうがなかろうがどうでもいい。前世で善人だろうが悪人だろうが、何不自由なく暮らしていようが拷問虐殺されていようが、あるいは前世がなかろうが、今の私には何も関係ない。重要なのは、今、どう生きるかだからである。


 たとえば、私が夏目漱石の生まれ変わりだとしたらどうだろう。「強くてニューゲーム」できるなら、前世が漱石だったらラッキーかも知れない。漱石が記号論を読んで後藤明生から技術を盗めば相当強いだろう。しかし、前世からの能力の持ち越しがないんじゃ何の意味もない。アホらしい。


 面白いことだが、ワイスもこの本の中で繰り返し「過去や未来ではなく、現在が大事」と書いている。ただ、前世のことを思い出すことによって、過去のトラウマから解放され、死の恐怖から解放されるのだともワイスは書いている。死んでも生まれ変わると信じることで未来が怖くなくなる、ということ。

 精神病を患っている患者は、過去や未来といった、人にはどうにもならないことで悩んでいる。過去は変えることはできないし、未来への心配事は今からしても仕方ない。患者が前世を信じることでそれらから解放されるなら、それはそれで結構なことである。

 ただ、ワイスはそういうドライな考え方をしているわけではなく、本気で前世を信じている。


 重要なのは「今」だ、というのは、カーネギーの『道は開ける』にも書かれてあった。自己啓発本とスピリチュアルな本が同じことを書いているのは興味深いし、それが私の家で同時に発掘されたのは面白い偶然である。

 私の母親がここから学べばより良かったのだが、残念ながらそれはなかった。母はいつでも過去の出来事に愚痴を言い、未来の余計な心配事ばかりしていた。その度に私は「余計なことを考えるな」と言っていたのだが、実は私が言わずとも、今まで読んだ本に繰り返し書かれていたことだったわけである。



「前世が漱石」という馬鹿話を思いついて気付いたが、いまネットで流行している小説は、要するに前世から能力を持ち越す話ばかりである。

 ご都合主義もいいとこだと馬鹿にしたいところだが、よく考えると一理ある。仮に人間が転生を繰り返しているのだとしたら、なぜ過去の記憶や能力を持ち越さないのだろう。なぜ毎回最初からやり直して、同じ愚を繰り返さなきゃならないのだろう。ものすごく効率が悪いし、全く理に適っていない。

 仮に全ての人間が「強くてニューゲーム」していたら、この世の中はずっといい方向に進歩しているはずである。いまごろ人種差別やいじめはなくなり、戦争などという馬鹿げたこともしなくなり、とっくの昔にみんなで協力して宇宙に進出していただろう。

 もし本当に人間がいままでずっと転生し続けており、それでこの体たらくなのだとしたら、心底愚かな生物である。何百万年もかけてこの程度なのだから、もう永久に愚かなままだろう。こんな学ばない生物は滅べばいいと思う。

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