星那と小麦香る朝
夏の早い日の出はすでに周囲を明るく照らし、昨日とは真逆の青空が広がる、清冽な空気に満ちるそんな市場からの帰り道。
「んー、いい匂い」
「焼きたてのパンって、なんでこんな美味しそうな匂いがするんだろうねぇ……」
あえて寄り道してもらい、パン屋にも寄ってもらったせいで車内に充満する、食欲を激しく刺激する焼きたてバゲットの香ばしい匂いに……星那や夜凪をはじめ、皆お腹を鳴らしていた。
「帰ったら、すぐに朝ごはんの用意するね」
「ああ、頼む……この匂いは拷問だぜ……」
「市場の中も美味しそうなものばっかり見えるからもうお腹ぺこぺこだよ……」
すっかり空腹でゾンビみたいになっている燃費の悪い欠食児童二人に、星那が苦笑していると。
「私、お手伝いする!」
「うん、俺も何もしない訳にはいかないよね……やれる範囲でだけど」
「うん、朝陽も一夜兄さんもありがとう」
そんな、わいわいと喋りながら、市場から帰ってきた一行なのだった。
帰宅次第、陸と柚夏、それと瀬織夫妻はお風呂掃除に行ってしまった。夜凪と一夜、それと朝陽は買ってきた野菜のうち今朝使う物を洗ってカットしてくれている。
「さて……はじめますか」
そんな中で、星那も一日ぶりの料理に、張り切ってエプロンの紐を締めるのだった。
とりあえず、人数分の
小鍋に沸かしたお湯には、お尻に画鋲で穴を開けておいた卵を投入し、キッチンタイマーをセット。
缶のコンビーフを、陸たちが居るのを考え三缶ほど開封して、これは耐熱容器にバター、黒胡椒と一緒に放り込んで、レンジに投入。
温め終わったコンビーフを解すと、そこに常温に戻しておいたクリームチーズと、隠し味に少量の薄口醤油を混ぜ合わせ、超お手軽なリエットの完成となる。先程のバゲットを香ばしく炙って、載せて食べればきっと美味しいはずだ。
そんな想像をしながら、冷蔵庫へ投入。三十分程で食べごろになるはずだとウキウキしていると……
「野菜、切っておいたよ」
「うん、ありがとー、そこに置いておいて!」
夜凪と朝陽が、カットし終えた野菜を持って来てくれた。
「お姉ちゃん、何か手伝うことはほかにある?」
「うーん、そうだなぁ……」
朝陽のそんな期待に輝く目に、顎に指を当て、工程を再確認して任せられそうな事を探していると……ちょうど、茹で卵のタイマーが鳴った。
「うん、それなら、これの殻を剥いて潰しておいてくれる?」
茹で上がった卵をザルにあけ、ボウルに張った氷水へとぶち込むと、フォークと別の小さめなボウルも一緒に渡す。
「白身の形が大きめに残るくらい、粗めに潰すの。できる?」
「うん、任せて!」
「ふふ、それじゃお願いね。中の方はまだ熱いから、火傷に注意して」
そう言って頭を撫でながらお願いすると、朝陽は仕事を貰えて嬉しそうにボウルを抱えて行ってしまった。
――このあたりはやっぱり兄妹だなぁ……
仕事を与えられて嬉しい気持ちはよく分かる。
星那が苦笑しながらその背中を見送ると……気を取り直し、自分の作業へと戻る。
夜凪たちがカットしていたのは、産直で見つけたズッキーニと茄子、そして玉ねぎ。
潰した大蒜何かけかと共にオリーブオイルを熱し、いい香りがして来たところにそれら野菜を投入し、フライパンで焦がさないように気をつけながら炒め、玉ねぎが透き通って来たところに、一昨日のトマトソースを投入。
そのまま少し煮詰める。あとは、後で皿に盛る直前に少し温めれば、ソースは大丈夫だろう。
ここで……少し、時間を確認。
お風呂掃除に行った皆が戻ってくるのは、まだ少し時間がかかるだろう。
バゲットや鱈を焼くのはまだ少し早いかな……そう判断して、コーヒーメーカーにフィルターをセットして、コーヒーを淹れておく。
「おねーちゃん卵潰し終わったよ!」
「お、朝陽もお疲れ様。どれどれ……」
朝陽が自慢げに見せて来たボウルには、星那の指示通り、白身が形が残る程度に潰されている半熟卵。
そんな中……外から調理器具を洗い終えて戻って来た夜凪と一夜に、ふと良い事を思いつく。
「うん、潰し方はバッチリ……ねえ朝陽、お兄ちゃんと一緒に、仕上げまでやってみる?」
「え、いいの?」
「うん、こっちのみじん切りの玉ねぎと一緒に、マヨネーズで和えるの。出来そう?」
そう尋ねると、一夜の方を振り返って様子を伺う朝陽。そんな妹に、一夜はフッと表情を緩めながら頷いた。
「……分かった、やる!」
「うん、お願いね。マヨネーズの加減はお兄ちゃんに聞いてみて」
嬉しそうに卵のボウルとマヨネーズを抱え、パタパタと一夜の方へと走っていく妹の姿を微笑ましく見送っていると。
「ふふ、長女は色々と気配り上手だね?」
「あはは……夜凪さんもありがとう、コーヒー飲む?」
「うん、貰う。ブラックでお願い」
「はいはい」
最近、星那が『夜凪』だった頃の嗜好に合わせてブラックで飲むようになった夜凪に、一杯のコーヒーを淹れていると。
「風呂掃除終わっ……くそぅ、滅茶滅茶いい匂いがする」
「あ、陸、それに柚夏ちゃんもお風呂掃除お疲れさま」
「うん……お腹すいたよぅ……」
「あはは……すぐ作っちゃうから、コーヒー飲んで待っててねー」
いよいよ空腹が限界らしい二人にもコーヒーと……あとこっそりビスケットを添えて渡した後、さて、今朝のメインだ、と星那は気合いを入れ直す。
水気を取った鱈の身に、塩、胡椒、小麦粉の順に振って、バターを熱したフライパンへと投入する。
焦げすぎないようにカリッと焼いて、鱈のムニエルが完成だ。
一切れずつ皿に盛ったムニエルに、温めなおした夏野菜のトマトソースを掛ける。これ自体がパンに付けても美味しいと思うので、気持ちたっぷり目に。これで、料理はひととおり完成。
あとは……バゲットに付けるための、朝陽が作ってくれた卵フィリングと、先程冷蔵庫に入れたコンビーフのリエットも綺麗に盛り付けて、バターナイフを添えて卓に並べる。
それと同時に、オーブンがチンと小気味良い音を立てて、同時に部屋にバゲットの少し焦げた良い香りが充満する。
「よし、朝ごはんできたよ、みんな一皿ずつ持って行って座ってー!」
焼けたバゲットをバスケットに盛り付けながらの星那の号令に、バゲットとトマトソースの香りにすっかり涎を垂らさんばかりの様子を見せていた皆、待ってましたとばかりに殺到するのだった。
「おお、皆やっておるな。ほう、今日は洋風の朝食か」
「ふふ、お洒落で素敵ねぇ」
星那の声を聞き、嬉しそうに戻って来た才蔵と杏那がテーブルに着くまでの間に、皆の協力により瞬く間に配膳が終わり。
「それじゃ、いただきます!」
星那の音頭で皆でいただきますをして、今日一日の活力の源である朝食が始まったのだった。
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