星那の浴衣姿

 

 ――そして、訪れる花火大会当日。




「はい、出来たわよ」


 そう優しく告げる杏那の声に、星那は瞑っていた目を開き、顔を上げる。


 眼前の姿見には……髪を綺麗に結いあげられ、薄っすらと化粧を施された、とうに見慣れた筈自分の顔があった。


 いつものロングヘアは、今は浴衣に合わせるために結いあげられているため、普段は髪に隠れがちな細い首筋や白いうなじが露わになっており、不思議な感じがする。


 化粧は以前、神楽の際に口に紅をさした程度で……今回、薄化粧とはいえこのようにしっかりと行うのは初めてで、いつもと違う自分の顔に少しドキドキとしていた。


「あー、やっぱり若い子はいいわねぇ、星那の髪は私譲りだけど、やっぱりツヤとかコシとか……あとはお肌のハリも。寄る年波には勝てないというか……羨ましいわぁ」

「あ、あはは……」


 そうぶつぶつと不平を漏らし、頬に手を当てて溜息を吐く杏那だったが……星那には、果たして星那の母というより姉にしか見えない彼女の、どこに衰えがあるのか分からず、ただ苦笑しているのだった。


「あ、星那さん、今考えすぎじゃないかって思ったでしょう?」

「え!? い、いえそんな事は……」

「まだ若いからって油断したらダメよ、見た目には分からなくても、例えば昔と違ってお肌が水を弾かなくなったり、よく見たら小皺が増えてたり……」


 おどろおどろしい調子で語りかけてくる杏那に、星那がゴクリと息を呑んで耳を傾けていると。



「はは、何、私にとっては君はまだまだ若くて可愛く愛おしい妻さ、娘と比較して悲観する必要など全くないとも」

「あなた……!」


 後ろで見ていた才蔵の言葉に、パッと表情を明るくしてその下へと駆け寄る杏那。

 その様子はいつまでも恋する乙女のようで、イチャイチャした空気に当てられて一人取り残されている星那。


 彼らのように、良い恋愛を続ける事がきっと若さを保つ秘訣なんだろうなぁ……と、いたたまれない空気の中で、星那はなんとなしに思うのだった。




 約束通り花火大会までには帰ってきた瀬織夫妻。彼らが今、白山家の星那の自室に居る理由。

 それは、朝陽と自分の分の浴衣の着付けに忙しい真昼に変わり、星那に浴衣を着付けてくれるためだった。


「さて。ここからは女の子のお着替えなのですから、あなたは外で待っていてくださいね?」

「うむ……では、また後ほどな」


 そう言って部屋から出て行く才蔵。

 そうして、どこか楽しそうに星那に浴衣を着せるための準備を進めている杏那の姿に……星那は、覚悟を決めて浴衣用の肌着に手を伸ばすのだった。






 ◇


 所変わって、白山家の玄関前。


 今は父、才蔵のものを手直ししてもらった、紺色を基調とした落ち着いた浴衣を身に纏った夜凪だったが……そんな衣装とは裏腹に、落ち着かない様子でそわそわとしていた。


「なんだか夜凪さん、新婦さんを待つ新郎さんみたいねぇ」

「お兄ちゃん、そんな調子でお姉ちゃんと結婚式の時大丈夫?」


 同じく浴衣姿の真昼と朝陽が、そんな落ち着かない様子の夜凪を呆れた様子で眺めながら会話していた。


「だって……星那君だよ、絶対恥ずかしそうにして来るに違いないんだから、きっと可愛いだろうなぁと思うと……!」

「……いつも通りのお兄ちゃんだったね」

「はぁ……あの子も大変ねぇ」


 再度呆れた様子で苦笑し合う、真昼と朝陽。

 しかしそんな様子は気にも留めず、心ここにあらずと言った様子で境内の方を眺めていた夜凪だったが……不意に、その袖が引かれた。


「星那く……っ!?」


 意気込んで振り返った夜凪が……そこに佇む星那の姿を目にして、固まる。


「……あの、どうでしょうか?」

「……」


 ちょこんと可愛らしく首を傾げ、不安げに問いかける星那だったが……夜凪は、その姿に見惚れた様子で固まってしまった。


 清楚な青を基調とした浴衣と、紫色の腰帯。落ち着いた装いは、星那の漆黒の髪と白い肌によく映える。


 髪を上げているせいもあって、その姿はいつもより数段増しで大人っぽく見える、しっとりとした色香を醸し出していた。

 だがしかし、恥ずかしそうに上目遣いで見上げてくるその様は、まさしく恋する乙女のままというアンバランスさ。


「……可愛い」


 まるで熱に浮かされたように、そっと星那の体を壊れ物を扱うように抱き締めながら、夜凪は熱っぽい視線で呟いた。


「可愛いし……綺麗だ、よく似合ってる」

「んっ……」


 吐息が触れるほどに近い耳元で囁かれる言葉に、星那の背筋にゾクゾクとしたものが走る。

 思わず呻き声を上げた星那だったが……その時、ふと何かに気付いたように、星那の首元で夜凪がスン、と鼻を鳴らした。


 その白い首筋から僅かに香ってくる、梅のような香りは……


「白梅香なんて、よく持っていたね……」

「あ、これは……杏那さんが少し貸してくれて」


 せっかくの和装なのだからと勧められ、勧められるまま少しだけうなじの髪に付けた香水だったが、苦手だったろうか……そう思い、不安になって上目遣いに見上げていると、不意にぎゅっと抱きしめられた。


「それ禁止、可愛すぎて食べたくなっちゃう」

「ひゃっ!?」


 そう言って抱きしめたまま、首元に顔を寄せる夜凪。


 かつて色街の遊女達が愛用したとも言われる、仄かな、だがしかし華やかな梅の香り。

 それが星那本来の、甘い女の子の香りと混ざり合い、夜凪を夢中にさせていた。


 だが……抱きしめられ、至近から嗅がれるという辱めは、星那にとっては恥ずかしくてたまったものではない。


「あ、だ、駄目、嗅がないで恥ずかしい……」

「大丈夫、いい匂いだよ」

「いや、だって夏だし、汗臭かったりしたら……!」


 わたわたと慌てて抵抗している星那だったが、夜凪はむしろそんな星那の反応を楽しむかのように、抵抗をやわやわと押さえ込み、すんすんと鼻をひくつかせていた。


 そうして、皆が「またか……」と半ば諦めの気持ちで生暖かく見守る中で、そろそろ恥ずかしさで星那の顔が林檎みたいに真っ赤になり、目を回しかけた頃。


「ほらほら、そろそろ車を出すから乗った乗った。夜凪君もそのくらいにしないと、星那がダウンしたら家で留守番だよ」

「……おっと、ごめんごめん」


 パンパン、と柏手を打ちながらの一夜の声に、我に返って星那を解放する夜凪。

 その頃には星那はすっかり頭に血が上り、きゅう、と軽く目を回していたのだった。

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